月の巫女と星の皇子

よし ひろし

第一話 山裾に眠る、神々の末裔の里

 朝靄がまだ地を這う頃、深い森は静かに息をひそめる。そんな山裾のなだらかな斜面に、苔むした茅葺きの屋根が点在していた。瓦を持たぬその屋根には、夜露がしっとりと染み込み、陽が昇るにつれて白金色の蒸気となって空へと還ってゆく。まるで、神楽耶かぐや一族の集落そのものが、ひとつの大きな吐息をついているようだった。


 山の斜面の一角、高台に寄り添うようにして建てられた大きな社があった。白木と漆黒の檜皮葺きが見事に調和したその社は、陽光の角度によって様々な色に移ろう。早朝には淡い薄紫に、黄昏には朱と金が溶け合う琥珀に、そして夜には月光を撥ね返す銀に。ここが、月の巫女の住まう「月神殿つきしんでん」である。


 月の巫女――それは神楽耶一族の精神的支柱。星空を見つめ、月を観測することで世の吉兆を占うことを務めとしてきた神聖な存在であった。


 その月の巫女の住まう神殿の正面には、白い衣をまとった石像が門を見守るように左右に立っていた。目を閉じ、両手を胸の前に合わせた姿は、どこか祈るようでもあり、また何かを封じているようにも見えた。その足元に咲くのは、夜にだけ開く紫の花。名を「月待草つきまちそう」という。花弁の中心に、銀の粉をひとつまみ落としたような煌めきを持ち、風が吹くたびに、かすかに鈴の音のような響きを発する不思議な花だ。


 そんな月神殿の背後には、古来「白鏡山はくきょうさん」と呼ばれる山が控えていた。その頂きは一年の大半を薄い雲で覆われており、晴れて姿を現すのは月の満ちる日だけとされている。言い伝えでは、その山頂にはかつて天から降った神々が舞い降り、地に足をつけぬまま暮らしたという。


 神楽耶の民は、自らを「遥か星の海を越えてきた者たちの末裔」と呼ぶ。もはやそれを信じる者は少ないが、それでも月神殿の灯りだけは、いかなる嵐の夜にも消えることがなかった。


 その神殿の一角には、次代の月の巫女候補たちが修行に励む修練の場が設けられている。

 そこへ今、一人の少女が足を踏み入れようとしていた。名を佐久夜さくやという。十三歳、まだ祝詞のりともおぼつかぬ見習いの巫女。だが、彼女の瞳には、誰よりも深い夜の色が宿っていた。

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