【連作短編】湯気のむこうの養生帖 〜細腕養生請負人・お絹〜
笹村平六
第一話 白米の呪い
「米の白さが、命を削ることもあるんですのよ」
品川の裏長屋、朝の炊煙が屋根をなめるように漂うなか。
お絹はふわりと笑いながら、囲炉裏のそばに膝を折った。膝の上には、まだ湯気の立つ七分づきの玄米がゆ。添えられたのは、小松菜のごま和えと梅干ひとつ。
「はい、どうぞ。熱いうちに、ね」
若い母親――お滝が、両手を震わせて受け取った。
その頬はこけ、髪はぱさつき、指の節はまるで火の消えた蝋燭のようだ。
そばには、まだ五つにならぬ子供がすやすやと寝息を立てていた。
「……こんなに、優しい香りのおかゆは、初めてです」
お滝の目に、じんわりと涙がにじんだ。
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数日前のことだった。
裏店の薬種問屋・十兵衛の紹介で、お絹はこの母子の元を訪れた。
寝たきりの子と、その世話に明け暮れる母。病名は――不明だという。診てくれた医者も匙を投げたという。
「白湯しか受けつけないのに、熱が引かないんです。それに、最近は、おかゆも……吐いてしまうんです」
お滝の声は、ほとんど風のようだった。
お絹は、炊事場に入ってすぐに気づいた。
米櫃には真っ白な精白米がぎっしりと詰まっている。質の良い米だ。だが――。
「これは、いつから召し上がってます?」
「はい、旦那様が亡くなって……口入屋を通して奉公に出ました。その時、お米だけは上等なものを……って、頂いて」
お絹はふと、父と兄のことを思い出した。ともに町医者として、小石川で本道を専門としていた二人。
玄米の効能や白米による体調の偏りについて、よく口にしていた。
『白米ばかり食ってると、脚気になる。命取りだぞ』
兄の声がよみがえる。
脚気――足のしびれ、倦怠感、心臓肥大、食欲不振、吐き気。
放置すれば、あっという間に命を落とす。
「それ、毎日召し上がっていたんですか?」
「……ええ。だって、おかずがなくても美味しいから……」
お絹は、お滝に聞こえぬように小さなため息をひとつつき、炊事場で手早く七分づきの米を研ぎ始めた。
白米からわずかに表皮を残した米は、香りもよく、栄養もたっぷりだ。
「今日からは、これを。体を整えながら、やさしく養うお米ですのよ」
お絹の声は、まるで母親のようにあたたかかった。
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それから五日――
子供の熱はゆるやかに下がり、少しずつ食べ物も口にできるようになった。
お滝自身も、顔色が戻ってきた。指先にほんのりと血の気が差している。
「お絹さん、本当に、ありがとうございます……」
「いいえ。私、養生の請負人ですから」
お絹は笑って立ち上がると、戸口へ向かった。その背に、お滝がぽつりと尋ねた。
「……どうして、そんなに、よくわかるんですか?私たちのこと、まるで家族みたいに……」
お絹は振り返らずに言った。
「私の家も、病人が絶えなかったんです。でも、食べ物ひとつで、変わることもある、ってことを、それを教えてくれたのが、父と兄でした」
そして、もうひとこと。
「米も、人も――磨きすぎると、脆くなりますわ」
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その夜。
お滝は、眠る子供の傍らで、そっと口ずさんだ。
「白い米じゃなくても、とっても、あったかいね。……おいしいね……」
戸の外には、長屋の灯がともり、夜の風が優しく吹いていた。
(第一話・完)
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