第39話 貴女が望まなくとも



 蓬が気を利かせて出て行き、美桜とレイはまた二人きりで向き合うことになった。

 先に口を開いたのは、レイだ。


「美桜、覚えているか? 俺は先日、三つの理由から、京極へくみすることを決めたと伝えただろう」

「うん、覚えてる。レイにとって、大切な……譲れないことだって」

「そうだ。その一つが、美桜――貴女の側で、貴女の身を守りたいという理由だ」


 目を合わせづらくて俯きがちにしていた美桜だったが、レイのその言葉に、小さく驚きの声を漏らす。

 顔を上げれば、レイは怖いほど真剣な眼差しを美桜に向けている。美桜はどきりとした。


「美桜の心がどうあれ、京極白蓮は貴女を見つけ出してしまった。なれば、貴女には、その身が危険にさらされる可能性が今後永劫に付きまとう」

「……そう、だよね」

「利用される日が来るのを怯えて待つよりも、いっそ内側に踏み込んでしまった方が易い。俺はそう判断した」


 美桜は、なるほど、と納得して頷く。

 レイも美桜に頷き返すと、続いて、テーブルの上に広げていた紙を指差した。


「もう一つの理由が、これだ」

「……戸籍?」

「ああ。京極白蓮は、俺が時を超えてきたことを、最初の邂逅から何故か知っていた。その上で、『いずれ自らの意思で己に従う日が来るだろう』と告げてきたのだ」


 レイの口から語られたのは、美桜と出会った翌日の夜に、京極と橘が接触してきたという話だった。

 だから、レイは橘のことを知っており、警戒していたのだ。美桜はようやく得心した。


「奴があのように言った理由が、戸籍これだった――奴は、俺が欲する物が何かということさえ、正確に知っていたのだ」

「でも、どうしてレイは、そこまでして戸籍を……?」

「――戸籍がないと、美桜の夫になれぬからな」

「……っ」


 口角を緩く上げて目を細めるレイに、美桜は息を呑む。自身が凄絶な色香を放っていることに、目の前の美しい男は気がついているのだろうか。

 すっかり上気している美桜を見つめながら、レイは、言葉を続ける。


「俺は、美桜がこの問題に気づいているのやもと考えていた。それで、時間はかかるかも知れぬが、必ず解決すると約束した。だが――美桜の思っていた問題は、これとは違ったのだろう?」

「……っ、うん」

「単刀直入に聞くが、美桜が考えていた、『俺の抱える問題』とは何だったのだ?」

「それは……」


 美桜は、言い淀んだ。

 ――ここまで美桜の心をかき乱しておいて、レイに冷たい返答をされるのが、怖かった。何より、自分がそれを言葉にするのが、たまらなく痛くて、嫌だった。

 しかし、レイは美桜のことを、じっと見つめて待ち続けている。美桜はやっとの思いで、口を開いた。


「……レイが、桜花姫のことを今も深く愛しているってこと」

「俺が、姫様を?」


 レイはその言葉が意外だったのか、形良い目をわずかに見開いた。


「ねえ、レイ。正直に答えて」


 美桜は勇気を出して、さらに詰める。


「レイが私と一緒にいてくれるのは、私が桜花姫と同じ魂から生まれたからなんだよね? 私は……桜花姫の代わり、なんでしょう」


 美桜がそう言い切ると、レイは眉間に皺を寄せた。美桜はレイの返答が怖くて再び俯きそうになるが、ぐっと唇を噛んで耐える。


「……美桜は、それで悩んでいたのか」

「そうだよ。レイは自分では気づいてないかもしれないけど、遠くを見て、すっごく優しい表情をすることがあるの。その時、きっとレイは桜花姫のことを考えてる」


 レイの眉間の皺が、さらに寄っていく。藤色の瞳は、美桜をじっと見つめたままだ。美桜は、さらに言い募る。


「私は、桜花姫じゃない。桜花姫にはなれない。だから、私は――」

「――美桜よ。貴女は、大きな思い違いをしている」


 美桜の言葉は、レイによって遮られた。低く、決然とした声だ。


「俺は、確かにかつて、姫様を愛おしく想っていた頃があった。貴女に近づいたきっかけが、姫様の魂を感じたためだというのも事実。だが、それはあくまでも、過去の話だ」


 美桜の目頭が、じんわりと熱を持ち始める。しかし、レイの言葉がそこで止まることはない。


「今なら分かる。姫様は、俺を弟として愛してくれた。俺は、姫様を姉として慕っていた。だが、美桜――貴女は別だ」


 レイはそう言うと、テーブルを少しずらして、先ほどよりも一歩、美桜に近い位置へ移動する。


「貴女の朗らかさが、好ましい。くるくると変わる表情が、好ましい。その優しさも、繊細なところも、真面目なところも、純粋なところも、存外計算高いところも――美桜と出会ってから日は浅いが、これまで俺に見せてくれた貴女のどのような面も、好ましい」


 まばたきと同時にほろりと溢れた雫を、レイの指先がそっと拭う。美桜に向けられたその瞳には、まごうことなく愛おしい気持ちが込められていた。


「貴女との日々を積み重ねれば積み重ねるほど、俺はどんどん美桜に惹かれていった。俺は、美桜、貴女に寄り添って歩みたいのだ――たとえ貴女が望まなくとも」


 美桜は、レイが度々、「貴女が望むなら」という言葉を口にしていたことを思い出した。

 レイは今、美桜と……いや、桜花姫の魂との、主従関係から逸脱しようとしているのかもしれない。


「レイ……」


 また違う温度の涙が、美桜の頬を伝っていく。

 レイは美桜の涙を拭いながら、反対側の手を、膝の上で握りしめられている美桜の手の上にそっとのせた。


「――俺は、他でもない、貴女自身を好ましく思っている。この気持ちは、美桜が姫様の生まれ変わりだからなどでは、決してない。それでも、信じられぬというなら――」


 そう言ってレイは、美桜から手を離すと、テーブルに置いていた大判の封筒から、新たに一枚の書類を取り出した。


「――美桜、俺と新たな契約を結ばぬか?」


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