切り捨てた結果
異端者
『切り捨てた結果』本文
「すみません。今日はこれで失礼します」
若い男が申し訳なさそうに言った。
「ああ、構わんよ。二人目の奥さんの出産だったな」
上司の男がそう答える。
若い男は慌てて出ていった。
今日は、彼の二人目の妻の、彼にとって四人目の子どもの出産日だった。
22XX年、日本では一夫多妻制が認められていた。
その経緯は、百二十年ほど前に
その頃には、ヒトゲノムの意味までがほぼ完全に理解され、遺伝病等のリスクが簡単に予期できるようになっていた。
日本政府は、婚姻の意志がある男女に自らの遺伝子の開示を義務付けた。先進国の多くは既に導入しており、保守的な考えによりかなり遅れたものだった。
これにより、結婚相談所等では学歴や収入、容姿はもちろんのこと、遺伝情報までもが選別の基準となった。
遺伝情報で病気になりやすい等のリスクのある相手は避けられるようになり、より優れた遺伝情報を持つ相手に群がるようになった。
これにより「遺伝子格差社会」が誕生した。
いくら本人が頑張ろうとも、より良い実績を残そうとも、先天的な遺伝情報が劣っている人間は「負け組」とされ、恋愛や結婚の対象とされなくなった。
それを後押ししたのが先に挙げた一夫多妻制の導入である。男性は女性を心身共に満足させられるのであれば、複数の妻を持っても構わない――少子化に悩む日本政府が考えた、遺伝的弱者切り捨ての苦肉の策だった。
最初は女性差別だと言う声もあったが、女性がより優れた男性と結婚できる機会が増えるのだと知ると鳴りを潜めた。
こうして、容姿や年収、遺伝情報等に優れた男性は女性と次々結婚し、その子孫を積極的に残した。そうして少子化に歯止めがかかった。
また、それにより優秀な遺伝子が選別された結果、次の世代はより優秀な人材が増え、経済的に急成長した。
当初批判的だった他国でも、同様の制度が導入されるようになった。
こうして、容姿、頭脳、運動神経等全てに優れた人間が溢れかえり、人類の未来は明るいように見えた。
それでも、専門家はそれを批判する者も少なくなかった。より良い遺伝子に群がった結果、遺伝子多様性が失われる、と。
しかし、人々は耳を貸さなかった。今こうして成功しているのに、何を恐れる必要があるのだろう、と。
人々は更に優れた遺伝子を求め、遺伝的階級を位置付け、一定の階級以上でないと子孫を残す資格を与えないようにした。
万が一、それ未満の下級民が子どもを産んだ場合、
嘆き声をあげる母親と止めようとする父親。それを無視して産まれたばかりの赤子を殺す処理班。その地獄絵図すらも、もはや他人事だと思われていた。
こうして、下級民は子孫を残せず、絶滅した。
後には、優秀な人間のみが残った。
今日では、美男美女など珍しくもなく、道を歩けば溢れている。
「おお、産まれたか!」
分娩室に入った彼が嬉しそうに言った。
「あ、あなた……それが……」
二人目の妻は何か言おうとしたが、目を伏せた。
「どうした?」
彼は尋ねた。
「誠に残念ですが……」
医師が、産まれたばかりの赤子を見せた。
「それ」は、おおよそ人とは呼べない形をしていた。既に息は無かった。
「な、なんだ……これは……」
彼は言葉を失った。
他の者も黙っていた。
誰もが、この場にふさわしい言葉を持っていなかった。
一見して、遺伝子格差社会は成功したように見えた。
だが、それは大きな歳月を経て最悪の「結果」を生んだ。
徐々に、奇形や先天的な遺伝子病を持つ子どもが生まれるようになったのだ。
すぐには、原因が分からなかった。
優れた遺伝子だけを選別したはずなのに、なぜそんな者が生まれるのか――それらを
優れた遺伝子を求めすぎた結果、多様性が失われる。
そうである。皆が同じように優れた容姿を。皆が同じように優れた頭脳を。皆が同じように――そう求め続けた結果、似たような遺伝子配列ばかりになって長期的に見た場合では同じ遺伝子交配が続く、近親交配に近い形になってしまったのだ。
そうして、先に挙げた問題を持つ子どもが多く生まれるようになった。
各国政府は、遺伝子格差社会を是正すべく動いたが、全ては手遅れだった。
人々に植え付けられた固定観念はすぐには変えられず、また変えられたとしてもどうしようもなかった。本来なら多様性を保持すべきだった者は、既に絶滅していた。
ゴミ同然に保管されていた数少ない劣等遺伝子サンプルから、クローンを作って交配することを勧めようともしたが、誰も協力する一般人は居なかった。そもそも、できたところでサンプル数もクローン数も少なすぎて、焼け石に水だったが。
「どうか気になさらずに……あまり大きな声では言えませんが、近頃は多いんです」
肩を落として分娩室を後にする彼に、看護師がそう声をかけた。
「ああ、これで二人目だ。だから、知っていたが……どうして……」
彼はそう言うので精一杯だった。あまりのことに、妻に慰めの声を掛けることさえ忘れていた。
今度は、大丈夫だと思っていたのに……。
背後から、そんな妻のすすり泣く声が聞こえた気がした。
自ら遺伝子多様性を捨てた結果、人類は確実に絶滅へと向かっていった。
それは何世代にも渡って、より優れた遺伝子を求め続けたことの当然の帰結だった。
今、世界中の街で絶望の声が溢れている。
世界各地で大規模な暴動が起き、
しかし、かつての映画俳優のような美男美女たちがそうする姿は、どこか様になっていた。さながら、悲劇映画の一場面の如く――
切り捨てた結果 異端者 @itansya
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