シルヴァラ・オデッセイ〜雷精霊とうさ耳少女の大冒険〜

ギズモ

プロローグ

 森が呼吸しているようだった。


 風にそよぐ葉の音、遠くで鳴く精霊鳥の声、そして大地を踏みしめる足音のリズム。アルボルの森の空気は、まるでひとつの生命のようにゆったりと流れている。


 その森の奥、兎獣人たちが暮らす集落「ナリア村」では、今日も変わらぬ一日が始まっていた――はずだった。


「いよいよだね、クレアちゃん。成人の儀式、緊張してる?」


 そう声をかけてきたのは、同年代の友人。クレア・ルーンフェルは深く頷いた。


「うん……でも、楽しみなんだ。どんなバディと出会えるのかって」


 彼女の瞳は揺れず、まっすぐ前を見据えていた。


 俊敏な身体と跳躍力を誇る兎獣人の中でも、特に動きにキレがあると評判のクレア。けれど、戦闘や冒険に身を投じる者はこの村には少ない。森と共に暮らし、精霊と語らい、穏やかに生きる。それが村の伝統だった。


 だからこそ、彼女の夢――「SSランク冒険者になる」という言葉は、浮いて見えることもあった。


 そんなクレアが今日迎えるのは、「テイミングの儀式」。十五歳の成人を祝うと同時に、自らのバディを得る、神聖な契約の時間だ。


 儀式の場所は、森の奥にある「精霊の泉」。


 淡い光が差し込む神秘的な空間。湖面のように澄んだ泉の前に立つと、自然と心が静かになっていく。


 村の長老が祈りの言葉を捧げ、クレアは一人、泉に進み出た。


「我、心を開き、縁を求む。共に歩む者よ、ここに現れよ――」


 泉から現れたのは、雷雲のような形をしたモコモコした生き物だった。身体のまわりにふわりとした電気が揺れ、空中にゆるやかに浮かんでいる。


『……んぁ……ねむ……なんか、静かすぎる……』


 まるで昼寝から起きた猫のような声が、空中から聞こえた。


 クレアは一歩引き、耳をぴくりと立てる。


「しゃ……喋った!?」


 雷雲のようなその生き物が、空中でぐるりと一回転し、彼女の方へと向き直る。


『んー……ここ……外? 森? ……なんか空気が澄んでるな……』


 ぶつぶつと独り言を言っているようだったが、やがてクレアの存在に気づいたのか、こちらに近づいてきた。


『お前……誰?』


「あ、私は……クレア。今日、成人を迎えて、テイミングの儀式をしてたの。あなたを呼んだの……たぶん」


 ふわふわと浮かんだまま、雷の精霊はクレアをしばし観察していた。ぱちりと光る目には、何かを探るような気配がある。


『……クレア、ね。うん、聞き覚えないけど、まあ……よろしく』


「あなたの名前は?」


『……名前?、俺は“鈴木翔”』


「スズキカケル?カケルっていうのね……ふふ、なんだか不思議な響き。けど、可愛い名前だと思う」


 クレアが微笑むと、カケルはもごもごと雷の尾を揺らした。


『いや、なんつーか……変な夢でも見てたような……。電気とか、電車とか、スマホとか……』


「でん……しゃ? すま……?」


『……あれ、うさ耳の美少女?もしかしてここって――』


 言いかけて、口をつぐんだ。クレアの問いかけに困ったように頭(?)をかく。


『あー、いや。なんでもない。……でもなんか、こういうの、ゲームで見たことあるような……召喚とか契約とか』


「精霊との契約って、そんなものなの?」


『さぁ……初めてだし。けど、そっちが俺を呼んで、俺が今ここにいるってんなら、たぶん――そうなんだろな』


 どこか他人事のような、けれど不思議と落ち着いた口調だった。


 クレアは目を細める。この雷精霊は、確かに妙だった。けれど、なぜか胸の奥が温かくなる。


「カケル。お願い。一緒に、旅をしてほしい。私、強くなりたい。冒険者になって、たくさんの人を助けられるようになりたいの」


『んー……俺でいいのか? 見ての通り、マスコットだぞ』


「うん。あなただから、お願いするの」


 クレアの言葉はまっすぐだった。


 カケルは少しのあいだ黙りこみ、ゆっくりとクレアの肩へと降りた。


『……ま、いっか。悪くない場所だし。なんとかなるだろ』


 その瞬間、泉の水面が淡く光り、二人の間に雷の紋章が浮かび上がる。


 精霊契約――完了。


 それは、運命の交差点だった。


 精霊契約の光が収まると、泉の周囲は静寂に包まれた。


 少し遅れて、見守っていた村人たちがざわめきを見せる。


「おお……精霊と、契約を……」


「でも、あれ……雷属性? しかも、なんだあの形……雲? 毛玉?」


「しゃべってたぞ、あいつ……」


 クレアは振り返らずにいた。彼らの視線やささやきが気にならなかったわけではない。でも、それよりも――肩に乗ったカケルの存在が、どっしりと心に根を下ろしていた。


『ま、微妙な空気になるのは仕方ないか。俺、弱そうだしなぁ』


「そんなことないよ。私は、あなただから選んだんだ」


 クレアの声には、迷いがなかった。村での評価がどうであれ、彼女の中には確かな手応えがあった。


 彼はきっと、普通の精霊ではない“何かを”を持っている。まだ分からないけれど、これから一緒に探していけばいい。バディとは、そういう関係だ。


 儀式の終了後、長老は静かに告げた。


「……契約は認められた。精霊との縁は、森の意志が導くもの。その“縁”を大切にしなさい」


 クレアは深く頭を下げた。


 その夜、村の集会所では成人を祝うささやかな宴が開かれたが、クレアは早めに席を外した。


 星空の下、カケルと二人で歩く夜道。


「カケル、聞いてほしいんだ」


『ん?』


「私はね、世界で一番の冒険者になるって決めてる。SSランク――誰も到達したことのない場所に、行ってみたい」


『へぇ、いいじゃん。わかりやすくて、でっかくて。』


「そのためには、まず“セルディア”に行くの。冒険者ギルドの本部があって、トリアステって街があるんだって」


 クレアの目が、星を映してきらきらと輝いた。


「きっと、いろんな人がいる。強い人も、知らない世界も。だから……私、そこに行って、挑戦してみたい」


 カケルはふっと笑ったようだった。雷の尾が、心地よく肩に触れる。


『いいね。じゃあ、俺もついてくよ。なにせ、俺はお前のバディだからな』


 クレアは頷いた。


 世界はまだ、彼女にとって小さな森の外側にある広がりにすぎない。


 ――そして、彼と彼女の物語は、まだ誰も知らない地平へと歩き出した。

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