第3話 無自覚な迷い

 その頃、神崎天花の姿はやっぱり見当たるはずもない。成績は平均レベル、スポーツもそこそこ──いわゆる「普通」の範囲らしく、放課後は誰とも話さずに帰ってしまうってウワサだ。

(逆に、あえて目立たないようにしてるのかも……?)

 ふと、そんな疑惑が頭をよぎる。情報漏洩の大きな事件があった直後に転校してきた彼女。それなのに、クラスに馴染むスピードがやけに速いのが気になる。

 何を考えてるのか──さっぱりわからない。でも、そのミステリアスな空気に意識を奪われてしまう。

 隣の桜井が「民部くん?大丈夫?」と声をかけてくれるまで、ずっと天花のことを考えてたなんて、自分でもちょっと驚きだ。

 桜井との準備作業は驚くほどスムーズだった。AIがリストアップした候補地をもとに、宿泊先のプランをぐいぐい絞り込んでいく。

「これを先生に見せて、予算の申請をすれば……うん、ひとまず大丈夫そう」

 桜井は端末を閉じながら、どこか物静かに微笑む。

「助かった、ありがとう。正直、俺じゃこんなにパパッとまとめられないよ」

「……いいの。委員長の仕事だし」

 小さく目を伏せる彼女は、噂じゃ貧民層の出身らしいけど、それを補って余りあるITスキルの持ち主。そんな姿に、一瞬「同じ高校生には見えないかも」と思ってしまった。

「私、キャンプとかで大人数ではしゃぐのはあんまり得意じゃない。でも、どうせやるならちゃんと成功させたいし……少しだけ楽しみ、かな」

「そっか。俺も……まあ、準備が大変だけど楽しみはある。正直、まだ実感ないけど」

 二人の間に、控えめな笑いがこぼれる。桜井琴葉は、まるで大人と子どもの境界を一歩先に踏み出してるみたいで、俺にとってはちょっとした刺激だ。天花に抱く不可思議な興味とは別の、純粋な尊敬に近い感覚──それが胸の中でじんわり生まれてくるのを感じる。

 帰り際、作業を終えて、いるはずの無い神崎天花の姿を探して昇降口を見渡してはっとする。

(いるわけが無いだろう、俺は何をやっているんだろうか……)

 しかし、キャンプの話も全然口にしないし、存在感があるんだかないんだか……

(もしかして、あの子はキャンプ参加しないのかな?でも担任は全員参加って言ってたし……)

 ふと、そんな疑問を抱きつつ、校舎を出てみると、夕暮れの風が肩を撫でた。

(あの冷静すぎる表情の奥に、いったい何が隠れてるんだろう?)

 全然わからない。でも、わからないからこそ惹かれてしまう。彼女への興味が消えるどころか、どんどん大きくなってる……そんな自分に気づいて、胸が騒ぐ……


 その夜、スマホに届いたメッセージを開くと、送り主は委員長の桜井琴葉だった。

「明日の土曜、旅行代理店の下見に行かない?」

 そんな内容だ。都内の店舗へ行って、いくつかプランを見比べるらしい。特に予定はないし、副委員長としての責任もある。俺は素直に「了解」と返事して、そのまま眠る準備に入った。


 翌日、桜井が指定してきたのは、駅前の再開発ビルに入っている情報サービスセンター。図書館や区役所の出張所なんかが併設された総合施設で、高性能の端末を安く使えるという。まさに桜井らしい、徹底的に合理的なチョイスだ。

 到着した俺を待っていた桜井は、地味めな服装ながらどこか落ち着いたオーラがある。彼女の瞳を見ると、普段は静かな分、少しだけワクワクした感じも伝わってくる。

 館内で端末を借りると、桜井は慣れた様子で旅行代理店のサイトやプランをチェックし始めた。画面を切り替えながら、宿泊先やアクティビティを論理的に精査していく姿は、まるで小さな経営者のようだった。

「一通り絞れたら、直接店舗にも行ってみよう。やっぱり担当者と話したほうが詳細わかるし」

「了解。副委員長だし、ちゃんと意見出すよ」

 俺が答えると、桜井はちらりと微笑む。はにかむような、小さな微笑みだった。

 まわりを見渡せば、施設内には老若男女が思い思いの用事をこなしている。桜井の横顔を眺めながら、「こんな場所を使いこなすなんて、さすがだよな……」と改めて感心していた。

 こんな社会の中で、桜井のように“大人びた少女”が自然に振る舞っている姿には、ふと不安も覚える。まるで、子どもが大人の都合を代弁するようなAI時代の申し子──そんな違和感さえ漂っていた。


 都内へ出るには電車を乗り継がなきゃならない。週末の新宿駅は観光客や買い物客でごった返し、主要改札口はまるでお祭り騒ぎだ。

 桜井と俺は人混みをかき分けて地下通路を進むけど、あちこちで流れるアナウンスと巨大な看板の洪水に、頭がクラクラしてくる。

 そんな中、俺はふと足を止めた。雑踏の先に、見覚えのある黒髪がちらっと見えた気がして――しかも、なぜか制服姿だ。

(神崎天花……? こんなところにいるわけが……)

 こんな場所に彼女がいるはずがない。わかっている。理屈では、そんなわけがないとわかっていた。

 けれど、「あれは彼女だ」と直感してしまう。思考よりも早く、どうしようもなく身体が動いていた。

「ごめん、ちょっと!」

 桜井に声をかける暇もなく、俺は雑踏へ飛び出していた。

 地下道を抜け、ビル街へと飛び出す。狭い路地に入った先、ビルとビルの隙間を縫うような迷路に似た道が続いていた。彼女は一瞬だけ振り向き、まるで挑発するように細い路地へすっと消えていく。

(追わないと……!)

 まるで「こっちにおいで」と手招きされているようで、俺は立ち止まる気になれなかった。入り組んだ飲食街を抜け、小型ラボや無人倉庫が並ぶ未来的な一角へ出る。コンクリートに反射する人工光が、現実味を失わせる。視界の端を黒髪がよぎるたび、次の瞬間には消えてしまう。誘われているのか、からかわれているのか──まるで夢の中を歩いているようだった。

 何度も曲がっているうち、いつの間にか大通りに戻ってしまう。スマホの地図も、現実の道も一致しない。

 気づけば、人波の向こうに―― 腕を組んだ桜井琴葉の姿があった。

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