断たれた糸、紡ぐ手
こぐま。
第1章 男排除宣言
世界はようやく、静かになった。
男たちの怒声も、支配も、夜ごと誰かの体を踏みにじる影も、もうどこにもない。
それは、私たちが手に入れた“解放”だった。
――男排除宣言から、五年。
街は清らかだった。 緑はよく手入れされ、子どもたちは笑い、女性たちは互いに敬意を払いながら日々を営んでいる。 武器も、壁も、警察もいらない。必要なのは、ただ規律と理解だけ。 そんな社会が、“男の消滅”と引き換えに実現した。
ノアは、国の中央管理機構に属する女性。 彼女は、かつて混乱と暴力に支配されていた旧時代を知る世代だった。 まだ男が日常にいた時代。 ニュースで女性の顔が殴られ、電車で体を触られ、結婚という名の支配のもとに心を擦り減らされていた日々。
あの頃に戻ってはいけない。 あの「地獄」は、もう終わったのだ。
ノアの今日の任務は、郊外にある育成隔離施設「Heaven」への視察。 Heavenとは、選別を生き延びた男児たちが暮らす場所。 彼らは、いずれ人工的な繁殖計画に利用されるため、徹底した管理と教育のもとで育てられている。
だが、そこに暴力も差別もない。 子どもたちは十分な栄養を与えられ、芸術や学問に触れ、理想的な環境で生きていた。 ただし、外の世界の存在を知らないままで。
無人自動運転バスがHeavenの巨大な門前で停車する。 ノアは、無言で降車した。
「ようこそ、ノア様。今日もお疲れさまです」
白衣の職員が丁寧に頭を下げる。 ノアは静かに頷き、セキュリティゲートを通過した。 中に入ると、笑い声が聞こえた。小さな男の子たちの、明るく無邪気な声。
ブランコ、音楽室、絵画スタジオ。 どこも整い、美しく、穏やかだった。 ここには、かつてのような“男の傲慢さ”は一切ない。 まだ「支配」を知らない彼らは、ただの存在として、平和に育っていた。
「……これが理想なのよ。すべての人間にとって、最善の選択だった」 ノアは自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
けれどその瞬間、一人の少年と目が合った。
他の子どもたちと違い、彼は静かにこちらを見ていた。 表情は穏やかで、なにも語らない。ただ、どこか“よそよそしさ”のようなものが、ノアの心に引っかかった。
「君の名前は?」
少年は少し間を置いてから、小さく答えた。 「ルカ」
「いい名前ね」
「うん。つけてくれたの、おねえさんたちだから」
にっこりと笑ったその表情に、危ういものは何一つなかった。 けれど―― ノアはなぜか、その場をすぐに立ち去れなかった。
子どもたちは何も知らない。 ただ遊び、学び、食べ、育っていく。
それでいい。
それが、この新しい世界なのだから。
けれど、ノアの胸の奥には、ふと冷たい風が通り抜けた。
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