番外編02-エドワールの頼み事

 リリアーヌが釈放されてから、5年が過ぎた。


 夕刻。教国首都にある高級娼館の裏口から、金髪で愛らしい顔立ちの女性が現れる。

 十代にも見えるあどけなさを残しつつ、瞳には二十代の静けさが宿っていた。


 教国娼館街の看板嬢……レイディ・リリ。


 待ち伏せしていた薄汚れた男が駆け寄る。


「リリアーヌ!」


 警備が止めようとするのを手で制し、リリアーヌは男の顔を覗き込んだ。


「あら? エドワール様。ご無沙汰しております……ずいぶんとお変わりですわね」

「まあね、いろいろあってさ」

「キヤノラル前子爵夫人のお屋敷にいらっしゃるとか。噂で耳にしておりますわ」


 リリアーヌは丁寧な口調を崩さない。

 この娼館での自分の売りは、元伯爵令嬢という肩書き。貴族だった頃以上に、言葉遣いには気を配っていた。


 エドワールの顔が引きつるが、すぐ取り繕うように笑う。


「リリアーヌのことも聞いていたよ。王国の元高位貴族令嬢が、教国の娼館にいるって。予約も取れない人気者だってね」

「まあ。それは光栄な噂ですわ」


 リリアーヌは笑みを浮かべる。その目に、かすかに警戒の光が差す。

 エドワールは曖昧な笑みでごまかした。


「少し、相談があって……」

「それでは、わたくしの部屋へどうぞ」


 ***


 寝台の上。リリアーヌはガウン姿で髪を整えていた。

 エドワールは、事後の満足げな顔で語りかける。


「相変わらず美しい。いや、以前より……」

「ご愛顧いただいておりますもの」


 エドワールの表情が、下卑たものへと変わる。


「キヤノラル夫人は太っていて、たるんで……もう、うんざりでさ」


 リリアーヌは優雅に眉をひそめ、おっとりと諌める。


「まあ。お相手の悪口とは……エドワール様もお変わりですこと」

「リリアーヌは? どんな客が来るの?」

「それは秘密ですわ」


 軽く受け流しつつ、彼の下半身に手を滑らせる。

 エドワールは気分を良くし、ここ5年の身の上を語り出した。都合のよいように、美化して。


「……いやあ、まいったよ。アウレスピリアの土地、あれ結局問題になってさ」


 リリアーヌは、おおかた承知していたが、「それは大変でございましたね」と当たり障りなく相槌を打つ。


「ちょっとね、父がやりすぎてたらしくて。兄貴も巻き込まれて……」

「まあ、それはご愁傷さま」

「いやいや、なんとかしぶとく生きてるよ。俺は運がいいから」


 エドワールは苦境に立たされ、アウレスピリア子爵となったノンナとの婚姻も解消された。

 というより、婚姻そのものが、遡って「なかったこと」にされた。

 もっとも、たまに虐めて遊ぶだけの「奥さん」だったのだが。


 ドスピランス伯爵家の嫡男である兄が、エドワールのために見つけた仕事が、キヤノラル子爵家の侍者。

 その前夫人・カロリアンヌに気に入られ、最近まで仕えていた。

 侍者……早い話が、愛人のひとりである。


 リリアーヌは笑みを絶やさぬまま、エドワールの自己正当化に満ちた話を聞いていた。

 高級娼婦の武器のひとつは、情報管理。

 彼の現状は、とうに把握済みだった。


「それで、相談というのは?」

「少し滞在させてほしい。ここを隠れ家に使わせてくれないか。凛々亭にツケがあってね……」


 母国で名高い賭場の名が出た瞬間、リリアーヌの眉がわずかに動いた。


「もちろん、対価は体で払うよ。俺たち、相性抜群だったろ?」


 リリアーヌは笑顔のまま立ち上がる。


「それでは、身体を洗ってまいりますわね」

「うん、俺は少し寝るよ。移動魔導具の揺れで疲れた」


 彼の声を背に、リリアーヌは風呂場へ向かう。

 扉を閉め、鍵をかけ、棚を開く。


 そこに現れたのは……隠し通路。


 通路の先には、老紳士が立っていた。


 リリアーヌは花が咲くように微笑む。

 老紳士が無言でうなずく。

 リリアーヌは振り返らずに歩き出す。心の中で、静かに告げる。


 ――エドワール様。あなたは知らないのでしょうけれど……わたくしのいまの「お役目」は、ただの娼婦で終わらないのよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る