第4章:秘密の共有と甘やかな侵食
怜の「秘密」を知ったその日から、拓也の日常は静かに変わり始めていた。
「……今日は、君が来るって思ってたから、ちゃんと片付けておいた」
「そ、そうなんですね……え、これ、手作りですか?」
「うん。君が甘いの好きって言ってたから、ちょっと頑張ってみた」
差し出されたのは、ふわふわのパンケーキ。
上には生クリームとベリーソースが丁寧にあしらわれていて、驚くほど本格的だった。
(えっ、何このギャップ……!)
そして何より、エプロン姿の怜。しかも、白地にレース付きの“ちょっと可愛い”系。
これは完全に、破壊力が高すぎる。
「俺、誰かのために料理なんてしたことないんだけど……君には、食べてほしくて」
怜は照れくさそうに視線を外しながら、そっと椅子を引いた。
「座って。口に合うかは……わからないけど」
一口食べた瞬間、拓也は目を見開いた。
「……美味しい。お世辞抜きで、かなり」
「……ほんと?」
「ほんとです。びっくりするくらい」
嬉しそうに頬を緩める怜。その目がとろんと細まり、ふと――
「ねえ……もう、敬語やめてくれない?」
「えっ……」
「君と話すとき、もっと近くなりたいのに、壁があるみたいで。……ダメ?」
その声音が、耳の奥で残響を作った。
甘さと寂しさと、独占欲が混ざったような、妙に艶を帯びた声。
(ダメなんて、言えるわけないだろ……)
「……わかった。じゃあ、怜」
「……っ、うん。その呼び方、好き。君の声で呼ばれると、ちょっとドキドキする」
その日を境に、怜はまるで水を得た魚のように、拓也への甘えを加速させていった。
「今日はちょっと疲れた……拓也の手、借りたい」
「ネーム、見ててほしい。横で、座ってて」
「帰るの? ……もうちょっとだけ、一緒にいてくれない?」
仕事の打ち合わせという名目のもと、ほぼ毎日のように拓也は怜の部屋に通うようになっていた。
気がつけば、夜をまたいでソファに眠ることも増え、ある夜など――
「拓也の匂い、好き……。だから、枕貸して?」
「え、ま、枕……?」
「うん。ずっと一緒にいたいから、匂い、覚えたい」
そんな風に甘えられた日には、眠れるわけがない。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、嬉しくて、心が溶けそうだった。
ある日。
打ち合わせ中に少しだけ離席した拓也が戻ると、ソファで眠っている怜の姿があった。
膝を抱え、クッションに顔を埋めて、どこか幼い寝顔。
拓也はそっと近づき、怜の髪に触れそうで触れない距離で指先を止める。
(こんな顔、俺だけが知ってるんだ)
胸が締めつけられるように愛しさが込み上げた。
「……拓也……」
寝言のように囁いた名前。
その瞬間、拓也は悟った。
(俺は、もう戻れない)
怜の甘さに心を侵食されている自分に。
けれどそれは、幸福な侵食だった。
“秘密”を共有した者だけが踏み入れられる、甘い閉ざされた世界。
そこにいるのは、自分と怜だけ。
誰にも知られず、深く、濃密に――
この恋は、始まってしまった。
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