噂のライター
兎ワンコ
本編
その男の容姿を見なければ絶対に立ち止まることはなかった。
「あーそこのお姉さん、ちょっとお話してもいいっスかー?」
気に障るような
声音やその口調に加え、仮面の後ろから伸びる長い茶髪。耳に三つほど開いたピアスから、たぶん二十代前半の男だと予想できる。
しかし、なんて奇妙な男だろうか。日没後という時間も相まってか、この世の者ではないかもしれないと勘ぐってしまう。
周囲を見回すが、他に人はいない。
これは困った。今日は不幸の連続でやさぐれており、いつもは通らない路地に入ったらこんな人間に遭遇するなんて。
対応に困っていると男は自ら言葉を紡いだ。
「あ、怖がらせてすいません。こんなナリっスけど、別に怪しいスカウトとかじゃないんスよ」
ま、制服の女の子に声かけるやつなんて
いい人なのか悪い人なのか。そういえば『未成年の──それも女子高生に声を掛ける男なんてロクなやつはいない』とママは口酸っぱく言っていたっけ。
なんと厄介なことか。これなら、深海にずっといれば良かったと馬鹿なことを考える。
私は相手の神経を逆なでしないように切り抜けることにした。
「あ、あの、な、なんでしょうか? 私、塾があるんで急いでいるんですが……」
ウソだ。塾なんて行ってない。
「あ、ごめんなさい。時間は取らせないんで。ボク、こー見えて道具屋なんです。販売もしてるんですが、最近じゃみんな買ってくれないんで、レンタルも始めました」
「はあ」
「そこでお姉さんに一つどうかなー、なんて思ったんですけどぉ」
男の背後を見遣る。路肩には薄汚れた
「あ、そうなんですか。けどすいません、塾に遅刻しそうなんで、これで……」
「そうっスかぁ、残念っス。つい最近、友達にひどいこと言われたお姉さんにピッタリな道具があったんスけどねぇー」
え? 動かそうとしていた身体が止まった。
「あ、ごめんなさいね。ボク、商売柄お客さんの最近の事情わかっちゃうんですよ。ほら、幽霊が見えるとかー、未来が見えるぅーみたいな人、いるじゃないですか? ボク、あーゆータイプの人間なんスよね」
思わず男の顔をジッとと見た。切り抜かれた面の穴から覗く目はいたって普通のはずなのだが、じっと眺めているとその瞳の黒に引き込まれそうな感覚に陥る。
どうにも、悪意を感じられない。私の警戒心はやや緩んだ。
ボンヤリとしていた私に男は手を差し出す。
「気になりました? そんな今のお姉さんにピッタリなのがこのライターです」
視線を落とすと、手のひらの中には蓋つきタイプのオイルライター。
「これ、ただのライターじゃないんですよ。『噂のライター』って道具なんですよ」
「は、はあ」
なんとも胡散臭い名前。
「使い方は簡単。このライターに流したい噂を唱えたら、蓋を開けてホイールを回すだけ。あ、“ホイールを回す”ってのはこうやって親指でこするんスよ」
男は親指をクイッと曲げて火をつけるジェスチャーをする。私はといえば最初から最後まで疑心暗鬼のまま。
「するとお姉さんが流したい噂があっという間に広がっちゃうんです。どうです?」
「はあ、便利ですね」
そんなバカな話があるわけがない。
「それで販売価格は二百五十万なんで――」
「に、二百五十万っ!?」
思わず素っとん狂な声をあげる。男は「あー待って待って」と慌てて手を振る。
「販売価格は高いンスけど、さっき言ったとおりレンタルもやってます。一週間で一万円。もし今契約してくれるなら、初回契約サービスで80パー引きで二千円。どうっスか?」
「二千円……」
その金額なら払えないわけではない。同時に、男の話を一ミリも信じてもいない。そんな胸中を見抜かれたのか、男は納得したように人差し指を立てた。
「じゃあ、こーゆーのはどうっスか? 効果がぜんぜんわからなかったとか、効き目が実感できなかったら、全額返金っていうのは?」
どうやら、なんとしてもライターを売りつけたいようだ。男の押しに観念し、騙されたと思って首を縦に振った。
「わかりました。それ、レンタルさせてもらいます」
「ありがとうございます! いや、ホントに後悔させないんで! それじゃあ、こちらの紙にお名前とご住所をお願いしまーす」
男がバインダーを差し出す。A4サイズの紙が挟まれており、目を通せばレンタル契約書とあった。仕方なく私は名前と住所を書き、財布の中から二千円を差し出した。
◇
帰宅した私はまっすぐ自室に行き、着替えることもせずに布団に突っ伏した。
今日は本当に色々ありすぎた。疲れが一気に加速して、身体が鉛のように重たい。
「あー。もうずっとこの部屋にいたい……」
私の自室はまさに深海で、外界とは途絶されているのだ。
――ここ数か月前までは。
昔から人付き合いが苦手で、高校に入るまでは苦悩ばかりであった。小中学までただボンヤリと輪の外からみんなのことを眺めているばかり。ただ無害に近くにいるだけだから、『教室クラゲ』なんていうひどいあだ名をつけられた。
自分を変えたいと発起し、同級生の少ない隣の市の高校を受験した。これで内気なクラゲとはオサラバできる。けど、入学してその決意は砕けた。
環境が変わっても、やはり泳げない奴はいつまでも泳げない。話しかける勇気のない私は群れに混ざることもできず、教室の中をボンヤリとひとり漂うだけの生活。
クラゲはなにをやったってクラゲ。なんて、自虐的な言葉が思い浮かんでひどく落ち込んだ。
入学してから数か月。孤独に苛まれていたとき、私に小さな群れがやってきた。どこにでもいる仲良し四人組の彼女たちは、気さくに私に声を掛けた。
途端に私たちは打ち解けた。それこそ、イルカの群れに混ざった気分。水底の宙ぶらりんとは違う、浮かれ調子の私は毎日を有頂天に過ごした。
けど、嵐というものは必ずやってくる。
――発端は些細な言葉のあやだった。
数日前のこと、ファミレスで討論があった。他愛のない、その場にいない友達に関してのダメなところが議題。普段から自己主張のない私にも意見を求められ、ついこう答えた。
「ちょっと、言い方キツイよね」
自分なりの逃げはあった。だが、周りはそんな逃げも容赦なく
翌日、私たちのグループには不穏な空気が流れた。どうやら、私の発言が誇張されて、当人に回ったらしい。時間が経つにつれて、その内容は私が心底彼女のことを毛嫌いしているというものにすり替えられた。
そして今日、討論に参加していた友人からもキツイ言葉を投げかけられた。「ハッキリと嫌いだっていえばいいのに」なんて。
私だけが悪いのか? いや、なぜ私だけなんだ?
彼女たちに怒りをぶつけたいけど、そんな度胸のないからただ落ち込むばかり。
「だから、ぜんぶ誤解なんだってば」
ベッドの上でひとりごちる。
そして、思い出したようにポケットからライターを取り出し、男の言われた手順でホイールを回してみる。表面の細かい凹凸に親指の皮膚が食い込み、簡単にホイールは回った。けど、火はつかない。
バカだな。少し間が空いて、投げやりにライターをベッドの隅っこに投げる。
そうして、明日の学校のことを考えてより気鬱になった。
◇
翌日。
重い足取りで登校すると校門の前に件のグループのうちの二人が立っていた。彼女たちは私のことを見つけるなり、足早にこちらへとやってくる。
「ごめんねー。あれ、私たちが勘違いしてた。ちゃんと話を聞けば良かったよ」
開口一番がそれ。え? きょとんとする私に隣の子も「ホントホント。私も間違ってた。誤解って噂聞いたからさ。謝るから、ホントに許して」
なんとも軽い調子でいうのだが、そこは問題じゃない。
「……それ、誰から聞いたの?」
「誰って……」互いに顔を見合わせた後、「なんていうか……ウワサ、的な?」
自身でも要領を得ないといった様子。
「まだ怒ってる? もし怒ってるなら――」
「ううん。ぜんぜん平気。気にしないで」
許しの言葉を貰った途端、パッと笑顔を咲かせるふたり。仲直りの印といわんばかりに私の背中を押して校舎へと連れて行こうとする。
自分たちも喜々として広めていたクセに。心の中で悪態をつくが、そんなことはどうだっていい。
突拍子もなく悪い噂が解けるはずがない。
まさか、あのライターは……。
私は雑念を振り払い、なにも知らずにキャッキャとはしゃぐ二人に倣って、笑顔を作った。
◇
「お姉さん、ライターどうでした?」
キツネの面の男は喜々とした声で訊ねる。
一週間という時間はあっという間で、私は例の薄暗がりの路地にいた。男の問いに、はにかんで答える。
「おっしゃっていたとおり、本物でした」
あれからいくつかの実験をしてみた。仲直りしたあの日、家に帰った私は自分の疑問を払拭すべく、またライターを使った。
「同じクラスの
八田は私たちグループのことを妙に敵視している女子。少し前の私と同じく陰気臭いのだが、兎にも角にも攻撃的で、なにかと角が立つような物言いをしてくる。
別にそこまで嫌いじゃない。でも実験台にはちょうどいいかも、なんて。
翌日、教室は八田の噂でもちきりとなり、スマホのグループトークも八田のパパ活で持ちきりになった。
当人の八田は昼休みには涙を滲ませながら、顔を紅潮させて早退した。ちょっと可哀そうなことをしたかも。でも、嫌いな奴だし別にいっか。
それから毎晩のこと、同じクラスの男子は誰々に恋してるとか、誰々先生は盗撮が趣味、なんていう根拠のない噂も試した。
すると夜に唱えた噂は翌日には広まることだけは確かであった。
皆、誰から聞いたのか、誰が発信者かは知らない。覚えてもいない。だが、まるで本当だといわんばかりに口々にする。
おかげで校内はスキャンダラスな噂で大盛りあがりで、興奮と疑心暗鬼の混沌の鍋と化していた。
みんな、噂を欲している。
キツネの面の男に向かって恐る恐るいう。
「あの……もう一週間ほど借りたいんですが……」
途端に男はガバリと顔をあげた。キツネの面がドアップになり、ついたじろいてしまう。
「いいっスよ! ただ、今週からは通常料金の一万円になるんスけど、いいっスか?」
その声音からして、面の下は笑顔に違いない。私と違って、すぐに顔に出るタイプ。
財布から躊躇なく一万円札を抜き、男が差し出してきた同意書にサインをした。
同意書を書き終えて渡した時だ。
「でもお姉さん。余計なことかもしれないっスけど、火の扱いには注意した方がいいっスよ」
これまで聞かなかった、妙に張り詰めた声色。
「なんですか、急に」
「いや、ねえ。噂の火ってのは何気なく口にするだけで灯るんスけど、火ってなにかと厄介ですから」
意味がわからない。私は適当に返事をし、その場を立ち去った。
◇
それから数日の時間が流れる。
私の学校は、違う意味で焼野原になった。
噂のライターによって付けられて火はたちまち燃えあがり、あっという間に広がっていく。
根も葉もない噂に踊らされて、みんなバカになっていった。
仲良し四人組も、私が巻いた噂でバラバラになった。互いに噂に踊らされ、勝手に猜疑心を振り撒いて、人間不信に堕ちていく。
一方の私は深海の底。ただ、真上で広がる惨状をユラユラと覗き見しているだけ。
噂の煙が昇って大はしゃぎする奴も、火だるまで煙が染みて泣き出す奴も、みんな私の毒に侵されているのに気づいてない。
昼は無害な教室のクラゲ。けど、夜のクラゲは猛毒。
触手をひとつ動かしただけで誰かが地獄に堕ち、大勢が躍りこける。
馬鹿どもにとって大事なのは、噂の真相じゃない。噂があるという事実なんだ。
火のないとこに煙は立たないのではない、煙の匂いがあるからこそ火があるんだと疑ってやまない。
あー、なんてバカなんだろう。
まあどうでもいい。
私はクラゲ。焼け野原とは関係のないとこで揺蕩い、気まぐれに触手で毒を刺すことだけ。
今日も今日とて私の噂が広まる。ああ、楽しみだな。明日の噂はどんなものを用意しよっか?
軽快な足取りで校舎を歩き、教室へと向かう。そんな時だった。
「おい」
ドスの利いた低い声に振り向くと、妙に鼻に付く匂いの液体が全身に振りかかった。液体が目に染み、視界が奪われる。
「お前らのせいで……お前らのせいで、私は……!」
恨みがましい言葉を浴びせられる。
「な、なにっ!? なんなの……!」
「どいつもこいつもバカみたいな噂に巻かれやがって、そんなに誰かの炎上が見たいのかよ……!」
声でわかった。八田だ。同時に、自分が浴びせられたのがガソリンだと気づいた。いや、私だけじゃない。そこかしこから、ガソリンの匂いが漂っていた。
ようやく目を開けられたとき、見えたのは怒り狂った八田の歪んだ顔だった。
次いで、八田はポケットから何かを取り出して金切り声をあげた。
「炎上が好きなら、お前ら全員燃えて地獄に堕ちろっ!」
八田の後ろには投げ捨てられた空のポリタンクが複数あった。
そして、私に向かって先ほどのなにか投げつけた。
それが火のついたオイルライターだと気づいたのは、私の全身が燃え上がった瞬間だった。
噂のライター 兎ワンコ @usag_oneko
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