第29話 でえと



 レイにとって、美桜との『でえと』は、新しい発見の連続だった。


 まず最初に美桜が向かったのは、洋服店だ。いつも和装ばかりだからと、美桜がレイに洋装を選んでくれることになったのである。大きな店舗で、紳士服も婦人服も子供服も、全てが一つの店に揃っていた。


 天狗山の商店街にある洋品店とは品揃えが大分異なっていて、一見どのように着れば良いのかも分からない服もある。だが、そこかしこに置かれている顔のない人形に品物が着せられているおかげで、レイは着こなし方を観察することができた。

 人形に着せられていない品も、『おすすめ商品』と書かれた札に精巧な絵が描かれているし、店員が着用している物もある。何と親切な店か、とレイは感動した。


「レイに似合いそうなの、私が見立ててもいい?」

「ああ、頼む」

「やった! 嬉しい!」


 結構な時間がかかったものの、レイに洋服を選んでいる美桜はとても楽しそうで、それを見ているレイも満足だった。美桜は上下二通りの組み合わせを選んでくれて、レイはその場で着替えていくことにした。


「美桜、代金は俺が支払う。幾らだった?」

「え、それはいいよ。私が買いたくて買うんだから。それに……レイ、お金あんまりないでしょう?」


 最後の一言は、他の者に聞かれないように配慮してのことだろう。美桜は背伸びしてレイの耳元に唇を寄せ、そう言った。


「心配、痛み入る。だが、昨日の分の日当も貰っているし、実のところ、手持ちの貴金属を幾許いくばくか換金できたのだ。あまり世話になってばかりでは、『対等』ではないだろう?」

「レイ……。うん、そういうことなら、分かったよ」


 レイがそう言うと、美桜は頷いて、代金を受け取ってくれた。

 実際、レイは任務の際に急遽何かを用立てる必要が出た場合に備えて、金の小判を数枚、懐に忍ばせていたのだ。既に天狗に頼んで、その一部をこの時代の通貨に換金してもらっている。美桜の言った額ならば、問題なく支払えた。


「それにしても、本当に何着ても似合うね、レイ」

「む……そうか?」


 美桜の選んでくれた服は、『じゃけっと』と言うらしい。橘が着ていた『すーつ』に似ているが、それよりも襟が細くなっている。前のボタンは閉めなくていいようだ。その中には、丸襟の服。肌触りが良く、良く伸びる素材である。

 『じゃけっと』も『ぱんつ』も袴に比べてぴたりとしており、動きづらい。だが、完全に動きを阻害するものではないので、慣れれば問題ないだろう。これも、丸襟の服ほどではないが、身体に合わせて伸びる素材のようだ。

 また、靴は、草鞋わらじに比べて固い道に適しているらしく、普通に歩く分には草鞋よりも良さそうだった。


「和服姿も素敵だけど、ジャケットもすっごくいいね。モデルさんみたい」

「もでる?」

「うん。そのぐらい格好良いってこと」

「む」


 レイは、その言葉に、少し眉をひそめた。

 もでる、という男は、そんなに色男なのだろうか。式を飛ばしていた時、美桜との接触はなかったが。名前が挙がるということは、橘だけではなく、見ず知らずのその男も、美桜の心を少なからず掴んでいるのだろう。

 だとしたら、レイは美桜を何人の男から守らねばならぬというのか。だが、目下、一番気にすべき男は橘と、奴が付き従っていた白銀髪の男の動向だ。


「ところで美桜よ。橘のことなのだが」

「あ、そうそう! それ、私も聞きたかったの。レイと橘先輩って、どういう知り合いなの?」

「む……俺もあまりよく知らぬのだ。強いて言うならば、敵……なのだろうか」

「て、敵? も、もしかして、橘先輩もそういう界隈の……」


 美桜は、レイの言葉に心底驚いた様子で、顔を青ざめさせてぶつぶつと呟いている。


「美桜、平気か?」

「あっ、大丈夫よ! なんでもないから……!」


 レイは美桜の様子を訝しんだが、それ以上何かを聞けるような雰囲気ではない。美桜は作り笑いを精一杯顔に貼り付けている。


「……それで。橘との縁談のことなのだが。美桜は、どうするつもりなのだ?」

「うーん……お見合い自体はしなきゃいけないと思う。お父さん、もう断れない段階だって言ってたし。でも、結婚はしないよ、絶対に」

「だが、橘は美桜のことを……」

「……私の方は、橘先輩のこと、何とも思ってないよ。でも、もしレイと出会う前にお見合いになってたら、この話、受けてたかも」


 美桜ははぁ、と小さく息を吐き出して、うつむいた。


「……そうか」


 レイは、感情を殺して、あくまでも穏やかに首肯する。

 急にこの時代に現れた異物であるレイ。他ならぬ自分自身が、美桜の幸せを壊してしまったのではないだろうか。――美桜にとって、どうするのが幸せだったのだろう。


 レイが頷くと、美桜はレイの顔をちらりと見て、とびきり切なそうな表情をした。


「なかなか、思うようにいかないね。皆が幸せになれる道は、ないのかな」

「美桜……」


 レイは、美桜の切なげな表情に、ぐっと胸を締め付けられた。今すぐにでも抱きしめて、自分の腕の中に閉じ込めたい。

 けれど、契約上必要不可欠な接触以外は、禁じられている。まさに思うようにいかないこの関係が、とてももどかしかった。


「――さて、しめっぽい話は終わり! 橘先輩には明日、会社でそれとなく聞いてみるから。それより、今日はレイをいっぱい楽しませて、思い出をたくさん作るんだって決めたの! 次はどこ行きたい? ここね、水族館もあるんだよ」


 美桜は頭を振って明るい表情を作ると、レイに手を差し出した。レイは、ふ、と息を吐き出して、美桜の手を取る。

 ――指先から伝わる温度だけで、今は満足としよう。

 そう思って、レイは微笑んだのんだった。


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