第31話 簒奪

「これは……監督! 大変です!」


 咆哮院のダンジョンが一時閉鎖され、何日かが過ぎた頃。現場の監督代行は上官に進言した。


「ダンジョンが……崩壊します!」

「今!?」

「いえ、大体10年後ですが……」

「なんでそんなに焦ってたの君?」


 2人はダンジョン内部に向かう。


 気にかかるのは、あの配信。現在はあらゆる情報が遮断されているが……それはつまり、あの配信が世に出てはならぬものだったという証左。


 上官は、あの時あの配信者が何か余計なことをしていた、というのを確信していた。故に、向かう先は迷うことなく、異能による封印が施された最深部。


 (わざわざ上が動くほどに……世界に視せてはいけなかった配信なんて。ダンジョン……未だに未知が多い場所だが、問題なのはそこではない)


 伊達に10年以上ダンジョンを管理していない。


 上の人間が色々言うのは簡単だ。最も難しいのは、それを実行に移すこと。大して強い異能も持たず、前線を張り続けたのはこの上官……現場監督だ。


 その勘が告げている。今まで頭が湧いているとしか思えなかったことばかり言い、また実行に移させていた上が、これほど焦り即対処する配信……


 (ダンジョンの特性。それは、一度掘り返した神秘も未知も、無限に増殖し続けること。もしかすると、その神秘の中に……何か)


 絶対に裏がある。


 (ダンジョンそのものを揺るがすような何かがあったんじゃないか。ふむ……有り得なくはない)


 現場監督は静かに笑い、視線を落とした。


 人は人に殺される。一度生まれた命は、しかし母の手により死んでいく。なればダンジョンは……永遠に進化を続ける、まるで1つの生命体の如きこの穴蔵は……今、終焉へと踏み出したのではないか。


 これほど心躍ることは、未だかつてなかった。何も惰性でこの仕事を続けてきた訳ではない。


 ダンジョンが好きだから。ダンジョンに触れ続けていたいから。だから、この仕事を続けてきた。そしていつも、愛の終着するところは、死と決まっている。


 ダンジョンが死ぬ。その瞬間に、発端に誰より早く触れられることに、現場監督は歓喜していた。


「しかし君、なんでそんなこと分かったの。今日付けの学者さんが、そういうこと言ってたの?」


 中階層まで進んだ頃、現場監督ははたと気付く。


 何故分かったのか? 確かに今日から新しく学者が何人か来ているが、そんなすぐに分かりはしないだろう。特に、ダンジョンの死、なんてもの……


 数ヶ月かけて分かるようなことのはずだ。何故、学者が来たばかりの日の昼に分かるというのか。


 悪寒がして、立ち止まる。前を行く監督代行は、言葉も返さずに、ただ歩き続けていた。


「……止まれ。君、何を考えている」


 現場監督の異能……【穿て。陽の槍よドストライクゾーン】。指先から陽光を放出し、光の速度で直線上を焼き切るという、シンプルな性能をしている。


 その指先を監督代行に向けていた。万が一暴発した際のことを考えて、普段の彼ならばそんなことは何があってもしない。


 互いに普通ではない状況だった。上司の命令を聞かず会話にも参加せず、歩き続ける部下に、逃げられない閉鎖空間の中、未知に囚われる現場監督。


 何かがおかしい。この場所は……いや。


 


「監督。見えちゃったんですよね、俺」


 ダンジョンとはつまり未知である。


 拡大し続ける未知。その特性を孕む以上、ダンジョン探索者という存在は消えるべきではなかった。死を前提として生き続ける彼らでなければ、この増え続ける未知を解明し続けるようなことも、また……


「何も見えなくなる世界が」


 不可能であったのだから。


「……伊藤くん!」


 パァン! という音が響いた。


 【穿て。陽の槍よドストライクゾーン】の発動音であり、監督代行の命を奪う光だった。だがそれさえも、現場監督の未来を照らすことはできない。


 突如として、絡みつくようにして変形したダンジョンの地形が、彼を飲み込んだのだ。


 (何が起こった……! 何も見えなくなる未来とはなんだ。未来視の異能でも持っていたのか!?)


 そのような事実は観測されない。


 (ダンジョンを操作する異能か? だとしたら、死亡後に私がこうなっているはずもないか……!)


 そのような推測は肯定されない。


 (ダンジョンが遂に意志を持ったのか!? その死に歓喜した私を、殺そうとしているのか!?)


 そのような疑問は解答されない。


 螺旋を描くようにして落ちていく。現場監督が一瞬意識を失いかけ、しかしあまりに変わり続ける上下感覚への吐き気でどうしようもなく覚醒した……


 その時。吐き出されるようにして着地したのは、かつて咆哮院が封印されていた最下層だった。


「最下層……! 導き、なのか? 私が最下層へと行くことを望んだから、この場所が応えたとでも……?」


 未だに健在な十字架と絶大な破壊の痕。見紛うはずもなく、そこはダンジョンの最下層。


 携帯している魔物避けが機能しているのだろう、反響する彼の声以外に音は存在していない。カラカラと音を立てて崩れる壁面の脆さが気になる。


 ……誰かに、見られているような気がする。


 ダンジョンが視ることなどあるのだろうか。仮にダンジョンを1つの生命体とするならば、人間の視覚機能に相当するものが存在しているのだろうか。


「ダンジョン……意思があるなら答えてくれ。君は何故私をここに連れてきたんだ!?」


 救いの現れないことが確定している地の底で、平静を保てる人間など存在しはしない。


 虚空に向かって叫び続ける。しかし、ただ反響するだけの声に何者も返答なぞしない。冷や汗を流し震えながら、現場監督はそれでも叫び、叫び、叫ぶ。


 壁を叩く。地を踏む。現れない、何者も。何故こんなことになっている……いらぬ好奇心を抱いたからか? ダンジョンなどという不可侵の未知に、恋にも近いような感情を覚えてしまっていたからか?


 嫌だ。何故。何が悪かったんだ。


「答えてくれ……頼む……私、わ、私は……」


 涙が地を濡らした時。


 十字架が開いた。瞳。光の束が収束するようにして、現場監督の四肢を拘束した。軋む関節の悲鳴に呼応するようにして、声帯が異常に震える。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」


 駄々をこねる子供のように、動かせもしない四肢を動かして抵抗する。光の束は現場監督をゆっくりと十字架へと近付けながら、その肉体を侵食している。


 理解できてしまう。この場所には少女がいた。彼女は十字架に拘束され、長い時を過ごし。それでも自らの人格を保って、時の中を揺蕩っていた。


 (私はそうはならない)


 その確信がある。


 この光の束は二度と逃がしてなどくれない。ここに留まったまま、この命は潰えるのだろう。


 ダンジョンが視せた未来。それがなんなのか、現場監督は分からない。ただ、ダンジョンの入り口に立つだけで、人一人を洗脳することができる……


 それほどの力を、この穴蔵は持っている。十字架の少女がいなくなった今、果たしてコレは……


「私は……消えるのか……?」


 何を求めているのだろうか。


 ズプ、と粘性の液体に沈み込むようにして、現場監督の肉体は光と共に十字架に呑まれた。広がる暗闇と、消えていく自分自身を見つめながら、思う。


 (ああ)


 そう思いたいから思うのではない。


 そうとでも思っていないと、きっと残り少ない己も、ゴミのような絶望に呑まれてしまうだろうから。


 (幸せだ)


 ダンジョンが好きだ。きっとこれから己は自我を奪われ、真にダンジョンの一部となる。


 喜ぶべきことではないか。幸せなことこの上ないではないか。何も、心配することなんてない……


 不安に思うことも、ありはしない。


 (なんて幸せな……終わりなんだ)


 その日、現場監督が交代することとなった。


 前任がどこにいったのかは誰も知らない。この世のどこかにいるかすら、誰も分かりはしない。


 奪われた彼がどこにいるのかは、もう。


 誰にも。

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