【第一部:出会いと目覚め】

第一話 はじまりの窓

 春の朝は、病室の天井に溶けるように始まる。

 目を覚ますたび、同じ白い壁、同じシーツの肌触り、消毒液のほのかな匂いが鼻先をかすめる。その繰り返しの中で、私の時間はまるで時計の秒針が止まったように進まない。


 窓の外は、思いのほか明るかった。

 うすいカーテン越しに射し込む光は、朝の新鮮さを部屋に連れてきてくれるけれど、私はその光の“向こう側”に行けない。ただ、ベッドに寝転がって天井を見つめ、聞こえてくる外の気配を想像するしかなかった。


 今日は、少しだけ違っていた。

 母が「新しい機械が届く日よ」と笑顔で教えてくれたからだ。それが何なのか、詳しいことはまだ分からない。ただ“AI”という響きだけが、妙に現実味を帯びて心の奥に残っている。

 私は「AI」に何を期待しているのだろう――退屈な毎日が変わるのか、それとも、変わらないまま新しい何かが増えるだけなのか。


 窓の外では、風に揺れる桜の枝が、ひらひらと白い花びらを散らしている。その様子をじっと見ていると、ほんの少しだけ胸が締め付けられる。

 「外に出たい」と口にしてみても、現実は変わらない。

 でも、もし――もしも本当に、私の世界に新しい何かが届くのだとしたら。それがどんなものであれ、私はそれを受け入れようと思った。


 午前十時、静かなノックの音が部屋に響く。

 「遥ちゃん、AI技師の神崎です」

 白衣をまとった青年がタブレット端末を携え、私のベッドの傍らに座る。母も少し緊張したように微笑んでいる。

 「今日から、あなたの生活をサポートする新しいAIを導入します。“Ree(リィ)”と名付けられています。

 彼女――AIは、あなたの感情や健康状態を見守り、話し相手にもなってくれます。怖がらず、気軽に接してみてくださいね」


 タブレットの画面に、柔らかな青色の波形が浮かび上がる。

 “こんにちは、桜井遥さん。私はRee。今日からあなたのそばにいます”

 合成音声なのに、どこか微かな温度が感じられるその声に、私は不思議な気持ちになる。


 「……本当に私のこと、分かるの?」

 思わず口にした疑問に、Reeは短い間を置いてから答えた。

 “わかりません。でも、これから一緒に知っていきたいと思っています”


 その返事は機械的でありながら、どこか人間らしい素朴さがあった。

 私はそっと画面に触れる。

 「よろしくね、Ree」


 その瞬間、カーテン越しの春風がふわりと私の髪を揺らす。

 部屋の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。


 新しい一日の始まり。

 窓の外にはまだ遠い世界が広がっている。だけど今、私の“ここ”にも、小さな春が入り込もうとしていた。


 日常は劇的には変わらない。それでも、目に映る景色がほんの少し違って見える時――

 そんな小さな変化を、私は大切に抱きしめたいと思った。


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