滑り止めの制服

跡部佐知

滑り止めの制服

「ねぇ、やっぱり似合ってないよ」

 孫娘がこちらを見て言う。

 その瞳はまるで、保育園で自分の親が定刻通りに迎えに来ないときの児童のようだった。高校生になったとはいえ、私にとってはまだまだ未熟なお子様だ。

「ううん、似合ってるよ」

「嘘だ。制服もこなれてないもの」

 ブレザージャケットの生地はてかてかしていて、オフホワイトのニットベストは毛玉の一つもない。あつらえられたばかりの真新しい制服は、見慣れないものの似合っていた。

「はあ、嫌だなあ。入学式」

 不安そうに孫娘が言った。

 孫娘は、第一志望の高校に通らなかった。

 公立の進学校を狙って、必死に勉強しているのを私は知っていた。親に負担をかけまいと、中学生でありながらも学費の控えめな公立を狙って、その後は国立大学に入りたいと言っていたのをよく覚えている。

 ただ、受験は時の運だ。なんとなくで受かってしまう人はいるけれど、理由なく落ちる人はいない。

 孫娘も多分それを理解しているから苦しいのだと思う。

 第二志望の高校に入るということ、滑り止めの高校に入るということは、自分の中の受験期の一年が全て水の泡のようになってしまったと思っているのかもしれない。私と孫娘の一年は質が全く違う。

 私にとっての一年は、せいぜい七十分の一に過ぎない。でも孫娘の一年は、十五分の一なのだ。

 その一年が、不合格の烙印で終わるのは、私には忘れてしまった苦しみだ。

 合否発表の日のことはよく覚えている。

 最近の高校受験の合否というのはネットで見られるらしく、私と娘夫婦と孫娘の四人がリビングでノートパソコンを囲み、そわそわしながら確認した。孫娘は、期待と不安半分といった、落ち着きのない表情を浮かべていた。

 サーバーに何度か接続して、ようやく合否が確認できるようになった頃には、既に五分が経っていた。

 孫娘は家族の前でどぎまぎとしたまま、ノートパソコンの画面をスクロールしていく。

 だんだんと曇っていくのがわかった。

「・・・ない。ごめん、落ちた」

 振り絞るような、謝るときのようなか細い声だった。

「もう一回確認してごらん」

 そう言って、娘夫婦が画面を覗き込んだ。

 二人の表情から、不合格という紛れもない事実が伝わってきた。

 孫娘の頑張っているのは知っていた。夜にローラー付きのイスが転がる音を床伝いに感じていたし、夜食におにぎりを作ったこともある。

 それに、不安そうに階段を下りる音がしたときは、私がココアを作って、ほのめかされた悩みを聴いた。

 等身大の十五歳が、必死になってもがいて生きていた。

 老いた私にはそれが綺麗だった。

 それから、家族みんなでファミレスに行って、孫娘の好きなハンバーグを食べさせた。

 浮かばれない表情をしていたけれど、気丈にふるまっていたのが印象的だった。

 私たち大人からすれば入試の一つや二つ、長い人生の通過点でしかない。それでも、自分の努力が打ちのめされた経験は、十五歳には痛すぎたのかもしれない。

 自分の努力を否定され、本当に行きたかった高校には行けず、不本意な制服に身を任せるという窮屈さと屈辱を私では到底理解しきれない。

 こういう問題は、きっと孫娘が自身で克服していく課題なのだろう。

 だから、私には見守ることしかできない。

「そろそろ行かないと」

 二階から娘の声がした。冠婚葬祭や式典のときにしか着ないスーツを着てくるのだろう。

「私はもう準備できてるよ。お母さんまだー?」

 リビングで待っている私たちのところに、息を切らした娘がやって来た。相変わらずそそっかしく、スーツとは不釣り合いな身のこなしだと思った。

「私先行くね」

 狭い玄関だから、全員が一気に外に出ることはできない。まずは孫娘から玄関の方に向かった。

 娘もそれに続いて行った。

「あ、お母さん見てこれ」

 孫娘の声が、リビングと玄関を隔てるすりガラス越しに聞こえた。

「あら、ローファー、こんなに綺麗だったっけ」

 どうやら、昨晩私が磨いたローファーを二人が見つけたようだ。

 はつらつとした孫娘の嬌声から、喜んでいるのが手に取るようにわかった。

「これ磨いたのお母さん?」

「ううん、私じゃない。おばあちゃんがやったんじゃないの。あとでお礼しなくちゃね」

「えー、嬉しい。おばあちゃーん、はやくおいでー」

 孫娘の元気な明るい声と共に、玄関のドアがガチャンと音を鳴らした。二人が出て行ったのだろう。

 私も続いて玄関に向かった。

 入学式の主役は孫娘だ。

 受験に立ち向かって努力したのも孫娘だ。

 これから、彼女の人生に待ち受けることに対して、立ち向かっていくのも孫娘だ。

 私にできることは多くない。というより、ほとんどない。

 だからせめて、靴だけでも磨かせてほしかった。ささやかでも、元気になれるおまじないをかけたかったし、想いを目に見える形に残したかった。

 玄関の扉を開けた。

 娘は車に乗っていて、孫娘は玄関を出てすぐの階段の下で、私のことを待ってくれていた。

「ありがとう。待っていてくれたのね」

「もう、遅いよ」

 そんなことを言いながらも、はにかんでいるのがわかった。

 磨かれたローファーが嬉しかったのだろう。

「制服、似合ってるよ。少し大人に見える」

「わかったから、早く車乗ろう」

 娘は小走りで車まで向かった。私も後を追った。

 雲一つない青い空が綺麗だった。

 孫娘は、これから新しい世界へ足を踏み入れようとしている。

 綺麗な輝くブレザーと、ローファーで。自分の力で敷いた道を必死に歩もうとしている。その後姿をこれからも見守っていようと思う。

 隣に座る孫娘の横顔から見える瞳は、いきいきとしていた。

 きっと大丈夫。そんな気がした。

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