神崎天花のABC ── AI, Bionics, Communication of Tenka Kanzaki
市野沢 悠矢
第1話 始業式と神崎天花
四月の朝。校門前の坂道には、新年度の始まりを告げるように、学年違いのネクタイで区別された制服姿の生徒たちが行き交っていた。まだ肌寒さの残る風が吹き抜けるなか、春の空気はどこか高揚と緊張を孕んでいる。
民部陸斗(たみべ りくと)は、人波を眺めながら校門をくぐった。昨年と同じ私立学園高校の制服に袖を通しているが、クラス替えによる微かな違和感が胸に漂っている。見知った顔もあれば、まだ一度も言葉を交わしたことのない生徒もいる。
生徒用玄関の前では、真新しいモデルのヒューマノイドが挨拶運動を続けていた。
「おはようございます。認証完了、登校記録を更新しました」
機械の柔らかな声は、返事があってもなくても一定のリズムで保たれ、認証された生徒の胸には電子ホログラムの名札が起動する。本来、生徒会や教員が担当するはずの挨拶運動だが、学期初日は誰もが慌ただしく、まるごとヒューマノイドに任されているのが実情だった。
──だからこそ、陸斗は奇妙な光景に足を止めた。
人影がまばらになった瞬間、一人の女生徒がヒューマノイドの前を通り過ぎる。それなのにヒューマノイドは挨拶をしない……。無視したわけでも、センサーが故障したわけでもない。まるで旧知の家族とすれ違うときのように、互いの存在を当然のものとして受け止めているかのようだった。
次の瞬間、ヒューマノイドが陸斗へ向かって首を傾け、いつもの調子で「おはようございます」と声を掛けた。その機械音を聞いた瞬間、その女生徒は振り返った。胸元のホログラム名札が朝日に虹色の光を放ち、「神崎天花」という文字を鮮烈に映し出す。
艶やかな黒髪、整った横顔。その瞳は一瞬だけ陸斗を映し取り――薄氷のような冷たさと、芯に秘めた強さ同時に放っていた。
――やばい。
呼吸が止まる。鼓動が速くなる。初対面で、ドキリとするようなことは稀にあるが、今まで、こんなに惹きつけられることは無かった……そして、身体は言うことを聞かない。周囲のざわめきが遠ざかり、まるで彼女だけが世界から切り取られたみたいだ。
「おはよう」
神崎天花は、控えめな声でそれだけ告げると、「おはよ……」と言いかけた陸斗の返答を待たずに踵を返した。朝日を浴びて揺れる髪先が、虹色の残光を細く散らす。めまいにも似た高揚が胸を突き抜け、陸斗は現実に戻り立ち尽くした。
さっきまで名も知らなかった少女。だが胸のどこかが、彼女こそが物語の中心だと告げている。
すれ違いざまの空気がわずかに揺れ――その余韻を抱えたまま、陸斗はゆっくりと玄関に向かった。
始業式を終え、新しいクラスへ移動すると、そこには見慣れたようでいてどこか異質な空間が広がっていた。長方形の教室。整然と並ぶ机。それ自体は変わらないはずなのに、壁際にはホログラフィック投影装置がずらりと並び、若い担任教師がAIタブレットを操作している。
スクリーンには「教材データ同期中」「投影準備完了」といった文字が流れ、プロジェクションは自動で切り替わっていく。
生徒たちは一様に制服を着込み、胸元には赤・紫・青のバッジ。赤は日本人、紫は外国籍、青はヒューマノイド。形式上は平等だが、スマホやバッグの細部に滲む差異が、見えない壁を感じさせた。
この時代の学校では、ヒューマノイドが人間と同じように席に着き、クラスの一員として振る舞っている。彼らの原型は、かつて教育支援用に開発されたロボットだった。かつて、文化の涵養やSNSの監視、学内備品管理など、実務的なサポートを担っていた。それが、バッジ制度の導入とともに、より人間らしい存在として教室に溶け込むようになったのだ。
とはいえ、その境界は明確だ。形式上は生徒と同じ扱いをされながらも、法的にはあくまで教育補助の「機械」。その存在が、教室内の無言の空気を和らげ、社会の緩衝材となっている──そんな微妙な立ち位置
組替えの結果、初めての級友も多いものの、3学年ともなれば概ねは顔見知りだ。「見ろよ、隼人のスマートウォッチ、第5世代の上級モデルだぜ」
「うわっ、マジかよ……俺のとは比べ物になんねぇ……」
小さな羨望や軽い嫉妬が混じる声。それを笑いながら受け流すクラスメイトたち。だがその奥には、「どうせ将来は経済力で進路が決まる」という静かな諦めも、かすかに漂っているように感じられた。
名簿順で席に着きながら、ふと気づく。俺の隣の席だけが、ぽっかりと空いている。
「なあ、この席……誰?」
近くの生徒に小声で尋ねると、皆首をかしげる。担任がタブレットをいじり、ヒューマノイドが応答した。
「該当席:神崎天花。登録情報を表示しますか?」
──神崎天花。
あの、黒髪の少女。偶然か、運命か。その名前に、胸の奥がかすかに震えた。しかし、昼休みになっても、神崎天花の姿はなかった。
(……やっぱり、あの子だったんだよな?)
ミルクティーを片手に、窓の外をぼんやり眺める。
「陸斗ー、飯行こうぜ!」
隼人と翔平が声をかけてくる。隼人は理事の家の息子、いわゆるボンボンだ。翔平は海外帰りの陽気な生徒、今年になってから帰国してきたらしい。
「なあ、神崎天花って……知ってる?」
きょとんとした二人の表情。
「誰それ?」
「なんか名簿にはあったけど、先生が『事務ミスだ』って怒ってたぞ……」
事務ミス──? それにしては、席まできっちり用意されていたし、あの存在感はあまりにも鮮烈だった。
「まさか……陸斗、幻でも見たんじゃないのか?」
隼人の冗談に翔平が笑う。
「気になるなら、直接確かめるしかないっしょ……」
直接確かめるって、それができたら苦労しない。翔平の無責任な軽口を受け流しながらも、胸のざわめきは消えなかった。
放課後、席に座ったまま、“神崎天花”で検索してみる。──ヒットなし。SNSにも、ニュースにも、不自然なほど何一つ情報は出てこない。
「まだ調べてんのかよ、陸斗ー」
翔平が笑いながら背後から覗き込み、隼人も腕を組んでからかってくる。
「謎の美少女、か……青春だな」
思わず苦笑いするが、内心は穏やかではない。
(……俺、ほんとに一目惚れしたのか?)
数日後、担任に呼び出され、職員室へ向かう。
「悪いな、民部。生徒会の副委員長、頼むぞ」
唐突な任命に戸惑い、ちょっとした抵抗を試みるが、先生はすでにタブレットで決定事項を入力していた。ノーと言えないタイプだった陸斗は、どうせ言い争ったって時間の無駄になるだけだと先回りして諦めていた。
「このクラスは、帰国子女もいれば、富裕層やダウンタウンの生徒もいる。ヒューマノイドもいるしな。お前なら公平にまとめられるだろ」
公平?ヒューマノイドの提案なんて、ただの平均値の羅列だ。それを調整する役割を言い出す時点で、この説得に本質的な意味など無いことを思い知る。
「それと神崎天花の件だが、事務処理のミスだったらしい。気にするな」
昇降口から見える近未来都市のネオン。煌めくホログラム広告。AIとヒューマノイドに支えられたこの世界で、俺は── あの黒髪の少女だけが放つ違和感を、まだ追いかけていた。
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