(3)――「……嘘だろ?」

 全員がバスに乗り込んだのを確認すると、さきほどの中年男性が運転席に座り、発車した。

 正気じゃない。

 バスに乗ってしまってから、後悔が鬼のように僕を責め立てる。

 しかし、僕以外の全員があれだけ楽しそうな表情を浮かべていたのだから、もしかしたら、僕だけが知らない情報があるのかもしれない。そういえば、パンフレットは斜め読みしかしていなかった。

「麻耶、あのパンフレットって今も持ってる?」

「あるよ。でも、いまさら?」

「ちょっと確認しておきたいことがあって」

「ふうん?」

 麻耶が小首を傾げつつも鞄からパンフレットを取り出す間、僕は呆然と窓の外を眺めていた。どうやら、バスは海辺の近くを走っているようだ。恐らく、道路の都合だろう。徐々に海に近づき、ゆっくりと入水するのだ。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 麻耶からパンフレットを受け取り、改めて中を確認する。

 直球に集団自殺を謳う文言はない。あくまで、海底探検を主題に据えた案内しか書かれていなかった。が、途中で車を乗り換えるようなことも書いていない。それではこの人たちは何故、海底探検を謳いながら普通の観光バスに乗せられていることに疑問を抱かないのだ? 

「あっ、蛍介、ほら、海だよ!」

 そう言われ、僕は反射的に顔を上げた。

 海。

 海だ。

 陽の光を浴びて、海はきらきらと輝いている。

 バスは、ぐんぐんと、加速して。

 だんだんと、海が近づく。

「皆様、お待たせ致しました。これよりバスは海へと参ります」

 さも当然のようなアナウンスが入ったかと思うと、バスはざぶんと海へと飛び込んだ。

 ああ、死ぬ。これから死ぬんだ。

 ぎゅうっと目を瞑り、その瞬間を待つことしかできない。

 じきに隙間から海水が入ってきて、だけど水圧で窓を開けることはできなくて、僕らは全員溺死する。最期の瞬間、麻耶が隣に居てくれて良かった。彼女と死ねるのなら、これ以上の幸せはない。だって僕は、麻耶のことが――

「蛍介、外を見てよ」

 隣から陽気な麻耶の声がした。

 逃れられない死が目前に迫っているとは思えない声音に、僕は恐怖を覚えながら目を開ける。

 どうせ死ぬのなら、麻耶が僕に見せたいなにかを目に焼きつけてから死にたかった。

「……嘘だろ?」

 どうにかそれだけの言葉を絞り出して、僕はまじまじと窓の外を見遣る。

 バスは水に呑まれるどころか、空気の膜に包まれていたのだ。

 なんだこれは。どういう原理だ?

 未知の現象に、理解が追いつかない。

 しかしどうやら、このバスの中で溺死することだけは避けられたようだ。

 なにを推進力としているのか、バスはすいすいと海の中を進んでいく。まるで、なにかに引っ張られているかのように、その進みに迷いはない。

「綺麗だねえ」

 混乱する僕の隣で、麻耶は深海の風景をうっとりと眺めている。

 この状況が当たり前であるかのように。

 しかし、パンフレットのどこにも、そんなことは書かれていなかったはずだ。まさかこれが最新の技術とやらなのか? それならもっとメディアが騒ぎ立てているはずだ。

「まもなく海底に到着致します」

 そのアナウンスに、車内が一気にざわめき立つ。

 海底探検ツアー。

 そうだ、元々はそういうツアー名だった。ようやく本日のメインがお目見えするのだから、これだけ参加者のテンションが上がるのも当然といえば当然か。

「目的地に到着致しました。お降りの際は足元にお気をつけください」

 そうしてバスのドアが開かれ、乗客は次々に外へと飛び出して行く。

 海底に到着したとして、バスの外に出たらどうなるのか。バス同様、不思議な空気の膜で覆われた空間があるというのだろうか。

「私たちも行こう」

 麻耶に手を引かれ、僕の身体もバスの外へと連れ出される。

 妙な緊張感で心臓が跳ねる。

 果たして、バスの外はどうなっているのか。

「うわあ……」

 思わず、感嘆の声を上げた。

 海の底に、小さな街が形成されていたのだ。

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