黒の騎士師団長と美貌の公爵令嬢が夫婦になるまでの話。

Rain

第1話 ルードウィンク公爵の苦悩

 

 「私の力ではここまでが限界だ。すまない、リア……」


 グレイグ・ルードウィンクはその顔に苦渋の色を滲ませた。


 大陸の東側に位置するケンブル国は、鉱山を主とした数々の豊かな資源を有している。それゆえ、資源国の領土を狙いに他国から侵略攻撃を受けることも少なくなかった。

 しかし、侵略戦争が起こっていたのは今や過去のこと。

 ここ十年は大きな諍いもなく、国民は平穏に暮らしていた。


 現在、国内では建国二百年を迎えるにあたり、国民は祝賀行事の準備に追われていた。

 ところが、ケンブル国の中心地である首都では、貴族も庶民も自国の二百周年の祝賀行事などどうでもよいとばかりに、皆ある話題に執心だった。


 「本当ならば、私だってお前のことを嫁になどやりたくないのだ。いつまでもずっと、このルードウィンク家で大切に守ってやりたいと思っている……」

 「……」

 「しかし、私は公爵だ……貴族の鑑となる正しい生き方をせねばならない。アルレットが王妃となった今、ルードウィンク家はほかの公爵家よりも一目置かれているのだ。決して私情などで社会の秩序を乱してはならない。賢いお前ならわかるな?」


 グレイグは眉間に深いシワを刻みながら、娘であるリア・ルードウィンクを見つめる。

 そして、改めて愛娘の奇跡的な美しさにため息をもらした。


 黄金に波打つツヤツヤの長い髪、どんな宝石を前にしても霞んでしまうような金色の瞳、常に光を照らしているような透き通る白い肌。華奢ながらも女性らしい曲線を描いた体躯。リアを造るすべてが神様からの贈り物のようだった。

 

 一人だけ発光しているような煌めきを放つ娘を見て、グレイグはため息をさらに深くした。

 

 建国二百年の祝賀行事よりも国民の関心を集めている話題。

 それはルードウィンク公爵家の美貌の娘、リア・ルードウィンクの結婚についてだった。

 ケンブル国では女は一六歳、男は一七歳で成人となる。

 成人を迎えると飲酒や喫煙が可能となり、結婚などの大きな契約ごとに関しても保護者の同意なしで行うことができる。

 

 そして、ケンブル国には国の法律のほかに貴族社会のみ適用される規則がある。

 それは、【貴族女性は成人を迎えた後、直ちに結婚しなければならない】というものだ。

 ケンブル国で生涯独身が許されているのは、庶民と貴族男性のみ。

 貴族女性の結婚相手は当然貴族であり、階級が等しければなお良いとされていた。

 

 慣例であれば、貴族女性は一五歳で貴族学校を卒業後、一六歳になるまでに夫となる相手を見つけ、一六歳の誕生日を過ぎた辺りに結婚をするという流れだ。

 リアは今年で一七歳となった。

 

 一七歳で未婚の貴族女性はケンブル国ではリアとあともう一人だけだった。

 言わずもがな、父であるグレイグの元にはリアが成人を迎える前から縁談話がひっきりなしに舞い込んでいる。

 だが、グレイグはその全てを無視していた。

 

 幸いなことに、貴族社会で王族に次ぐ権力を持つ公爵家のグレイグに直接縁談を持ちかける愚か者はいなかった。

 それはグレイグの長女アルレットのおかげでもある。 

 今から八年前、ルードウィンク家の長女アルレット・ルードウィンクは現四代目ケンブル国王の妻となり、王妃となった。

 ケンブル国にはルードウィンク家以外にも公爵が七家存在していたが、同等の公爵家であっても王妃の生家であるルードウィンク家には強く意見を言うことができなくなったのだ。


 最高位の貴族であり、大きな後ろ盾を得たグレイグは、なんとかリアの結婚を先延ばしにしていた。

 自分の立場を私的な感情で利用するなど公平公正のグレイグからは考えられない行動だったが、末娘の結婚となれば話は別だ。


 「まさか、嘆願書など……」


 グレイグは崩れ落ちるように書斎の椅子に腰かけた。

 

 グレイグのデスクには一枚の手紙が開いてある。

 白い上質な封筒を密閉していた赤いシーリングスタンプには王家の紋章が描かれていた。

 先週、グレイグのもとに国王から手紙が届いたのだ。


 手紙には、リア・ルードウィンクの夫候補となる貴族たちから国王の元に嘆願書が届いたと記されていた。

 嘆願書の内容を要約すると、リアの結婚相手を直ちに決めるようにグレイグに圧力をかけてほしいというものだ。

 

 王妃であるアルレットからグレイグの気持ちを伝え聞いていた国王も今日まで見て見ぬふりを続けてくれていたのだが、鬼気迫る貴族たちからの嘆願書を受け取ってしまった以上、国王として貴族同士の醜い諍いが起きる前にリア・ルードウィンクの結婚を促すほかなかった。


 「リアには好きな相手などいないのだろう」

 「……」

 

 再確認するように尋ねるグレイグの言葉の後、リアが小さく頷いた。


 「はあぁっ…………親バカだと罵られても、私はただ自分の娘には好きな相手と結婚してほしいのだ。ただそれだけだというのに……」


 ケンブル国では庶民の社会でも貴族の社会でも恋愛結婚は珍しかった。

 多くは、家柄や年齢が釣り合っているかどうか、もしくは、子どもが生まれる前に親同士が子の結婚の約束を交わしていたなどして結婚していた。

 

 そんな中、貴族の中でも最高位の公爵家に生まれたグレイグは恋愛結婚だった。

 今は亡き妻アリシアとは貴族学校で親しくなり、学生時代から密かに付き合っていたのだ。

 

 美しく気立ての良いアリシアだったが、アリシアの家が伯爵という理由だけでグレイグの両親は反対し、同じ公爵家から妻を選ぶように息子を説得した。

 しかしグレイグは断固として頷かなかった。

 その後紆余曲折を経て、念願かなってグレイグとアリシアは結婚し、二人の娘に恵まれたのだった。


 リアの姉であるアルレットも政略結婚などではなく、ケンブル国王と恋に落ちて結婚をしている。


 グレイグが引く手数多の末娘をいつまで経っても結婚させないのは、愛する妻に先立たれて孤独だから、親離れができていないから、美貌の娘に釣り合う相手を選り好みしているから……など、世間は好き勝手言っているが、真実はどれも違う。


 リアに好きな相手が現れないからだ。

 グレイグはただ、リアに好きでも無い相手と結婚してほしくないだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る