推してる先輩の聖地巡礼でミラクルが起こった話。

あおいたくと

推してる先輩の聖地巡礼でミラクルが起こった話。

 佐倉楓、29歳、静岡市内でOLをしてるアラサー女子だ。

 休みな週末にふと思い立ち、3つ年上の先輩のことを考えてたら、先輩の地元である神奈川県横浜市内の戸塚区を見てみたくなった。推しの聖地巡礼として行きやすい場所の一つとして、戸塚駅とかどうだろう。

 そんな安易な思考回路で、ふらりと電車を乗り継ぎ、旅してみた。

 今日の先輩は、静岡市内で予定が入っていることを、あたしは知っている。

 だからきっと、今日先輩に会うことなんてないだろう。

 あえて、会わないようなタイミングを狙って行ったのだ。

 そういう行動選択をしたはずだったのだ。


「え、佐倉? え、なんで、ここ、いるの?」


 電車を乗り継ぎ昼過ぎの戸塚駅へ降り立ち、この先は横浜駅にも戻ったりして、本好きとして密かにファンだった有隣堂へも行ってみようとも思っていたのだ。

 トツカーナモールをぶらりと歩き、東急プラザ戸塚店へ移ろうと、そちらへ向けて淡々と歩き始めたところだった。なぜか、聞き慣れた声に、呼び掛けられた。

 なんでここに、先輩がいるのだろう。それはこっちの台詞すぎる、である。


「佐倉、だよね?」


 とっさのことに、パクパクと口を開け閉めしたまま、固まりかけてしまったけれど、慌てて言葉を出していく。


「そ、それはこっちの台詞なんですけど。なんでこんなところに、先輩がいるんですかっ?」


 つっけんどんになりながらも、あなたの地元という名の聖地巡礼だとか口が裂けても言えない。どんどん言葉を続けた。


「あたしは横浜に遊びに来てて、ついでに近くの駅とか、有隣堂巡りしてみようかなって思ってたところだったんです」


 最初から、横浜ではなく、戸塚が目的地だった。

 有隣堂も、動画チャンネルのファンだったから、行きたかったのももちろんある、けれど。

 先輩の地元を見てみたかった、先輩の生まれ育った場所を見て歩いてみたかった、そう、それだけ。

 そのためだけにわざわざ、静岡から横浜まで来るだけの時間とお金をかけて、あたしは、先輩をもっと、近くに感じたかったのだ。


「だいたい、どうして先輩も、ここにいるんです? 今日なんか、静岡で用事あるって、言ってませんでしたっけ?」


 別に先輩が先輩の地元にいてもおかしくないじゃないかとか、頭の中でツッコミを入れてしまう。それでも、とてもじゃないけど、天の邪鬼にしかきっと見えないあたしのキャラで、言えないのだ。

 先輩のことをもっと知れるかなって思ったとか、言えない。素直になれない。こんなに先輩が、近くにいるのに。


「ああそれ、中止になったんだよ。んで、こっちの友達に久々に会わないかって誘われて、久々だしいろいろ寄ろうかなって思って早めに来たんだ。そしたら佐倉みたいな女の子がいるなって思って、近付いてみたらやっぱり佐倉だって思ったわけ」

「ふ、ふうん」


 いつもスーツ姿で革靴を纏う先輩は、今日は薄いクリーム色のトップスに、紺のパーカーをラフに羽織って、ジーンズとスニーカー。刈り上げた短髪や、年齢より少し幼く見える童顔に、カジュアルなコーディネイトはとてもよく合っている。

 完全オフ、完全プライベート。

 完全カジュアル、完全ギャップ。

 完全レア、希少性抜群、休日万歳。

 ちょっと待ってくれ、かっこよすぎて目のやり場に困る。

 こちらは完全に油断していて、いつもの出勤コーデとほとんど変わらない格好であるというのに。

 といっても、平日の会社には着て行きづらいグレーのパーカーに、黒いトップス黒いパンツ、黒いスニーカー。ベースは黒で固めて、明るめの色をどこかに入れておく。だいたいいつも通り過ぎてバリエーションに乏しいけれど、あたし自身が落ち着く普段着の一つである。

 先輩に会えるって分かってたら、もっとおしゃれとかしてきたほうがよかったのだろうか。面倒くさがって唇に色つきリップしか塗ってない、もうほぼすっぴんである。

 まあもう、見られたものは、しょうがない。

 どうせ、先輩にとってのあたしは、ただの仕事の後輩なのだから。


「佐倉はいま来たばかり?」

「はい。案内を頼りに、有隣堂を見に行ったら、少し駅の近くを歩こうと思って」

「そっか。ねえ、佐倉って今日誰かと会う約束とかしてるの?」


 そっか、じゃあまた平日な、とか、そういう流れになるのかなと思ったら、会話が続いていく。


「いえ、一人で来てるので、見たいところ見たら移動しますよ」

「そっか、一人で来てたんだ」


 そもそもであたしはぼっちキャラなのだ。それは数年一緒の部署で働いていた先輩だって、知っているはずなのだが。

 彼氏とデートしに来ましたとか言えたらよかったかもしれないが、彼氏居ない暦何年かもう忘れている。

 あたしは先輩を推しに定めてから浮気ができていないので、取り繕えない嘘はつかないことにした。


「あの、先輩、あたしと話してて大丈夫ですか? お友達、待たせてるんじゃないですか?」


 ほんとは、外回りでだいたい社内に居ない時間が多い先輩ともっと、たくさん話してたい。一緒にいたい。

 でも、ぼっちが好きなあたしから見れば、陽キャでコミュ力が高い先輩は、住む世界が違うような人だ。とても陽キャなお友達いっぱいと、待ち合わせてるんじゃないかと、あたしは妄想していた。

 じっくりと、この駅の近くを堪能することにして、そろそろ先輩を送り出そうーー


「あー、友達とはもうちょっとしてから待ち合わせてたんだけど、やっぱ、いいや」

「そうですか……って、え?」


 なにが、いいんだ?

 急に何かを思い立ったように、とても軽やかに、先輩は何かを目の前で軌道修正していく。


「佐倉、これからどこかでご飯食べるよね? 俺、佐倉が有隣堂行くの付いてくから、その後このへんで一緒にご飯食べよう?」

「え、ええっ!?」


 トツカーナモールの中に、アラサー女子の叫びが響く。反射で叫んでしまい、はっとして口元を押さえた。

 このへんでバイバイ、って流れを作ろうと思ったら、先輩と一緒にご飯?ご飯??と、一気に脳内が混沌としてくる。


「あいや、そのっ、先輩の、大事なお友達なんじゃ、」


 どうしよう、嬉しくないことはない。めちゃくちゃ嬉しい。

 でも、二人で何を話す?どこに行く?あたしは浮かない?先輩の隣を歩いていて浮かない?先輩のお荷物にならない?

 そもそも、貴重な休日なのだ。どんどんと、話していくうちに、憧れの先輩の時間を使わせるのが申し訳なくなってきて、あたしはアワアワしてくる。


「あー、友達はまた今度でも大丈夫。佐倉が気になるお店があるなら案内するよ。本屋好きなんだっけ、他に気になる店ってある?」

「えっと、あの、土地勘ないんでありがたいですけど、地図調べようと思うし、先輩もお休みなわけですし、あたしのことなんか気にせずにゆっくりしてもらえれば」

「佐倉、俺さ」


 どんどん先輩を遠ざけようとするあたしの口の動きに、少しだけあたし自身が痛んでいたけれど、先輩はその言葉を遮る。

 穏やかで、軽やかな明るさがあるはずなのに、有無を言わせない力強さがある切り出しで、あたしは先輩の顔をちらりと見る。

 先輩は穏やかに微笑んで、あたしを見ていた。

 その眼差しの優しさが、微笑みが、きゅうっと胸を締め付けられそうなくらいあたたかいことを、あたしはこれから、たくさん思い出していくことになるのだ。


「俺、戸塚が地元だってこと、今の会社では、佐倉にしか話してないんだよね」


 それ、って、どういうことか、と、続ける余地はなかった。


「そうそう佐倉が戸塚まで行くことないよなって思ったら、いるじゃん? 俺だって久々に来てみたら、こうして佐倉がいるんじゃん? こんな偶然があるなら、俺は絶対に掴んで離さない」


 微笑みと真剣さが掛け合わされた視線に射抜かれる。追求しようと思う言葉は、どこかへ飛んでしまう。

 やっぱりそれ、どういうこと?なんて言葉は、何度も浮かんでは、消える。

 行こう、という先輩の言葉に、導かれていくように、有隣堂まで歩き進めた。

 俺のこと待たせるとか思わないでゆっくり見てね、でも絶対見終わったら俺に声かけてね、などと念押しされながら、店内を見ていく。

 ほとんど本のタイトルに内容も頭を右から左へ流れていったけど、棚の配置や店内の風景を一通り見て歩き、ときどき本を手に取ってはパラパラとページを開いた。

 20分ほどそうして、これ以上は待たせられないんじゃないかとそわそわしてきたので、マンガ雑誌を立ち読みしながら待ってくれていた先輩に声を掛ける。

 もういいの?と聞かれて、大丈夫ですと答えながら、有隣堂を背に歩き出した。


 トツカーナモールを経由して外に出ようと歩き始めると、手元に暖かなぬくもりを感じる。

 しれっと、先輩があたしの手を取り、しれっと歩き続けていく。

 そう認識した途端に、先輩以上に体温が上がるのではないか、なんか伝わってしまうんじゃないかという自意識が燃え上がって、あたしは先輩の胸元あたりを見ながら話しかける。


「先輩、えっと、」

「嫌?えっと事後だけど、俺、手繋いでいい?」


 声がやさしいことは伝わってくるけれど、どんな表情で語りかけてくれているのか、顔を上げて見ることができない。


「も、もう、繋いでるじゃ、ないです、か、えっ、と、やじゃ、ないです、けど、その、あたし手が、乾燥してて」

「気にしない。しばらく繋がせて」

「う……はい」


 そのあと結局、駅の近くを歩いている間も、先輩おすすめの定食屋さんでご飯を食べてまた移動している間も、ひたすら、気付いたら、当たり前のように、手を繋いでいた。

 先輩が、ひたすら、ずっと、隣にいた。

 7割くらい先輩の話を聞いて、最初はおずおずと、慣れてきたらするすると、あたしのことも3割くらいは話した。

 いろんな場所で、いろんな話をした。

 そのうち横浜駅へ移動して、有隣堂もハシゴして、今度は余裕を持ってお土産本も選ぶことができた。

 だんだん空が夕暮れ色に変わってきて、そろそろ静岡へ戻ろうと思ったら、先輩も一緒に戻ると言う。新幹線の自由席で並んで座って帰った。

 来週末は、静岡市内であたしがよく行く場所へ一緒に行きたいそうだ。

 ひたすらに、どこへ行っても変わらず、あたしが生きたい場所は書店、なんだけれども。

 どうも、ありのままを伝えると、佐倉らしいやと微笑まれる。え、どのへんがあたしらしいの、どのへんが。


 加速する新幹線の中で、また何度目か手を繋ぎながら、あたしはやっと、今日のこれは、いったいどういう意味なんですか?って、先輩に聞けた。

 佐倉のことが大事だからに決まってんじゃん、と、とても当たり前のように、でも誰よりもいとおしいものを見るような眼差しで、先輩は言ってくれた。

 

 そこからあたしはずっと、やさしい愛にくるまれるようにして、生き続けるようになるのだった。

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