昨日まで役立たずの代役聖女でしたが、追放された隣国では大聖女やってます

桜枕

第1話 代役聖女

「セリーナ、お前には隣国に行ってもらうことになった」


 すっかり呼ばれ慣れてしまった名前は今日も心を込めて呼ばれることはなかった。


 黒髪にブラウンの瞳を持つ少女に与えられたドレスは、この屋敷の娘のお下がりで着回しているから所々がほつれている。

 屋敷の離れでひっそり暮らすことを強要されているセリーナが珍しく夕食に呼び出されたが、彼女の席はなく当然料理も並べられていなかった。


「先方は聖女を所望しているが、愛娘のマリアベルを辺境な地へ向かわせることはできない。そこで、異界から来た聖女であり、マリアベルの代役でもあるお前を選出することにした」


 離れから屋敷の本館へ向かう道中から嫌な予感は感じていた。

 屋敷の主人からの指示は書状を通して行われる。わざわざ呼びつけるのは十中八九、悪い知らせがある時だ。


「マリアベルの代わりとして最後の仕事だ。失敗するなよ」


 ある日、突然、異世界に召喚されたセリーナの衣住食を約束する代わりに命じられたのはこの国の聖女――マリアベル・ヴィンストン伯爵令嬢の代役だった。


 偶然か必然か、セリーナとマリアベルの顔つきと背格好はそっくりだった。

 ただ、髪色と目の色だけは異なった。セリーナが日本人特有の茶色の瞳を持つのに対して、マリアベルは鮮やかなブルーの瞳をしていた。


 異世界で生きていく術を持たなかったセリーナは命じられるままに異世界から来た聖女として、そしてマリアベルの代わりとして危険なお役目を全て行ってきた。

 セリーナとして活動する時は国民から心ない言葉を投げかけられ、マリアベルにふんしている時は誘拐されそうになったり、思い出すだけで身震いすることばかりの連続だった。


 しかも、セリーナは国の守り神とされる聖獣との契約も肩代わりしており、華奢な体の中には獰猛な獣を宿している。

 いつ我が身を喰われるかもしれないという恐怖と隣り合わせのせいで不眠になってしまったことも伝えてあるはずなのにヴィンストン伯爵はとんでもないことを言い出した。


「お前と聖獣――イグニスとの契約を強制破棄させ、マリアベルと再契約させる。これで名実ともにマリアベルが我が国唯一の聖女だ」


 あまりにも無慈悲な発言に頭が真っ白になった。

 王国守護のために聖獣と契約を交わした者が強制的に破棄させられるとは異例中の異例だ。しかも、わざわざ異世界から召喚した少女の体から引き剥がすなんて誰も考えつかなかった。


「聖獣との契約を破棄するとなれば体には相当な負荷がかかるだろう。それに聖女が使い魔を使役していないとあっては先方に顔向けできない。そこでだ」


 更に嫌な予感が脳裏をよぎる。

 あふれ出る生唾を飲み込んだセリーナの喉が鳴った。


「あんたの体からイグニスを引き剥がした後は、わたくしの使い魔と契約していただきますわ」


 伯爵の隣の席に座り、涼しい顔で食事を堪能していたマリアベル・ヴィンストン伯爵令嬢の突飛な発言にセリーナは堪らず声を荒げた。


「ダメ!」

「平気よ。セリーナは異世界から召喚された、とっておきの器ですもの。どんな使い魔だって扱いきれるはずですわ」

「そうじゃなくて! イグニスは危険な獣だって昔から言ってるでしょ!?  マリアベルの体への負担が大きすぎる!」

「自分だけが特別だと言いたいわけ? そんなことを言って、わたくしに渡したくないだけでしょう? 見くびらないで。わたくしの方がお前より上手にイグニスを飼い慣らせる」

「違う、違うの! イグニスは強力な聖獣だけど、性格が悪くて、隙があれば契約者を喰おうと目論んでいるのよ」


 食い下がるセリーナへの苛立ちを募らせるマリアベルがこれ見よがしに鼻を鳴らして笑った。


「その嘘は聞き飽きました。嘘をついてでも取られたくないのは分かります。でも通じませんわ。これはダン王太子殿下のご命令ですから」

「お願い、信じて! マリアベルにイグニスは重荷すぎる」

「……また、馬鹿にして」


 低く、唸るような声にセリーナはぎょっとした。


「この世で最も美しく、気高く、大切にされるべき真の聖女である、わたくしがより安全に、安心して、お役目に励むことができるようにすることがお前の生きる理由。今日までご苦労だったわね。代役聖女の汚名は返上させてあげるわ」


 不機嫌さを隠そうともせずに退室するマリアベルの後を侍女たちが追う。

 その姿を見送ったヴィンストン伯爵は大袈裟にため息をついた。


「また、その嘘か」

「嘘じゃない!」

「その口調を直せと何度言えば分かる!」

「っ……ごめん、なさい」

「マリアベルに謝りなさい。あの子がこれからも母国を守ってくれるのだ。お前が影となる日々は終わる」

「わたしはマリアベルのことを想っているだけです。本当にイグニスは――」

「セリーナ!」


 びくっと肩が震えた。


「謝りなさい」

「……はい」


 セリーナはやるせない気持ちを押し殺すように拳を握り、消え入りそうな声で返事をした。


 セリーナがお屋敷の離れに戻ると夕食が置かれていた。

 マリアベルたちのテーブルに並べられていた料理とは雲泥の差だが、何も与えられないよりはいい。

 冷めた料理には慣れている。しかし、誰かと食事をすることの楽しさはすっかり忘れてしまっていた。


 それどころか、異世界で他人のふりをして生きる習慣が身についてしまったセリーナは自分自身のことも見失っていた。

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