第11話 天花の本心

(天花……ここで何をしようっていうんだ?)

 そんな疑問が頭を巡るものの、彼女の頼りなげな背中を見ていると「守りたい」という気持ちと、「自分も足がすくんでる」という事実が入り混じり、陸斗はただ戸惑うしかない。


 目の前にそびえるのは、まだ工事が終わっていないらしい大きめのビル。ビニールに覆われたエクステリアや仮設の足場が残るエントランスを見る限り、完成とはほど遠い。風で揺れるテナント募集の垂れ幕。立て看板には安っぽいプリンターで事務用紙に印字されたような「再開発エリア先行入居募集中」の文字が埃にくすんでいて、時が止まったまま放置された空間のように見えた。


「……ここ、マンションって呼べるほどちゃんとしてないけど、一応、部屋は使えるの」

 天花が控えめに言いながら電子キーを操作すると、オートロック付きの扉がカシャンと音を立てて開く。彼女は振り向かず、まるで決意を押し隠すように中へ入っていく。陸斗は逡巡しつつも、その背中を追った。


 エレベーターを降りると、仮設プレートで「304」と書かれた部屋がひとつだけ。天花がキーをかざすと、金属音がしてドアが開いた。

「……どうぞ」

 中は拍子抜けするほどシンプルで、けれど妙に清潔な1Kの部屋。壁紙やフローリングは新しそうで、家具やIT機器も最低限だが新品然としている。だが、その整いすぎた空気には、どこか“誰かが暮らしている”という感覚が薄かった。

 玄関を抜けると、バルコニーの物干しスタンドに淡い色の衣類が干してある。シンプルな下着やTシャツが風に揺れ、「ここに誰かがいる」ことだけが現実感を支えていた。

(本当に……ここで暮らしてるのか)

 陸斗は、女の子の部屋に来たドキドキよりも、この現実離れした光景に戸惑いが勝っていた。


「急に揃えたから、まだ全然……ね」

 天花は小さく苦笑する。けれどその笑みもどこか張り詰めていて、いつもの柔らかさとは違う気配があった。クローゼットには制服やシャツが整然と掛けられ、同じ靴が何足も並ぶ。それらはすべて機能重視のように見え、生活の“選択”ではなく“設定”のようだった。

「とりあえず、そこ座って」

 天花がベッドの端をぽんぽんと叩くので、外に座るような椅子もないか視線を泳がせつつ、陸斗はためらいながら腰を下ろす。少し離れた場所に腰かけていた彼女は、上半身だけ陸斗に正対し、深く息をついた。


「……ねえ、陸斗。キャンプで『付き合ってほしい』って言ったの、覚えてるよね」

 抑えた声に、陸斗は息を飲んで頷く。忘れるはずがない。あの焚き火のぬくもり、震える指先、胸を焦がす言葉。そのすべてが、彼の心を今も支配している。

「正直、あのときは……舞い上がってた。本音が出ちゃった。でも本当は……もっとちゃんと二人きりで話したかった」

 天花は言いながら、制服のシャツを少しだけ握りしめる。その緊張感に、陸斗も黙るしかなかった。


(この期に及んで……天花は、何を話そうとしてる?)

 沈黙の中で、天花はまつ毛を伏せ、小さく頷いた。その動作だけで、ただ事ではないと陸斗は察する。

「でも、甘い話ばかりじゃないよ。……陸斗なら、真実を知りたいと思うよね?」

 彼女は自分に言い聞かせるように言葉を重ねたあと、視線を合わせる。

「信じられない話だと思うけど……最後まで聞いてほしいの」

 その一言に、部屋の空気が一変した。

「びっくりして倒れないでね……」

 意味深な言葉を紡ぐ天花を見ながら、陸斗は思わず固唾を飲みながら頷く。


「わたし……実はヒューマノイドなの。しかも──中国のスパイとして造られた、違法なバイオノイド……」


「……は……!?」


 その告白は、陸斗の脳にフラッシュのように突き刺さった。思考が真っ白になる。現実味がないのに、天花の瞳には嘘がなかった。


「……え?ど、どういうこと?意味がわからないんだけど……」


 冗談であってほしい。あるいは何かのサプライズ企画か何かでも構わない……しかし、あまりにも真っ直ぐな天花の瞳に何も言えなくなる。


「身体は、日本人なんだけれど、脳にAI回路が組み込まれてる。……だから、見た目は普通の女子高生だけど、日本の法律では“完全な人間”として認められないの」

 天花は感情を押し殺したような声で語る。その姿は、まるで告白というより“自白”だった。


(……な、何だって?……)

 陸斗は思い返す。天花の知識、行動力、あの異常な反応速度。そして、入学の時の不審な行動…学校で起きた事件……全てが一気にドミノ倒しのように繋がっていく。繋がること自体が恐ろしかった。


 工事の騒音が、いつの間にか止んでいた。

 部屋の中は静まり返り、聞こえるのは彼女の言葉と陸斗の心臓の音だけだった。


(信じられない。でも、受け止めるしかない……のか……)

 陸斗は、衝撃のあまり理解が追いつかない。そして、ただ天花の次の言葉を待ち続けた。


「ごめんね。本当は、こんなこと……陸斗に言うべきじゃなかったかもしれない。でも、黙ったままだと、私が全部、嘘になっちゃうから……」

 彼女の声には、諦めにも似た痛みと、陸斗への信頼が同居しているように感じられた。制服の裾を握る指先が微かに震えていて、“言えなかった苦しみ”と“それでも伝えたい想い”が滲んでいる。


「だけど、もともと日本人の体なのよ。脳にAI回路を組み込まれているだけで、それが無効化されれば、普通の人間に戻れるはず……」


 小さな部屋の空気が、急激に重たくなっていく。ずっと抱えてきた秘密を吐き出す天花の言葉は、砕けた氷のように冷たく、重く陸斗の胸に突き刺さった。

「でも……そのリスクは大きい。場合によっては廃人になるかもしれないし、専門家がいれば回避できるかもしれないし……正直、私にも分からないの……

 しかも、最近は中国側からも見放されかけてる。私の行動が日本人のままだからなのかな……“向こうの理想通りの人形”になりきれなかったんだと思う」


 淡々と語られる事実は、あまりにも非現実的で、なのに目の前の天花は本気だった。演技でも冗談でもない。その顔には、逃げ道を塞いだ者の覚悟と、誰かに頼りたいという切実な想いが同時に宿っていた。


「……それでも、黙っているほうが辛かったの。私、陸斗を……本当に、好きになったから」

 その声は震えていた。かすかに潤んだ瞳に浮かぶのは、ただの“好き”ではない。すがるような、どこにも行き場のない孤独。その根底にあるのは、きっと「誰かにそばにいてほしい」という叫びだった。

(俺なんかに、そんなふうに頼ってくれてたのか……)


 天花はきっと、自分を責め、それでも本当は、誰かに打ち明けたかったのだ。拒絶される覚悟をしながら、それでも、心の奥では“誰か”を信じたかった。


 かすれた声で、陸斗は必死に言葉を絞り出す。

「俺は……天花を、理解したい。寄り添いたい。……俺にできることがあるなら、何でもする」

 それは、たった一言だった。でもその一言には、彼の全部が詰まっていた。天花は、目を潤ませながら、小さく、小さく、うなずいた。

 ――この子は、誰かを本気で信じたかったんだ。


「……ごめんね、こんな私だから。普通に付き合うなんて難しいし、陸斗を危険に巻き込むかもしれない。私のことを“裏切り者”だって思う組織もある。だから、無理はしないでほしい」

 天花は深々と頭を下げる。その姿があまりに痛々しくて、陸斗は胸が詰まりそうになる。彼女が本気で自分に心を開いてくれているとわかるからこそ、簡単な言葉では応えられなかった。


「もし、嫌なら言って。私と別れるっていう選択も、陸斗にはある。でもね……これだけは信じて。私は、あなたのことが本当に好きになっちゃったの。形だけじゃなく、心から」

 その一言に、陸斗は胸が熱くなるのを感じた。何も理解できなくても、嘘ではない気持ちがここにある。それだけが、今の彼を支える真実だった。

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