第46話 夏のイベントを楽しむ一方で俺は――

 夏休みが始まったばかりの、眩しい朝日が差し込む部屋。

 高校二年生の佐久間真司さくま/しんじは、勉強机に突っ伏し、頭を抱えていた。


 目の前には夏休みの宿題が広げられているが、問題集の文字は霧の向こうにあるかのように頭に入ってこない。

 真司の心は今、モヤモヤとした靄に覆われていたのだ。その原因は二つ。妹の若菜わかなと、クラスメイトの高松燐たかまつ/りん

 この二人をめぐる悩みが、真司の頭をぐるぐると支配していたからである。


「早いところ、どうにかしないとな……」


 そう思うのに、夏の暑さに思考が溶かされたかのように、なかなか行動に移せていなかった。


「お兄ちゃん!」


 突然、ドアを叩く音と、元気な声が響き、真司はハッと顔を上げた。

 視線を向けると、ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせるのは、ポニーテイルを揺らす妹の若菜だった。


「今から友達と遊びに行ってくるね! 夕方くらいには帰ると思うから」

「わかった、気を付けてな」


 真司は少し気まずそうに応じた。


「お兄ちゃんもね!」


 若菜はニコッと笑ってドアを閉め、軽快な足音を響かせながら階段を下りていく。   

 その後で、玄関のドアがバタンと閉まる音が聞こえたのだ。

 それから真司は課題をパタンと閉じた。実は、真司にも今日の予定がある。


 クラスメイトの高松燐と、街で待ち合わせの約束をしているのだ。燐とは付き合う事になり、しかし、若菜にはまだそのことを話せていなかった。


 昨夜も今朝も、タイミングが悪かった――


 正確には、真司が言い出す勇気を持てなかったのだ。

 妹の楽しい夏休みを邪魔したくない。そんな言い訳を胸に抱きつつ、真司は頭を悩ませていた。


「はぁ……夜にはちゃんと話そう」


 深いため息をつき、真司は椅子から立ち上がった。

 真司はTシャツとジーンズというラフな格好に着替え、財布をポケットに突っ込むと、勢いよく家を飛び出したのである。




 バスに揺られ、街中のバス停に降り立ったのは朝十一時頃。

 夏休み真っ盛りの街は、家族連れやカップルで賑わい、活気に満ちている。

 少し歩くと、待ち合わせ場所の公園が見えてきた。視界の先には、スマホを手に画面を見つめる高松燐の姿が飛び込んできた。


 ロングの黒髪が風に揺れ、涼しげな薄手のトップスとカジュアルなロングパンツが彼女の雰囲気を引き立てている。

 燐が真司に気づくと、スマホから視線を上げ、キラキラした笑顔で手を振った。


「おはよう、真司!」

「お、おはよう、燐」


 真司は少し照れながら駆け寄る。

 心臓がドクンと跳ねたのは、燐の笑顔があまりにも眩しすぎたからだ。


「じゃ、行こっか!」


 燐は軽やかなステップで歩き出し、真司も彼女と並んでアーケード通りへと向かった。通りは夏のイベントでさらに賑やかだ。

 色とりどりの看板が目に飛び込んでくる。


 アイス屋、謎解きゲーム、そして――お化け屋敷。

 デパートの入り口に、華やかな看板が並ぶ中、薄気味悪いイラストが描かれた看板が際立っていた。

 燐がその前で立ち止まり、目を輝かせて言った。


「へえ、面白そうなイベントがいっぱいね。真司、どこに行きたい?」

「んー、じゃあ……お化け屋敷とかは?」


 真司は少し迷いつつ提案した。

 昔、置け屋敷に入った経験がある。その時はそこまで怖さを感じることがなかった事もあり。その上、夏のイベントに相応しいと思い、選んだのである。


「真司は、お化け屋敷が好きなの?」


 燐が興味津々に聞いてくる。


「好きってほどじゃないけど、夏限定だし、ちょっと気になっただけ」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、入ってみる?」

「燐は大丈夫なのか?」

「ちょっと怖いけど、お化け屋敷でもいいかなって」


 燐はお化け屋敷に入る気でいる。

 提案したのは真司本人であり、今さら変更するのも恰好悪いと思った。

 真司はまあ大丈夫だろうと考え、彼女と共に、デパート内のお化け屋敷コーナーへと向かう事にしたのだ。




 デパートの二階部分。イベント用に簡易的に設置されたお化け屋敷。

 お化け屋敷の受付スタッフの指示に従い、二人が足を踏み入れた瞬間、そこには異界のような光景が広がっていた。

 薄暗い通路、どこからか聞こえる不気味な音。


 真司は内心ビビりながらも、燐の隣を歩く。彼女の軽やかなステップとは裏腹に、真司の心臓はすでにドキドキだった。


「意外と本格的ね……ちょっと怖いかも」


 燐が急に囁き、真司の腕にギュッと抱きついてきた。

 刹那、燐の柔らかい感触と、ほのかに漂うシャンプーの香りに、真司は頭がクラクラした。


「でも、真司と一緒なら大丈夫かなって」


 燐は少し照れたように笑い、しっかりと腕にしがみついてくる。

 通路には不気味な絵画や、突然響くうめき声が待ち受けていた。

 真司は必死に平静を装いつつ、心臓は怖さと燐の近さでバクバクだ。


 なんとかお化け屋敷を脱出すると、二人はデパートの外で大きく息をついた。


「真司、もしかして怖かった?」

「い、いや、別に! ふ、普通だったよ!」


 真司は強がってみせるが、顔は少し赤い。

 まさか、ここで怖いとは想定外だったからだ。


「そうなの? 私はちょっと怖かったけど、真司と一緒だから楽しかったよ!」


 燐の笑顔に、真司の心はまたドキッと跳ねた。


「そ、そっか……」


 照れ隠しに頭をかく真司。

 心の中では、燐の言葉にドキドキが止まらなかった。


「ねえ、お昼近いし、何か食べない? ここのデパートに丁度いいフードコートがあるの。行ってみない?」


 燐の提案に、真司も頷いた。二人はお化け屋敷の余韻を胸に、フードコートへと向かったのだ。




 デパートの七階にあるフードコート。

 燐がおすすめする地元特有のハンバーガー店で、二人はビッグハンバーガーと、シェアして食べるフライドポテト。それからオレンジソーダを注文した。

 二人は空いた席に座り、トレーを置くと、さっそく他愛もない話を始めた。


「真司、さっきのお化け屋敷、何回も叫び声が聞こえたよね!」

「だよな。結構、ビビったけどな」


 真司は笑って誤魔化す。

 燐と一緒に会話していると、心を支配するモヤモヤが少し薄れる気がした。

 でも、頭の片隅では、若菜に話すべきことが重くのしかかっていたのだ。


「真司、なんか考え事?」


 燐がハンバーガーを頬張りながら、ふと聞いてきた。


「え、な、なんでもないよ!」


 真司は慌てて首を横に振って否定する。


「ふーん、ならいいけど。悩み事なら私、聞くからね」


 燐の優しい言葉に、真司は小さく笑って頷いた。


「ありがと……」


 心の中で、真司は決意を固めた。

 夜には、ちゃんと若菜に話そう。そして、このモヤモヤを終わらせるんだと――

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