第12話 離れない思い
結局、その日はそれ以上踏み込んだ話をせず、解散となった。
「もし気持ちが整理できたら……それでも良かったら、また来てね……待ってるから……」
かすれた笑顔でそう言う天花を見送り、陸斗は重苦しい思いのままマンションをあとにする。新宿駅までの道のりがいつになく遠く感じられ、信号待ちのたびに「さっきの出来事って夢なんじゃ……」と考えては頭がぐらついた。
どうやって帰宅したかも定かでないまま、陸斗は自室のベッドに倒れ込む。キャンプの夜、あれほど幸せだった天花との告白──そんな甘美な記憶が、一気に国家機密クラスの秘密へと繋がっていた。どう整理すればいいのか、何もわからない。
「ヒューマノイド……しかも中国のスパイって……?」
想像をはるかに超えた事実に、普通の高校生である陸斗のメンタルは完全にキャパオーバーだ。ネットで「バイオノイド 違法」「中国製 ヒューマノイド」なんて検索しかけては、「こんな情報を調べたらヤバいかも」と怖くなり、スマホを置いてしまう。
気づけば夜が明け、翌朝もショックで家に引きこもったまま。家族に「体調でも悪い?」と心配されても「寝不足なだけ」と誤魔化すしかなかった。
次の日も眠れないまま、陸斗はぼんやりと天花の言動を振り返り始める。違法な不正アクセスや、あの闇市みたいなところでの立ち回り、普通の転校生らしからぬ勘の良さ……“彼女がバイオノイドだ”と仮定すると、合点がいくことばかり。
唐突すぎて現実感は乏しいけれど、わざわざ危険だらけの秘密を打ち明けるはずがない。それに、嘘をつくなら、あんな突拍子もないことを言わないんじゃないか。まるっきり嘘でドッキリエンターテイメントなら、それならそれで騙されていればいい。そう考えると、絶望の中に一筋の光が射すような気がした。
「だったら……俺は、どうすればいいんだ?」
答えは簡単には出てこない。もしかすると、さらに深い闇へ踏み込んでしまうかもしれない。それでも天花を“放り出す”のは違う──陸斗は人としてそう感じ始める。
あの夜、「良かったら、また来て」と言われた瞬間を思い返す。そこには確かに純粋な好意があった。いま踏み出すのは、ただの恋愛の一歩ではないかもしれない。それでも、それを恐れて逃げだすことはしたくない。
陸斗は、そっと息をついて目を閉じる。人間とAIの意識の境界──その真ん中にいる彼女を受け止めるため、せめてもう少し自分なりに覚悟を固めよう。それだけが、いまの彼にできる唯一の行動だった。
その翌日、意外な人物から連絡があった。クラス委員長の桜井琴葉だ。
「キャンプの決算をまとめたいから、学校に来られる?」
もうキャンプは終わったとはいえ、経費精算や書類作成が残っているのは確か。副委員長の陸斗が呼び出されるのも自然な流れだ。気が乗らないまま重い足取りで学校へ行くと、夏休み特有の静かな廊下が広がっていた。遠くのグラウンドや体育館からは野球部やバスケ部の声がかすかに聞こえるだけ。
桜井が指定した教室へ入ると、彼女はタブレット端末を開き、手際よく資料をまとめている。
「お疲れ。来てくれて助かるわ」
「……うん」
決算報告の書類や領収書の整理を淡々と進める。桜井はいつも通り事務的でテキパキしていて、説明もわかりやすい。二人での作業は思いのほか順調だった。
やがて区切りがつき、「もう終わり?」と陸斗が聞くと、桜井はふと画面から目を離した。
「まだ大事な話がある。情報漏洩事件、覚えてるよね?」
唐突な切り出しに陸斗は少し動揺する。
「え、そりゃ覚えてるけど……」
「まだ物的証拠は出てこないけど、“神崎天花”が関わってる可能性が高いと思うの。あの子の行動記録と、不正アクセスの時刻が符合している箇所があるみたい」
まさか桜井がそこまで踏み込んだ疑念を抱いていたとは。陸斗は言葉に詰まる。キャンプでの天花の立ち回りを思い出すと、“確かに妙な情報を扱っていそう”という疑念を持たれることも否定できない。――でも、天花がスパイだと桜井に言えるわけもない。
「何か知ってるんじゃない? 民部くん」
「……今は何も言えない。ごめん、本当に何も……」
桜井はその返答に、一瞬だけ目つきを鋭くしたが、すぐに小さく息をつく。
「やっぱりね。私も証拠があるわけじゃないけど、どうにも不自然なのよ。……だけど、今は説明できないけど、私もある理由があって、あの子のことを追ってるの。だから、もし言えることができたら教えて」
桜井もまた何か抱えているらしい。彼女の真意はわからないが、少し大人びた雰囲気の裏に秘密を隠しているのだと陸斗は改めて感じる。どこか周囲よりも成長が早い印象に、陸斗は素直に敬意すら抱いた。
「わかった。でも……ごめん、今は本当に言えないんだ」
「ううん、謝らなくていい。事情があるのはわかるし、私も同じだから」
そう言って桜井は寂しげに微笑んだ。何か言いかけたようにも見えたが、それ以上追及せず、「じゃあ、これで終わり」と資料を閉じる。
教室の静かな空気が、夏の日差しの中で揺れながら、ふたりの心に微妙な余韻を残していた。
部屋にこもって悩んだ末、民部陸斗は、ようやく一つの決心を固めた。
神崎天花が、たとえ違法なヒューマノイドであろうと──いや、だからこそ。あの夜に見せた、あまりに人間らしい微笑みを、信じたかった。
「逃げるのは……違う」
陸斗は小さく呟き、新宿行きの電車に揺られる。
キャンプの夜から続いてきた想いは、まだそのまま胸に残っている。ただ、あの夜と違うのは、自分が向かおうとしている相手が、“よくわからない不思議な存在の誰か”ではなく、“神崎天花というたったひとり”であるという確信だった。
到着した街並みは眩しいほどに明るく、変わらず雑多な人と車が交差していたが、なぜか以前よりも遠い場所のように感じられた。
マンションの前でインターホンを押すと、すぐにロックが外れる。
現れた天花は、いつもの制服ではなく、キャンプのとき着ていた淡い色のワンピース姿だった。黒髪とのコントラストが柔らかく、陽射しの中でほんの少しだけ季節の境界線をまたいだようにも見えた。
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