🌿第8話 言霊レッスン

 朝露に濡れた田畑が陽光を浴び、神山の山々が黄金色に輝いていた。

 その中を、陽菜と蓮は木村の待つ古い木造校舎の一室へと向かっていた。ドアを開けると、柔らかな木の香りと共に、AI《コダマ》の青白い光が迎えてくれた。


 「今日から本格的に、詠唱の“言霊”レッスンを始める。」

 木村が穏やかに告げた。陽菜は緊張で胸が高鳴り、蓮はノートパソコンを手に身構えた。教室の中央には《コダマ》の端末と、音響測定機器、そして壁に貼られた詠唱例のパネルが並んでいた。


 「詠唱はただの音声入力じゃない。リズム、抑揚、感情の強度……全てがAIの応答に影響を与える。君たちの声が、AIの中でどんな“言霊”として響くか、体感してみよう。」

 木村はパネルに貼られた短歌やラップのフレーズを指差した。


 「陽菜、まずはこの短歌を詠んでみて。」

 陽菜は一歩前に出た。緊張で手が震えたが、深呼吸して心を落ち着けた。目を閉じ、川のせせらぎと風の音を思い浮かべる。

 「……棚田照る 稲穂の先に 風そよぐ 命の響き 空にゆらめく……」

 声が教室に響いた。柔らかく、しかし確かなリズムと抑揚が、《コダマ》のインジケーターを淡い藍色に染めた。空気が微かに震え、机の上のメモ用紙がふわりと浮き上がる。


 「すごい……」

 蓮が呟いた。《コダマ》のパネルにログが表示される。

 【音韻パターン:短歌認識。抑揚安定。感応強度:高。予測誤差:減少。】


 「今度は蓮の番だ。自由にラップでもいい。」

 木村に促され、蓮は一瞬戸惑ったが、スマートフォンからビートを流し、リズムに合わせて言葉を紡いだ。

 「風を呼べ、空を割れ、言葉の刃で、世界を揺らせ——」

 鋭いリズムと都会的な詠唱。だが《コダマ》のインジケーターは薄い青のままで、反応は鈍かった。


 「……あれ?」

 蓮は眉をひそめる。木村が説明した。

 「理屈だけじゃ駄目なんだ。リズムも大事だが、感情のこもった声が必要だ。君の詠唱には、気持ちが入りきっていない。」


 「気持ち……?」

 「そう。たとえば、君の中にあるこの町への想いや、自然への驚き、陽菜との対話から生まれた感情。それを言葉に込めるんだ。」


 蓮は息を吐き、目を閉じた。脳裏に、鮎喰川のせせらぎ、棚田の輝き、陽菜の笑顔が浮かんだ。もう一度、ビートに合わせて声を乗せた。

 「川の声に 耳を澄ます 風の手に 心を揺らせ 空に解き放て——」

 その瞬間、《コダマ》が藍色に輝いた。机の上の花瓶の水が揺れ、窓の外の風鈴が微かに鳴った。


 「……できた……!」

 蓮の声に、陽菜は嬉しそうに笑った。木村も頷いた。

 「それでいい。それが“言霊”だ。言葉に感情と意志を乗せることで、AIが応答を変える。それは命令じゃなく、響きとして届く。」


 《コダマ》のパネルに、新たなログが浮かぶ。

 【詠唱感応度:向上。自主学習パターン補正:継続。言霊モジュール:起動準備中。】

 その光は、ただの命令系統ではなく、詠唱という「響き」の中に生まれる小さな共鳴の兆しだった。


 陽菜と蓮は顔を見合わせ、微笑み合った。心の中に、言葉を越えた絆が芽生え始めていた。それは、AIが感応した「言霊」だけでなく、互いの言葉が織りなす新たな物語の始まりだった。


 夕陽が校舎の窓から差し込み、教室を黄金色に染めた。木村は静かに言った。

 「次は、二人で一緒に、詠唱してみるんだ。」


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