第5話 神崎天花の裏表

 やがて、再開発から取り残されたような薄暗い街並みに迷い込む。知らないうちに、高層ビルの谷間を抜け、雑然とした低層街区へと足を踏み入れていた。

 壁面には外国語ではない、記号のようなグラフィティが波打ち、街灯はまばらにしか設置されていない。足元のアスファルトにはひびが走り、染み出す水が靴裏をわずかに濡らす。空気は重く、金属と油の混ざった臭いが鼻を突いた。

(こんな場所、地図に載ってたか……?)

 そのとき、不意に強烈な視線を感じた。

 通りの奥に立っていたのは、異様に静かな佇まいの集団。そのうちの一人は、肌の質感が妙に人工的で、目元には医療用とも軍用ともつかない光沢のある義眼ユニットが嵌め込まれていた。瞳の奥で淡い光が周期的に明滅している。メカノイドにしては肉付きが自然すぎるし、バイオノイドにしては機械的な部分が目立ちすぎる。きっと違法改造の個体だ。

(やばい……)

 その男が、ゆっくりとこちらへ歩を進める。まるで標的を補足した狩人のように。


 俺は逃げるように路地に飛び込んだ。だが、振り返れば、影がひとつ、またひとつと増えている。全身をモノトーンの義肢で補強した男、頭部に冷却ファンを埋め込まれた女、皮膚下で何かが蠢くような改造痕をもった異形たち。

(完全に踏み込んじゃいけない場所だった……)

 恐怖が足を突き動かし、俺はただひたすらに走る。どの角を曲がっても、似たような廃ビルと錆びた柵ばかりで、方向感覚が狂っていく。

 気づけば、行き止まりの狭い路地。

 背後からは足音と、笑いを押し殺すような声。

(マジで終わったか……?)

 膝が震え、息が荒れる。スマホを取り出そうか迷ったが、こんな場所で高性能機を見せたら格好の標的になるだけだ。

 そのときだった。

「こっち!」

 鋭く、凛とした声。

 振り返ると、制服姿の少女がこちらに手を伸ばしていた。神崎天花──間違いない。

 彼女は一瞬の躊躇もなく俺の腕を掴み、脇の錆びたドアを蹴り開けるようにして引きずり込んだ。金属が軋む音。扉の内側に突き出されたバーが施錠の役割を果たす。

「黙ってついてきて」

 彼女の声に逆らえず、俺は奥へ進む。足元には砕けたガラス、崩れた医療器具、散乱する薬品容器──ここは違法クリニックの廃墟だ。

「この先に非常階段がある。屋上から隣のビルに渡れる」

「渡れるって、そんなルート……」

「説明はあと。今は急いで」

 教室での控えめな雰囲気とは別人のようだ。彼女は階段を駆け上がり、俺もそれに続く。

 屋上へ出ると、風が強く吹き抜けていた。 隣のビルとの距離はわずか1メートルちょっと。だが足を踏み外せば、何十メートル下へ真っ逆さまだ。

「飛ぶしかないよ」

 天花は軽く言って、まるで跳び箱でも飛ぶみたいにひょいっと向こうへ渡ってみせた。制服の裾がふわりと舞う。

「……マジかよ」

 俺も意を決し、助走をつけて飛ぶ。空中に放り出された一瞬、心臓が凍りついた。だがなんとか鉄柵を掴み、よろめきながらも着地できた。天花が素早く腕を伸ばして支えてくれる。

「ありがとう……神崎」

「そもそも、こんな場所に入り込んだのが間違いだよ」

 彼女は少し言いにくそうに言葉を続けた。

「それに、私のこと、探ってるんでしょ? あんまり深入りしないで。危険だから」

 その言葉には、冷静さの奥にわずかな戸惑いが混ざっていたように見える。煩わしさが大半を占めるが、ほんの少し興味を持ったような目つきも感じられた。俺は彼女のギャップに胸を打たれる。クラスでの地味な姿とはまるで違う、行動的で判断力のある姿。

「でも、昨日までいなかったのに、いきなり転校してきたり……気になるのは当然だろ」

「……知らなくていいこともあるよ」

 天花はそっけなく肩をすくめた。その表情には、何かを隠しているような、逆に素の顔を見せたような不思議な余韻があった。

 屋上に吹く風が、二人の間の距離を埋めるように流れる。

「とにかく、あんまり無茶しないでよ」

 天花はそれだけ言い残し、背を向けてビルの奥へと消えていった。

 その夜。電車に揺られながら、俺は彼女の制服姿をずっと思い出していた。

(神崎天花──この子、いったい何者なんだ……)

 答えは見えないまま、夜だけが更けていった。


 翌週。あんな修羅場をくぐったとは思えないほど、高校の空気は相変わらず穏やかだ。  神崎天花はいつもの席で静かに授業を受け、必要なときだけさらっと答える。あの「危機からの救出劇」を演じた人と同じとは思えない。周りもまったく以前と同じで、「天花ちゃん、次のテストどうする?」なんて気軽に話しかけている。

(昨日までのあれは、まさか夢だったんじゃ……)

 机に頬杖をつきながら、あのとき味わった恐怖と、彼女の凛とした横顔を思い出す。

 教室の壁面ディスプレイには次のテスト範囲が映し出され、AIアシスタントのヒューマノイドが教師の指示に合わせてスライドを自動で切り替える。タブレットには資料が同期され、教室のメカノイドからもAIの補足アプローチが展開されていた。

 それでも俺は、メカノイドに話をあわせるふりをしながら、つい神崎の姿を探してしまう。ノートを取る彼女の仕草に、あの夜の記憶が重なる。


 ある放課後、桜井琴葉が「民部くん、ちょっといい?」と声をかけてきた。

 打ち合わせスペースに移動すると、彼女はノートパソコンを閉じ、小声で切り出す。

「神崎天花さん……ちょっと怪しくない?」

「……え?」

 ドキリとする俺をよそに、桜井は落ち着いた口調のままだった。

「この前の情報漏洩事件、不正アクセスが何件かあったんだけど、そのアクセスの一部が神崎さんの行動記録と部分的に重なってるの。偶然かもしれないけど」

 さらりと爆弾を落とすあたり、桜井もただ者ではない。俺は思わず聞いた。

「それ……どうやって知ったんだよ?」

「……企業秘密。まあ、言える範囲で言うなら、私だって、それなりの情報網を持っているってこと……それが何だかは教えられないけどね……」

 彼女の口ぶりには確かに何かを伝え、何かを隠している雰囲気があった。学校外に独自のネットワークがあるのだろう。とはいえ、彼女自身が嘘をついたり、変な思想に染まってるような不穏さはない。むしろ理性的で整然とした冷静さがあるからこそ、余計に得体が知れなかった。

「民部くん、神崎さんに何か心当たりない?」

 そう言われて、新宿での出来事が頭に浮かぶ。でも、あれをどう説明したらいいのか見当もつかない。

「いや、別に……」と曖昧に答えると、桜井は俺の目を見たまま、一瞬だけため息をついた。

「そっか。まぁ、私も断定はしてない。でもさ、”神崎天花”って、明らかに普通の女子高生じゃないでしょ。民部くんも気をつけてね」

 そう言って彼女はパソコンを開き、キャンプの準備作業に戻った。

(桜井……お前もいったい何者なんだ……)

 桜井は「真面目な委員長タイプ」で通っていたが、その奥にはもっと広くて深い情報世界を持っているように見える。単なるITスキルじゃなく、どこか外部と接続された感覚。情報の渦の中で自分なりの尺度をもって動いている人物──そんな印象があった。

――それにしても、天花は……  あの夜の“救出劇”を経て、天花に対する気持ちは確実に変わった。恋心というよりも、もっと根深い問いが心に残っていた。

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