私の週末、整う時間

長櫓愛希

私の週末、整う時間



平日の食事は、どうしても時間に余裕がなくなってしまうがゆえに、ついつい適当なものとなりがちだ。ここ数週間は特に…だった。



仕事を終えて、くたくたの身体で帰宅する頃には、コンビニのお弁当やお惣菜に手が伸びていることも少なくない。 


 

「栄養は、まあまあ足りてるはず」とか「野菜は、ランチの時に菜摘(なつみ:モ●バーガーの、バンズの代わりにレタスを使用したバーガー)で食べたし…」




…なんて、


そんな、自分に都合のいい言い訳を並べながら、なんとなく過ぎていく、日々のなにか物足りない食事に、私はもどかしさを感じていた。





しかし、それではいけないと、きちんとした食事を摂らねば…と猛省した私は、新鮮な食材を調達し、この週末は、丁寧に時間をかけて料理を作ることにした。






キッチンに立つ私の手には、いつもより少しだけ高級なトマト。



ごつごつしているけれど、つくり手の想いが伝わる味の濃いにんじんに、新鮮で艶やかな小松菜。



スーパーで目が合った、それらの食材たちをじっくり愛でる。そして、その切り口の香りをゆっくりと堪能する。





忙しさにかまけて、おざなりにしていた栄養バランスのよい、からだを思いやった食事を作るのは久し振り。




寝坊して朝食を抜いた日、インスタント麺で済ませた夜…、そんなダメダメだった数週間を振り返って、からだとこころに「ごめんね」と言う。 こんな時間は、さながら私の"ひとり反省会"でもあるのだ。





心を込めて、ていねいに味噌汁をつくり、野菜を刻み、魚を焼く。


それら、ひとつひとつに時間をかけることで、滋味が湯気となって立ちのぼり、キッチンに…そして、私のこころとからだいっぱいに広がってゆく。





「いただきます」



両手をあわせ、からだの声に耳を澄まし、食材に感謝をしながら美味しくいただく。



ひとくち、ひとくちと口へ運ぶたびに、こころとからだが喜び、「ありがとう」と言ってくれるような気がする。



そんなささやかな自分との対話が、疲労困憊していた私を整えてくれる。



食事を終えたあと、こころもからだも整ったことを感じられた。こういうことが、本当の意味での″豊かさ″なのではないか…と、ひとり思う。





子供の頃は、家族とごはんが当たり前だった。


食卓には、家族の健康を考えた栄養たっぷりの食事が並び、私たちの健康を気遣いなからつくってくれていたのだな…と。



改めて感謝をしながら、あの頃に想いを馳せるひとときも、気持ちが整い、また、愛おしい時間に変わる。






ーー私のからだになってくれて、ありがとう






私はいつも、こう言って食事をいただいている。



私たち人間が生きるために、犠牲になったたくさんの命があり、そのすべてに感謝をしなければバチが当たる。




「いただきます」とは″命をいただくこと″だ。




今日も私は、食事を大切に残さず″いただきます″




そして、




″私のからだになってくれてありがとう″




と…。









外食が重なったし、食いしん坊ゆえ、ひとり暮らしのくせして食費がけっこうかかるのよね…ショボンヌ…(´・ω・`)💦





エンジェル係数が高いのよの💧(´・ω・`)





(´・ω・`)ヾ(ーωー;) エンジェルではなくエンゲル…💢




(*´ω`*)ゞ そうともゆう〜✨





(*´ω`*)ヾ(ーωー;) ……ばか?

 








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私の週末、整う時間 長櫓愛希 @carameldrops

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