第23話 女の勘



◇◆◇


「――で、美桜にゃんは泣きながら、一人で帰っちゃった、と」

「……ああ」

「それで、あんたは美桜にゃんを追いかけなかった、と」

「……そうだ」

「何やってんにゃボケぇぇぇ!!」


 よもぎの怒声が、薄闇に包まれ始めた天狗山に響き渡る。


 美桜が急に契約結婚の破棄を申し出て、レイの元から去った時――レイは、動揺のあまり動くことができなかった。

 蓬の言ったとおり、すぐに美桜を追いかけて話し合えば良かったと、後になってレイは悔やんだ。


 美桜と神社に登ったのは、昼過ぎ。今は、夜営業が始まる少し前、夕から夜へと変わる黄昏時だ。

 美桜が落ち着いたら、少しでも良いから話をしたいと思った。だが、仕込みのため店に一度戻らなくてはならず、今の今まで、美桜の家を訪れる時間はなかったのだ。


「はああ、美桜にゃんが目を腫らしながら一人で山から降りてきて、あたいがどれだけびっくりしたことか。泣いてた理由を聞いても教えてくれないし、『レイとはもう会わないよ』としか言わないし。そんなことがあったとはにゃあ」


 蓬は心底呆れ果てたような表情を、レイに向けていた。だが、今回ばかりは美桜を追いかけなかったレイが悪い。呆れられても仕方がないのである。


「で、レイは、美桜にゃんに契約破棄を言い渡される理由は分かったのかにゃ?」

「……好きな男ができたと言っていた」

「はぁ? そんなの嘘に決まってるにゃ。ちょっと考えれば分かるにゃろ」

「なに? 嘘だと?」


 レイは眉間に皺を寄せた。元から強張っていた顔が、さらに険しくなっていく。


「だが、本人がそう言って――」

「こんの馬鹿レイ! それは美桜にゃんがあんたを傷つけないためについた嘘にゃ! そういうことにしておけば、あんたじゃなく美桜にゃん有責の契約破棄ってことになるからにゃ」

「俺のため……?」


 そこまで言われても、レイは、蓬の言わんとすることが理解できなかった。レイは、自分が美桜に対して悪いことをしたという自覚がないのだ。


「はぁ。よく考えるにゃ、美桜にゃんの態度が急変したのはいつにゃ? その前にあんたは何をして、何を言ったにゃ?」

「……蕎麦店にいた時は、心穏やかな様子だった。だが、神社に着いて、黙祷を捧げていたら、突然……」


 神社に着くまでは、良好な関係だったはずだ。実際、蕎麦店にいた時は、美桜がわざわざレイのために一日空け、会いに来てくれたと聞いた。


 蓬は、頷いている。続けろということだろう。


「姫様の大切にしていた桜の木の花が、綻んでいた。俺は桜の木に手を触れ、姫様のことを思い出しながら、目を閉じ黙祷を捧げた。しばしの間そうしていたら、突然、美桜が思い詰めたような声で俺の名を呼んで……そして……」


 ――契約結婚、やっぱり、やめましょう。


 そう告げた美桜の表情は、とても悲痛なものだった。彼女の本意ではないことは、火を見るより明らかだった。

 だから、レイは、努めて冷静に理由を問うた。心の中では、様々な感情が荒れ狂っていたが、負の感情を隠すのは自分の得意とするところだ。


「にゃあ、レイ。桜の花に黙祷を捧げる前に、美桜にゃんにきちんと断りをいれたかにゃ?」

「いいや。言う必要があるか?」

「普通の墓にゃら、言わなくとも分かるだろうにゃ。けど、今回に限っては言うべきだったにゃ」

「どういうことだ?」

「女の勘は、あんたが思ってるよりずっと鋭いのにゃ」

「勘……?」


 綿密な情報収集でも、異能や技術によって培った気配察知でもなく、勘。

 論理的に動くことの多いレイには、そう言われても、いまいちしっくり来なかった。


「気付いてるかにゃ? あんたが姫様のことを話すとき、考えるとき。事情を知らない女のコから見ると、あんたはただの恋する男の顔になっているにゃ」

「…………は?」


 ――何なのだ、恋する男の顔とは。

 レイは、自分の表情がそんな風に変化することを、全く自覚していなかった。

 負の感情を隠すのは得意だったが、気が緩んだ瞬間にも表情を動かさずにいるなどということは、レイの意識の範疇から外れていたのだ。


「女のコの、パートナーに対するアンテナは、とっても敏感なのにゃ。桜の木に触れるレイの姿を見て、美桜にゃんは、何か感じ取ったんだと思うにゃよ。きっと、一本桜がレイにとって大切な人との思い出の木だって、直感したはずにゃ」

「だが、その姫様はもう亡くなっているのだぞ。この時代ではもちろん、元の時代でも」

「姫様がもう故人だってこと、美桜にゃんは知らないにゃ。美桜にゃんからしたら、『レイには遠くに好きな人がいて、今もその人に対して未練たらたら。彼女の影を追うばっかりで、自分のことをちゃんと見てくれない』とか感じてるに違いないにゃ」

「だが、そもそも美桜は姫様の生まれ変わりで――」

「あのにゃ、当たり前にゃけど、美桜にゃんは姫様とは別人にゃよ? 今を必死に生きてる、一人の女のコにゃ」


 レイは、蓬の言葉にはっとした。

 頭では、美桜と姫が別人だと分かってはいても、心のどこかで未だ二人を同一視している自分がいたようだ。


「俺は、何ということを……」


 大切な二人に対してそんな無神経なことをするなど、恥じいるべきことだ。美桜にも、桜花姫にも、申し訳が立たない。レイは、深く悔いた。


「こうなれば、この命を以て詫びを」

「待つにゃ待つにゃ! それだけは絶対にダメにゃ。美桜にゃんをさらに絶望に落としてどうするにゃ」

「ぐっ」


 落ち着け、冷静になってよく考えろ、と蓬に諭され、レイは腰元の苦無くないから手を離す。

 確かに、口論をしたのちにレイが命を落としたとなれば、美桜は自分を強く責めるだろう。


「レイ。恋に苦しむ美桜にゃんの心を救えるのは、結局のところ、あの子が恋している、レイだけなんにゃよ」

「む……? 俺だけが、美桜を救える……?」


 救えるという言葉に、レイはようやく光が差したような心地を覚えた。

 それと同時に、聞き捨てならない言葉が蓬から発せられたのを、レイの耳は拾い上げる。


「ん、待て。俺に、恋して……?」

「なんにゃ、あんた、そんなに鈍い男だったのかにゃ? 失望したにゃ。あんたがそれじゃあ、黒スーツのいけすかない男に美桜にゃんを取られちゃっても仕方ないにゃ。いっそのことこんな馬鹿レイより、あの男と結ばれた方が、美桜にゃんは幸せに――」

「――駄目だ、許せぬ」


 レイの発した言葉は、底冷えするように低く鋭かった。蓬は少し身震いして、それでもレイをたしなめようと、彼を見上げる。


「……あのにゃあ。レイが許さなくたって、美桜にゃんは自立した大人の女性にゃ。美桜にゃんにだって、相手を選ぶ権利は――」

「違う。俺が、俺を許せぬのだ。俺は……美桜を守りたかった。その心も、体も、魂も、丸ごと全て。なのに、他ならぬ俺自身が、美桜を傷つけていたのだな」


 ぎりり、と握りしめた拳から、つうと血が垂れる。強く握りしめすぎて、爪が食い込んでいた。

 だが、レイが美桜に与えてしまった痛みに比べて、この程度の痛みはどうということもない。


「蓬よ。美桜に会いたいのだが、どうしたら良いだろうか」

「……どうやら、心は決まったみたいだにゃ」


 レイは、頷く。蓬は、満足そうに尻尾をピンと立てた。


「よおし、あんたがその気になったんにゃら、あたいが目いっぱい協力してやるのにゃ! まずは――」


 そうして一人と一匹は、黄昏の蕎麦店の裏手で、話し合いを続けたのだった。



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