第15話 ノボル
「えっと、よろしくな。俺はノボルって言うんだ。名前は?」
名前……名前……わたしの名前?
考えても、それらしい答えは見つからなかった。
「ない」
「名前がない? そんな、ないなんてことないだろ?」
ノボルと名乗った彼に対し、研究員が答える。
「お伝えしたとおり、この子は強いショック症状で色々忘れていたり、幻覚を見ていたりするんですよ。どうやら名前すらも思い出せないようで……。我々は仮に、いちき――――
「ハル、ねぇ」
ノボルはわたしに優しく微笑んだ。
「仮の名前かもしれないけれど、いい名前だな。春は出会いの季節だし、始まりの季節だ。俺たちの出会いと旅の始まりってことだな! これからよろしく頼むよ、ハル!」
その言葉に、胸の奥がほんの少しだけ、じんわりと温かくなった。
でもわたしはその感情を怖いと思った。
器であるわたしには不要なものなのではないか。
「……」
「緊張してるのか? まぁいいや、行くぞ、ハル! 今日は肩慣らしで中級ダンジョンを予約済みだ」
ノボルが手を差し出す。
こんな扱いを受けるのは初めてで、戸惑いを隠せない。だが、研究員が旅をしろと言っているのだから、それに従うしかない。
これは器であるわたしに与えられた任務なのだ。
わたしは恐る恐る、差し出された手を取った。
こうしてわたしたちの旅が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ノボルは研究員とは違った。わたしを番号で呼ばないし、わたしが黙っていても根気強く話しかけてくれた。
「ハル、これ食べてみろ。なかなか美味いぞ」
与えられた缶詰を口に入れたけど、味なんて分からない。
「これが美味しいの?」
「ああ、美味いだろ?」
「味、わかんない」
「こんなにうまいのに! それなら今度はどぎつい缶詰持ってくるから、一緒に食べてみようぜ。それなら味がわかるかもしれない」
彼はそう言って笑った。
ノボルといると、毎日が刺激に溢れていた。
ある日は難関と言われていたダンジョンを一日で3つも攻略した。
ある日は給料が入ったと言って、わたしの装備一式を整えてくれた。
ヒツジのキャラクターが入ったペンダントが可愛くて見てると、その日の夜、サプライズでプレゼントしてくれた。
別の日は、後輩の育成だと言って新しいパーティにヘルプで入って、一気に溶け込んで周りを明るくしていた。
パーティメンバーから『ノビー』と呼ばれているのを聞いて、わたしもノビーと呼んでみた時はなんだかドキドキした。
わたしはいつも
時々乗り物を使う必要があるときは、決まってわたしに運転を任せた。
自分が少しでも役に立てるのがなんだか嬉しかった。
色々な出来事の中でも特に印象に残ったのは、高難易度のダンジョンに挑戦する前、ノボルがファンの女の人に見つかったときのこと。
「ノボルさん! わたしとバディを組んで下さい! わたしなら貴方のスキルを強化できます!」
少し困った顔をしたノボルは頭をかいていた。
「俺、ハル以外とバディ組む気無いからさ」
「ちょ、それ、どういうことですか?! わたしよりそんなスキルもなさそうな女の方が良いっていうんですか?!」
「俺も不思議なんだけどな、スキルとかじゃないんだよ。これが本当のパートナーってやつなのかね? ――よっと」
ノビーは急にわたしを抱き上げる。
「ってことで、じゃぁな!」
え? ――と声を上げる間もなく、急に視界が青に染まる。
ノビーがわたしを抱えたまま大きく跳躍したのだ。
「お、珍しく驚いた顔してるな! でもこうやってぴょんぴょん跳ねてると、空を飛んでるみたいで楽しいだろ?」
「う、うん……」
さっきのノビーの言ったことや体が密着していることで頭がいっぱいで、楽しいかどうかはよくわからなかった。
それからもノボルはわたしに色々なことを話した。
行ってみたい場所、食べてみたいもの、見たい景色。
それを聞いているだけで、わたしも同じ人間になれたような気持ちになった。
旅を続けていくうちに、徐々に自分の心に変化が起きていることに気づいた。
ノボルが話す夢や希望が、わたしにとってもだんだん大切なものになっていた。
「いつかダンジョンを全部攻略して、世界が平和になったらさ、一緒にどこか旅しよう。美味しいものいっぱい食べて、たくさん笑ってさ」
その言葉が、わたしの胸に深く響いていた。
HALUの器として生きてきた使命を忘れてしまうほどに、深く。
あぁ、そうか。
わたし、本当は――
「……わたしも……、わたしも、ノビーと一緒に旅がしたい」
気づいたらそう言っていた。
ノボルは一瞬驚いたようにこちらを見つめ、照れたように笑った。
「じゃあ約束だな」
「約束?」
「そう。俺たちふたりの夢を絶対に叶えようっていう、約束」
ノボルは優しく、でも真剣に言った。
「うん、約束」
その時初めて、わたしは自分が『器』ではなく『ハル』という一人の人間になれた気がした。
――だけど、そんな幸せは長く続かなかった。
東京、新宿駅東口の広場に現れたダンジョン。
崩壊までのタイムリミットが半月しかない、過去最恐のダンジョン。
すでに数名のランカーが挑戦したが文字通り
探索者とボスの間にあるあまりの実力差に、配信を通して世界中がパニックに陥った。
「ノビー……やっぱり行くの……?」
「あぁ。ダンジョン崩壊まであと一週間。それまでに俺が食い止めなければ、世界が終わっちまう」
「でも、まだランク
「配信見たろ。
「ううん……ノビーが行くなら、わたしも行きたい」
そうして挑んだ最恐ダンジョンのボス。
これまでのように一瞬で決着が着くということはなかったが、ノビーの優勢であった。
「これで10本目だッ!」
攻撃と防御、そのどちらにも使われるボスの腕。
その腕を切り落として順調に戦力を削いでいき、10本目の腕を取った時。
ボスの目に灯っていた青い光が、赤い光に代わり、そこから赤黒い血の涙のようなものが溢れ始めた。
「――――ッウゥ!!!」
気づけば目の前からノビーが消えていた。
敵の攻撃が目で追えなかった。
器として訓練されたわたしにとって、これまでそんなことはあり得なかった。
ノビーは離れたところで倒れ、うめいている。
ノビーが敵から攻撃をまともに受けたのを見たのはこれが初めてだった。
反射的にわたしは施設で仕込まれた歩法を使って瞬く間にボスの後ろに回り込む。
バッグに入れていた対モンスター用の短剣を手に、ボスの足を破壊しようと刃を突き立てるが――
「――ッ!」
苦しい。息ができない。声が出ない。
かろうじて見えたのは、一瞬、空間が裂け、その中から出てきた腕だった。
わたしがうずくまっていると、ノビーがわたしの前に立った。
肩で息をしている。
その肩越しに見えるボスは、何事かぶつぶつと呟いている。
準備が必要なスキル、それはこれまでよりもさらに強力な一撃であることの証だった。
「ハル……大丈夫か?」
「ノビー……もう、だめだよ……」
「いいか、ハル。俺のことはいい。今すぐ逃げるんだ!」
「やだよ!! 一緒に笑って生きていくって言ったじゃん!! 一緒に旅するって約束したじゃん!!」
「ハル!!」
ノビーは盾を発動した。
以前ノビーから聞いていた、絶対の矛の対となる、絶対の盾。
防御に特化したそのスキルは、あらゆる攻撃を無効化する。
だが、その盾で守れるのは人ひとりだけ。
盾は一度出すと何ヶ月も消すことができない。
そして同時に矛を出すこともできない。
――つまり、一人がひたすら逃げ延びるためにしか使えないスキルだ。
「やめて、そんなこと望んでないよ……!!」
「守る……お前だけは、絶対に。希望だけは捨てるなよ、ハル」
こんな状況になっても、わたしの中のHALUの覚醒は感じなかった。
なんのための器か、なんのためのHALUか。
白いベールが私を包んだ瞬間、ボスのスキルが私たちに向けて放たれた。
視界が真っ白になった。
こうしてわたしだけを残し、世界は崩壊した。
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