あの日見た物語が、地平線に沈む。
@NanAna13
第1話 どんな夢を、見たんだろう。
「……夢って、あんまり見ないんだけどな」
そう呟いたのは、目が覚めて数秒後だった。
内容は、ほとんど覚えていない。
ただ、起きた時、妙に胸の奥がざわついていた。
きっと、悪夢だったんだろうか。
おおよそ、いつもの朝だった。
勉強道具が、乱暴に散らかる机。
脱ぎ捨てられたTシャツ。
全部、昨日のまま。
「今日も、始まった……」
無意識に漏れ出たその言葉が、静かに溶けていく。
僕は朝が、あんまり好きじゃない。
起きた直後は、世界が進むのがはやすぎるんだ。
体だけが「いつも通り」に動こうとして、頭はまるで追いつかない。
目をこすりながら、ゆっくりとベッドから降りる。
床の冷たさが、ようやく「現実」ってやつを教えてくれた。
カーテンを開けると、春に染められた街が、絵画のように広がる。
ゆったりと差し込む、ぼんやりとした日差し。
街路樹が、風に揺れてる。
「……なんで今日も学校あるんだろ」
今日は、土曜日。
なのに、学校がある。
高校生ならではの矛盾に、わずかな反発心が生まれる。
それでも、結局行くんだけど。
僕は、クローゼットへと向かった。
眠気のせいか、少しだけ、遠く感じた。
まっすぐ、歩けただろうか。
僕は制服を手に取り、袖を通す。
まだ少し湿った感触がした。
そういえば昨日は、曇りだったっけ。
布が肌に張り付く感覚が、苦手だった。
僕は浮かない表情のまま、着替えを終えた。
ネクタイの結びを整えようとする手が、どこかおぼつかない。
鏡を覗き込み、服装の出来を確認する。
鏡の中の自分は、きちんと「いつもの僕」だった。
寝癖もないし、ネクタイの結び目も不器用で、目の下のクマも許容範囲。
部屋を出て、リビングに向かった。
まだ完全に目が覚めてないようで、足取りがまだ、どこか重い。
キッチンからは、いつもの朝の音が、聞こえてきた。
お母さんの話し声、食器が触れ合うカチャカチャという音。
リビングのドアを開けると、すでに朝食の準備が整っていた。
「おはよう。今日は早いわね」
母がこちらを見て、優しく言う。
そういえば、時間を見てなかったな。
「おはよう。早く起きちゃってね」
そう言って僕は、壁にかかった時計に目を移す。
7:30
いつもより、30分くらい早い。
僕は静かに腰を下ろして、朝食と向かい合った。
湯気の立つ味噌汁を、眺めながら。
さっきの夢の残り香だけが、まだ胸に残っていた。
どんな夢を、見たんだろう。
でもきっと覚えてても、いつか忘れちゃうんだろうな。
僕は一通り支度を終えて、家を出た。
そして、郵便受けを確認する。
1年ほど前、唐突に始めた日課だった。
何事も3日で飽きる僕だけど、これだけは毎朝欠かさない。
理由なんてなかったけど、いつの間にかそれはこだわりになっていた。
学校に続く道。
土曜日の朝は、いつもに比べて人がいない。
「今日は、清々しい朝だな」
僕は少し大きめにそう言った。
早起きして学校に向かうなんて、僕からすれば途方もない快挙だ。
案外、気持ちの良いものなんだな。
学校の始業時間に、迫られない。
初めて味わう感覚に近かった。
本当は、初めてじゃだめなんだろうけど。
歩き始めて10分。
ひとつ、気付いたことがある。
時間に余裕があると、なんてことのない道でも色んなことが目に入る。
人気のない公園、登ると街を一望できる坂、緑に包まれたカフェ。
全部、気にしたことがなかった。
「……」
僕はふと、立ち止まる。
ーーなぜかそこに思い出があるような、わずかな懐かしさを感じた。
これがデジャブ、と言うやつだろうか。
身に覚えのない、既視感。
初めて感じたかもしれない。
ちょっとだけ、嬉しい気持ちになった。
特別な体験をしたようで。
……でも、そんな高揚感も長続きはしないようで。
視線の先に、校門の姿を捉えた瞬間、現実がじわじわと戻ってきた。
「……やっぱ、学校って、逃げられないよな」
誰に聞かせるわけでもなくそう呟いて、足をまた動かす。
僕は背中に、教科書の入ったリュックと、ささやかな憂いを背負って、学校へと足を踏み入れた。
校舎は、思ったよりも静かだった。
時間が早いからか、誰ともすれ違わない。
教室へは、一番のりだった。
一人きりの教室は、どこか優越感が漂っていた。
10分も経つと、生徒が続々と教室に姿を表す。
たった10分の天下。
それが、僕にとってはたまらなく快感だった。
教室には、朝の光がまだ満ちている。
世界もまだ、起きたばっかりで。
ざわめきも、喧騒も、まだ遠くにある。
僕は静かに席につき、窓の外をぼんやりと眺めた。
今朝の夢のことを、もう一度思い出そうとしてみる。
でも、やっぱり何も浮かばなかった。
それでも胸の奥のざわつきだけが、妙にしつこく、微かにここにある。
……あの感覚は、どこからきたんだろう。
そんなことを考えていたら、隣の席に誰かがやってきた。
「おはよう、珍しく早いじゃん。どうしたの?」
何気ないその声に、口元が優しく緩んだ。
ーーたぶん、今日もちゃんと、1日が始まっていくんだろうな。
何も覚えてないけど、まあいいや。
僕は、窓の外をもう一度眺めてみる。
空は、雲ひとつない快晴だった。
あの日見た物語が、地平線に沈む。 @NanAna13
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