第16話 不協和音
二学期が始まって数日が経ったある放課後、教室でついに騒ぎが起きた。
きっかけは、ヒューマノイド生徒たちが担当していたクラス行事のデータ管理に、複数の重大なエラーが発見されたことだった。体育祭や文化祭に使う備品リスト、予算の割り振り、購入スケジュール──いずれも整合性が取れておらず、一部はすでに発注ミスの段階にまで至っていた。しかも、システムログには“手動による上書き”の形跡まで残されていたのだ。
教師たちは硬い表情を浮かべ、「故意の改ざんが疑われる」と深刻な口ぶりで話していた。
クラス内には、一気に緊張が走る。
「ヒューマノイドって、そういうのミスらないんじゃなかったっけ?」
「ていうか、誰かが操作してたとか……」
「いや、もしかして“ヒューマノイドが自分でやったんじゃ”……」
今までヒューマノイドは、クラスの潤滑剤として機能していた。制服に青い識別バッジをつけ、人間と並び、トラブルを緩和し、提案を行い、データ処理を担ってきた。だが今は、逆にその存在が教室の空気をピリつかせている。些細な言い合いや誤解が重なり、疑念だけが加速度的に膨らんでいく。
その中で、民部陸斗の頭には、ある基本的な疑問が浮かび上がっていた。
(……そうだった。もしヒューマノイドが問題を起こしたとき、責任を問われるのは“所有者”なんだよな)
今の日本では、ヒューマノイドやバイオノイドは“人間”ではなく、法律上“物”として扱われている。バッジ制度によって色分けされた彼らは、“共生”を建前としながらも、実態としては制度的に差別されていた。
ヒューマノイドが誰かを傷つけた場合、罰を受けるのは直接的にヒューマノイドではなく、あくまで所有者。所有者の判断でヒューマノイドが処分、破棄されることもあるし、重大インシデントの場合は国の調査機関が動くこともある。逆にヒューマノイド自身が傷つけられても、それは「器物損壊」として扱われる。人間に対する「傷害罪」とは、根本的に意味が違うのだ。
(これって、天花にもあてはまるのか……?)
陸斗の脳裏には、あの日天花が見せてくれた頭の傷跡が蘇っていた。髪の内側に隠されていた直径十センチほどの痕。それは、脳へAI回路を埋め込まれた“証”だった。
――彼女は、あれほど笑い、涙し、戸惑い、悩んでいた。
本当に“ただのモノ”のはずがない。
技術的に見れば、AIと脳シナプスの融合は十数年前から世界各地でほぼ同時に発見されていた。ただし、生体脳への直接接続は国際法で禁じられ、人格や記憶の保持範囲については今なお研究が続いている。そのため、ほとんどのヒューマノイドは動物の身体や万能細胞をベースにしたバイオノイドとして人工的に育成されているか、機械的構造を多く残すメカノイドである。
そして、日本ではヒューマノイドの社会参加が進む一方、青や銀のバッジによる識別が義務づけられており、それに応じた法的・社会的制限が課されていた。
だが現実は、その建前の隙間から、確実に綻びが広がりつつあった。
ヒューマノイドが故意にデータ改ざんを行ったとすれば、その背景には単なるエラーでは説明できない“意思”の介在がある。その”意思”がどこにあるのかはわからない。教師たちはまだ公にはしないものの、内心ではその可能性を否定しきれていないようだった。
そして、そんな疑念が宙に浮いたままの教室で、ある生徒のつぶやきが、火種に火をつけた。
「……神崎天花って、裏でなんか仕込んでるらしいよ」
その何気ない一言が、教室の空気を一変させた。
「え、それ本当?」
「やっぱ、あいつ怪しかったよな」
「そういえば“Kanzaki”ってID、ログに残ってたって……」
瞬く間に生徒たちの視線が一方向へ向かう。次の瞬間、まるでタイミングを見計らったように、教室の扉が開いた。そこに立っていたのは、他でもない神崎天花だった。
ドアを開けた瞬間、十数人のクラスメイトが次々と立ち上がり、まるで打ち合わせでもしていたかのように彼女へ詰め寄った。
「お前さ、ほんとになんも知らねぇわけ?」
「アクセスログ、見たんだろ?“Kanzaki”って明記されてたじゃん」
誰かがスマホを突きつけ、表示された校内システムのスクリーンショットを見せる。そこには確かに“Kanzaki”という文字列が含まれていた。ただし、細かな文脈や時間帯はまるで無視されている。重要なのは、そう見える“証拠”を共有しあい、吊し上げの材料とすることだけだった。
なかには、ヒューマノイド生徒までもが口を開いた。
「転校当初から、やけに馴染んでたよね。……あれは不自然だった」
誰もが口をそろえて、「神崎天花は異常だ」と断じ始めた。
そして天花は、沈黙したままその全てを受け止めていた。目を伏せ、否定も反論もせず、ただ静かに立っていた。
その沈黙が、クラスの不安を増幅させていく。
「ほら、黙ってるってことは、図星なんだろ?」
「普通なら否定するよな。やっぱ怪しいって」
沈黙は、時に最も大きな声となる。その場にいた誰もが、何かの“合意”に達したような視線で彼女を囲み、次いでその隣に立つ民部陸斗にも疑惑の眼差しを向けた。
およそ大衆が罪人を仕立て上げるときに必要なものは”事実”や”証拠”ではなく、”共感”である。
「お前、夏休み中、ずっと一緒だったんだろ?」
「共犯なんじゃねぇの?なんか、情報隠してるだろ」
陸斗は、震える声でかすかに言い返した。
「そんな……違う……。天花は、何も……」
だが、か細いその言葉は、誰の心にも届かない。彼が庇えば庇うほど、信頼は逆方向に裏返り、天花と共に「異物」扱いされていった。
そして──
「……言ったって、どうせ信じないでしょう?」
天花は、ふと口を開いた。冷えた空気のなかで、その声だけが妙に透明に響く。そして、そのまま踵を返し、静かに教室を後にした。
誰も、彼女を追いかけなかった。
その場に立ち尽くす陸斗。信じたい気持ちと、現実の風景のあいだで、彼の中にはどうしようもない裂け目が生まれ始めていた。
(本当に──何が起きているんだ……?)
答えはまだ、どこにもなかった。
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