第2話 見えない波紋
それから数日、副委員長の雑用やクラスの打ち合わせに追われ、隼人や翔平とゲームをする時間もなくなってしまった。それでも、心の片隅にずっと神崎天花の名前が引っかかっていた。
(あの廊下の子、本当に神崎天花じゃなかったのか……?)
そんな疑問が湧くたび、あの黒絹のような髪や、すれ違いざまに感じた空気の震えが胸の奥で再生される。だが、クラスメイトに話しても「誰それ?」と笑われるばかりで、むしろ俺が“妄想をこじらせた人”扱いされそうな空気さえ感じ始めていた。
ある日の放課後、下校ラッシュの校門前で足を止める。赤、紫、青のバッジをつけた生徒たちが入り混じって街へ消えていく。ホログラム表示の予定表や、耳元のAIアシスト機器越しに賑やかに会話する姿も多い。
その人混みの向こうに、一瞬、“あの黒髪”が見えた気がした。思わず背伸びして目で追うが、すぐに雑踏の中に消えてしまった。
(やっぱり、いるんだよな……)
根拠はない。でも俺はなぜか、彼女が存在すると直感した。
翌朝、学校に着くと、正門前には警察車両が二、三台並び、制服警官が校内を出入りしていた。数日前から警察が来ているのは知っていたが、今朝は赤色灯まで点灯している。
「また来てるのか……」
校門をくぐると、教師らが警官たちと深刻そうに話している。何かあったのかと思いながら教室へ向かう途中、クラスメイトが不安げに話しかけてきた。
「なあ陸斗、これ、本当に個人情報漏れただけで警察来てんの?」
「わからないけど……なんか、騒ぎすぎじゃない?」
教室に着くと、始業時間になっても担任は現れず、「二時間目まで自習」という通知がメッセンジャーで届いていた。教室のスクリーンにも「自習中」の表示が浮かんでいる。
生徒たちは席を移動し、スマホや情報端末を手に騒ぎ出した。
「山城ー、お前の家って理事だろ? 何か聞いてない?」
親が学園の役員である山城隼人はクラスメイト数人に囲まれて困ったように苦笑いした。
「いや、マジで知らないって。昨日、親父に聞いたけど『卒業生のデータが流出したかも』ってくらいしか言わなかったし」
「それ絶対、何か隠してるよな……」
隼人の言葉に皆が疑いの目を向ける。
「そりゃ俺んちだって学園の全部知ってるわけじゃないからさ……」
その時、翔平がスマホを見ながら、焦ったように言った。
「ねえ、速報出てる!『○○学園高校で個人情報漏洩か』って」
その一言で教室が一斉に静まり返る。
スマホ画面には、大手ニュースサイトの速報記事。学内のID管理システムが不正アクセスされ、生徒や教師のデータが流出した可能性があるという。中には、ヒューマノイドの制御システムデータまで漏れたのではという噂も書き込まれていた。
「マジかよ……」
「だから警察来てんの?」
「でもパトカーまでって、やばくない?」
不安そうなざわめきが教室に広がる。ただの情報漏洩ではない何かが隠れているのかも――ふと、胸の奥で小さな疑問が生まれる。
(これ、もしかして神崎天花と関係あるのか……?)
ただの好奇心では済まされない、小さな不安が胸に広がり始めていた。
やがて二時間目のチャイムが鳴るころ、担任の笠松先生がバタバタと教室に入ってきた。
「みんな、席に着いて。色々と世間を騒がせているけど、授業は通常通りだ。あとで説明できる範囲は話すからね……」
先生は平静を装っているが、その声には焦りがにじんでいるように見える。
「それから、今日は転校生を紹介する。入ってきて」
先生が手招きすると、廊下からあの黒髪の少女が姿を現した。
クラスが一瞬ざわめく。そう、間違いなく神崎天花だ。
昨日まで“存在しない”はずだった彼女が、公式に転校生として紹介されるなんて……モヤモヤした気持ちもあるが、俺は思わず身を乗り出して神崎天花を見ていた。
「神崎天花です。親の転勤の都合で新学期に間に合いませんでしたが、今日からこのクラスでお世話になります。よろしくお願いします」
彼女の声は落ち着いていて、感情の揺らぎがまったく感じられない。男子の何人かは「めっちゃ美人じゃん」「オレいけるかな?」などと小声で盛り上がっているが、天花本人は気にする様子を見せず、短い挨拶だけで口を閉じる。
「それじゃあ、神崎の席は……民部、悪いが後ろの空いてる席を準備してくれないか」
突然指名された俺は、少し面食らいながら「はい」と返事をする。授業前に机が用意されていなかったのも不思議だが、とりあえず教室の片隅から予備の机を引き出して後方の空席に設置する。
「神崎さん、どうぞ」
「ありがとう」
天花の瞳はほぼ無表情だけど、ほんの一瞬だけ笑ったようにも見えた。ドキリとするが、そのまま何も言えない。
(なんだろ……俺、ちょっと浮かれてる?みんなの前でバレたら恥ずかしいんだけど……)
思わず顔をそらすと、彼女は何か言いたげにも見えたが、すぐに視線をまっすぐ前へ戻した。
「ヨンイチに間に合わない転勤ってなんだろうな…」
近くの男子がヒソヒソと耳打ちしてくる。俺は曖昧に頷きながら、担任の「システムミス」「事務ミス」という言葉を思い出す。情報漏洩のニュースもあるし、もしかしたら裏に何かあるのかもしれない――そんな疑いが胸をうずかせた。
昼休み、購買のパンを物色していた俺の肩を、翔平が軽く突いてくる。
「でさ、結局のところ陸斗は、神崎さんのことが気になってしょうがないんだろ?」
隼人もニヤッとしながら「そういや、なんか最近、神崎の話題ばっかりしてるよな」と追い打ちをかけてきた。
「いや、別にそんなんじゃ……」
「へえー?」
俺が口を開くなり、二人は待ってましたとばかりに腕を組んでみせる。
「じゃあさ、この前の授業中に彼女ばっかりチラ見してたのは?」
「オレらが『神崎さんホラー説ない?』って言ったとき、めっちゃムキになって否定してたよね?」
「……お前ら、俺をイジるために生まれてきたんじゃないだろうな」
「そりゃ大げさだって。俺たちは、友の青春を全力サポートしたいだけだぞ?」
翔平が軽くウィンクし、隼人は肩をすくめる。冗談めかしているくせに、その目には「お前、マジで気になってるだろ?」って含みが隠せていない。
いつものからかいなら余裕でスルーできるはずなのに、今回はどうにも言い返しづらい。自分でも、何か大事なヒントをつかみかけてるような気がしているからだ。
新学期早々に起きた個人情報漏洩の事件は、ひとまず落ち着いた風に見える。でも、本来“いない”はずだった神崎天花が、何事もなくクラスに溶け込んでいるのはやっぱり不自然だ。
生徒会の副委員長となった俺は、事件後のバタバタした空気の中で雑用に追われている。教師たちも情報漏洩対応で手一杯らしく、細かいクラス運営まで目が回っていない。
そんな状況下でも、天花は授業のノート提出やプリント回収なんかを、見事なほど“普通”にこなしている。放課後はさっさと帰ってしまうから、俺も話すチャンスがなかなかつかめない。
一方、生徒会では夏休みの宿泊研修──名目は「学習行事」だけど、実質キャンプみたいなイベント──の準備がスタートしていた。副委員長の立場として、その企画に携わらなきゃいけないのだけど、今は天花のことが気になりすぎて集中できるかどうか不安だ。
放課後、ホームルーム終了後の教室で一人リストを眺めていると、同じく委員長を“押し付けられた”桜井琴葉(さくらい ことは)が静かにやってきた。ボブカットの髪が揺れるたびに、その落ち着いた雰囲気が際立つ。
彼女はホログラム型のタッチパネルを展開し、AIアシスタントを使いながら、あっという間にキャンプのプランを組み立てていく。行程だけでなく、参加者の特性に応じた配置や、全員が関われる企画設計まで考慮されていて、まさに“最適化”されたプランだ。
「すごいな……まるで旅行代理店みたいだ」
つい感嘆の声を上げると、桜井は淡々とした口調で答える。
「……別に。AIに聞けば一瞬だし」
本人はそう言いが、ただAI任せなわけじゃない。提示された選択肢を自分なりにアレンジして、最善のかたちに調整していく彼女の動きは、大人びて見えた。
「ほかのみんなは、あんまり協力してくれなさそうだね」
桜井がぽつりと口を開く。
「部活とか塾とかで忙しいってヤツもいるし、そもそもキャンプ興味ないって輩も多いし……」
「そっか……でも、私、キャンプ行ったことなくてイメージ湧かないんだけど、どうせやるならちゃんと形にしたいし。がんばろうね」
そう言って桜井は再び作業に集中する。彼女が委員長になったのも、俺と同じく“押し付けられた”結果だって聞いたけど、その真面目さとスキルには正直頭が上がらない。
(天花に感じるのとは違うけど、桜井にはなんだか素直に尊敬しちまうんだよな……)
そんなことを考えつつ、俺はリストを更新していく。これから待ち受ける夏休みの研修が、意外と波乱のスタートになりそうな予感がしてならない。
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