第10話-ドンネステ博士、ソフォスアクシ公爵にお願いをする(博士と公爵視点)

 ドンネステ博士が崖の木に血染めの布包みが引っかかっているのを見つけたのは、ソフォスアクシ公爵令息マクシムが生まれてすぐの頃だった。

 

 帰国途中の山道で、異様な魔力を感じ取った。

 源は崖の枝に引っかかった布包みのようだ。

 

 中には、右目をえぐられた赤子がいた。血に染まり衰弱しきっていたが、身体は魔力を放っていた。

 

 博士は急ぎ野営を整えた。傷を浄化し、薬草を当て、重湯を口に流し込む。

 赤子は奇跡的に命をつなぎとめた。しかし、右目は止血以外、手の施しようがない状況だった。


 博士は目の奥に潜む魔力の反応を感じ取った。

 ――この暴力は力を封じるために振るわれた。

 その意味を理解する知識を博士は持っていた。


「おそらく……精霊眼の対の目を封じるため目を抉り取ったか」


 博士は顔を曇らせ独り言をつぶやく。

 赤子を清潔な布で包み直し、国境を越えた。

 

 ***

 

 自宅で待っていた妻は、赤子を抱いた博士を見て言葉を失った。

 しかし、博士が申し訳なさそうに視線を落とすと、妻は柔らかく微笑んだ。

 

「育てましょう。この子が、奪われた力を取り戻せるように」

「ありがとう。名前は……サンディ。砂色の髪をしていたから」

 

 妻は優しくサンディの髪を撫でた。

 

「いい名前だわ」

 

 妻は博士の兄と離婚した女性だった。子どもを望めぬ体質と診断されている。

 博士は彼女に求婚した。その後、30年間を支え合いながら暮らしてきた。


 サンディは、自然に博士と妻の家族となった。

 

 ***

 

 マクシムとサンディが10歳になった年。

 

 ドンネステ博士はソフォスアクシ公爵に面会を申し入れた。

 再会を喜び合いながらも、博士はどこか深刻さを感じさせる真面目な表情だった。

 

「閣下、お願いがございます」

「あなたが『お願い』とは珍しい」

 

 公爵は博士の真剣な表情を見て笑みを消した。

 

「10年前、貴国で遺棄された赤子を拾いました。右目は抉られていました」

「……誰がそんな真似を」

 

 公爵の声がかたい。自国で起きた残虐な行為への怒りが滲む。

 

「追及はしませんでした。死んだと思わせることが優先でした。右目には『対の目』が宿っていた可能性があります」

「精霊眼の能力を奪うためか……対の目を邪魔と見なしたのか」

「あるいは支配するためです。力を封じた上で、利用する意図があるのでしょう」

 

 博士は革製の眼帯をつけた少年の絵図を差し出した。少年は博士夫妻と笑っている。

 

「成長と共に、対の目の魔力反応が強くなりました。除去された右目の奥にわずかに残った力です。義眼を通じ、制御の訓練を続けています」

「ほう、義眼の制御か……難しいだろうに、よく耐えている」


 博士は誇らしげに「サンディは『まだやれる』と言い続けています」と言った。


 ふたりは義眼の技術について話し合い始めた。

 公爵の目が輝く。魔導具談義好きのふたりの表情は緩んでいた。

 しかし、ふと我に返ると顔を引き締める。

 

「話を戻そう。我が国でそんな非道があったとは……だが、調査は難しい」

「ええ。ですがサンディが成長すれば、この国で精霊眼の相棒と引き合う運命にあるはずです」

「そうだな。精霊眼所持者は生きていて、隠されていると考えるのが自然だ」

 

 博士はうなずき、「ですが、サンディの存在が明らかになれば、相手を危険にさらす恐れがあります」と言う。ふたりは重苦しい面持ちで黙り込んだ。

 

「確かに……ならばサンディが成長するまで、見守るべきだ。で、頼みというのは?」

「サンディが成長するまでに、私にもしものことがあったら……その時はサンディを閣下に託したいのです」

 

 博士の目を見つめ、公爵は静かにうなずいた。

 

「分かった。ただし条件がある。サンディが成長したら、私の息子マクシムの側近として仕える準備をしておいてくれ。凡庸な器では我が嫡男の側近は無理だ」

「お任せください」


 博士は微笑み、深く頭を下げた。


 公爵は「それと……『もしものこと』など、なしにしてくれよ」と軽口を叩き、博士は「大丈夫です。健康には自信があります」と胸を張った。


 ***

 

 4年後。


「……こういう形になるとは」


 公爵は顔を覆い、息を吐いた。静かに手紙を机に置く。

 しかし、すぐに顔を上げ、筆記用具を執った。

 ――この日のために、準備してきた。

 

 公爵が始めたのは哀悼だけではなく。希望の芽を育てるための行動だった。

 

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