第27話 新しくも緊張した日々の始まり

 朝日がカーテンの隙間からこぼれ、部屋を柔らかく照らす。

 佐久間真司さくま/しんじはベッドからむくりと起き上がると、軽く背伸びをして身体をほぐした。

 まだ少し眠そうな目をこすりつつも、真司は自室を後に階段を下り、リビングへと向かう。


 自宅一階に到着した頃合い、鼻をくすぐるのは、トーストの香ばしい匂いだった。

 真司がリビングに足を踏み込むと、妹の若菜わかなが朝食の準備を進めていたのだ。

 テーブルには焼き立てのトーストにジャムとバターが並び、朝の穏やかな空気を彩っている。若菜はエプロン姿でくるりと振り返り、真司に笑顔を向けた。


「おはよう、お兄ちゃん!」


 若菜の声は、朝の静けさを心地よく揺らす。


 若菜が体を動かすたびにポニーテイルの髪が揺れ、キラキラした瞳が真司を見つめる。妹の明るさは朝日そのものだった。


「おはよう、若菜」


 真司も明るく挨拶を返す。


「これ、お兄ちゃんの分ね」


 ――と、若菜はコップに入ったコーヒーを渡してきた。

 それから真司はダイニングテーブル前の椅子に腰を下ろし、若菜から用意してもらったコーヒーを一口すする。


「ん、美味しいな」

「でしょ。この前、お母さんが置いて行ったコーヒーパックがあったの」

「そうなのか」

「うん、試しに私も飲んでみたんだけど、結構おいしくて。だから、お兄ちゃんの分も用意してみたの」

「ありがと、これで目が覚めるよ」


 真司はコーヒーを飲み、気分を整えるのだ。


「お兄ちゃん、今日って予定ってあったりする?」

「んー……特にないかな。若菜は何かやりたいことでもある感じ?」

「別にそういうわけじゃないんだけど、ちょっと気になっただけ!」


 若菜はニコッと笑い、真司の正面の席に座ると、トーストにジャムを塗りながら答えた。


「ねえ、お兄ちゃん、今日の朝方に楽しい夢を見たの」

「どんなの?」

「空からお金がふってくる夢。それでね、これで大金持ちだって思ってたら、次の瞬間、ただの紙切れに変わってたの」

「あー、夢ならそうなる事もあるよね」

「実際に大金持ちになれたら楽しいのにね」

「確かに」


 二人の会話は他愛もないが、こんな平凡な朝が真司の心をホッとさせる。妹との時間はオアシスのようだった。

 ジャムを塗ったトーストパンを食べ終えた二人は身支度を整え、それから肩を並べて家を出る。

 七月の夏風が頬を優しく撫で、心地よい暖かさが二人を包み込むのだった。




 通学路を歩いていると、遠くから軽快な足音と弾けるような声が響いてきたのだ。


「おはよーッ! 真司! 若菜ちゃん!」


 通学路の通りにある信号の交差点で声の主が姿を現す。

 クラスメイトの高松燐たかまつ/りんだ。彼女は軽やかなステップで二人の元へと駆け寄ってくる。

 ショートヘアな髪がリズミカルに揺れ、スポーツバッグが肩で弾むその姿は、まるで青春の象徴のようだった。


「おはよう、燐!」


 真司が手を軽く上げて応じる。


「おはようございます!」


 若菜もニコニコと挨拶を返す。


 燐は自然と二人の間に割り込み、三人は並んで歩き始めた。


「ん? そう言えば、燐って髪を切ったのか?」


 真司は燐の髪型に違和感を覚え、話題を振る。


「気づいた感じ? ちょっとね」

「でも、なんで?」

「今週末にテニスの試合があるの。だからね、気合を入れる為に、ショートヘアにした感じ。どう、似合ってる?」

「似合ってると思うよ。いんじゃないか、その髪型」


 真司はまじまじと、燐のヘアスタイルを見た後でしっかりとした評価を口にした。


「私もそう思います!」


 真司に続くように、若菜もそういう髪型もいいですよねと言っていた。


「そうだ、真司! 今週末って予定空いてる?」


 燐が突然、キラキラした瞳で真司を見つめる。


「え、週末か?」


 真司は少し考え込む。


「まあ、特に予定はないけど……」


 特にこれといってやることは決めていなかった。

 今のところ、フリーなのだ。


「じゃあ、都合がいいかも。あのね、今週末にテニスの試合があるんだけど。私、出場するんだよね。だから、応援に来てほしいなって!」


 燐の声は弾むように明るく、その笑顔には断りにくい魔力があった。


 真司は一瞬考える。

 確かに、最近は燐に助けられたことも多かった。美愛の一件で色々なアドバイスをしてくれたりと、そんな親切な彼女の頼みを断る理由なんて、どこにもなかったのだ。


「いいよ、行くよ」


 真司は軽く笑って答えた。


「やった! じゃ、決まりだね!」


 燐はガッツポーズ。


「じゃあ、若菜ちゃんも一緒にどう?」

「はい、私も行きます!」


 若菜もニコッと笑って頷く。


 こうして、真司と若菜は週末に行われる燐のテニス応援計画を立てながら、燐と横に並んで通学路を進んだ。

 燐の弾けるようなエネルギーが、真司の心に小さな火をつけた。

 特に予定の無かった今週末が、なんだか楽しみになってきたのだ。




 学校に到着し、教室に足を踏み入れた真司は、いつもと違う空気を感じ取った。

 普段ならクラスメイトの平野美愛ひらの/みあを中心に、取り巻きたちがキャッキャと騒がしいが、今日は妙に静かだ。

 理由は明白――美愛が一週間ほどの謹慎処分を受けているからだ。


 今週は、一先ず安心して過ごせそうだな。


 真司は胸を撫で下ろしながら自分の席にカバンを置いた。

 近づいてきた燐が小声で囁く。


「ね、こうやって静かなのも悪くないよね?」

「だな」


 と、真司は燐からの囁きに苦笑しつつ頷く。


「燐、おはよう! ねえ、今って時間ある感じ?」


 別のクラスの友人に呼ばれた燐は、荷物を教室のロッカーに入れると軽やかな足取りで廊下へと向かって行く。


 真司は椅子に座り、窓の外を眺めた。

 青い空に白い雲がぽっかり浮かび、夏の気配が漂う。

 週末は燐のテニスの試合を応援し、若菜と一緒に楽しい時間を過ごせそうだと思った。




 真司が席に座り、教室でスマホを弄りながら過ごしていると、朝のHRが始まり、教室に入ってきた担任の教師が壇上に立つ。

 真司はスマホを制服のポケットにしまい、正面を向く。


 壇上前に立つ先生は、少し緊張感のある引き締まった声で、今週の予定と夏休み前のスケジュールを話し始めたのだ。


「えっとですね、今週はいつも通り。ですが、来週からはテスト週間だから。夏休み前だからって気を抜かず、しっかり準備すること」


 教室に軽いどよめきが広がる。

 真司も内心頭を抱えていた。


 そういえば、テストがあったか。


 近頃の忙しさにかまけて、最近は勉強がすっかり疎かになっていた。


 やばい、全然勉強してない……。


 真司は頭を悩ませつつ、ふと決意する。


 まあ、今日から少しずつやればなんとかなるよな……多分。


 今年の夏休みは平凡でありつつも、楽しい生活を送りたい。

 だからこそ、本気を出そうと思う。


 真司は全力で今を楽しもうと考えていたのだった。

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