第16話 初めての休日

 月曜日に滑川君のお父さんが経営する美容院で髪の毛を切って、結衣さんに暗号で会話をしていたことが発覚し浮気疑惑を掛けられ、おばさんが茉衣さんの言葉に乗せられコスプレを行ったというとても濃い一日を送った。

 休みまでの間に、結衣さんは服を買いに行く予定のようだったが、翌日の火曜日からは金曜日までは連日雨が降ったため外に出かけることはなく、結衣さんに脅えることになると思っていたが、結衣さんは自分の部屋に籠り勉強漬けの毎日で、リビングでswitchでタケとノブと通話をしながら遊ぶ僕に構うようなことはなく、夜になると結衣さんに筋トレを強制され早く寝るように言われたり、言葉遣いを強制されたりはしたが、その点を除けばものすごく充実した春休みを送ることができた。

 そして、休日も平日同様に充実した春休みを送れると思っていたが、毎朝の恒例と化してきた寝苦しさによって起こされ、リビングでゆったりと過ごした後にサブスクでオタ活を始めようとしていると、いつもよりも早く起きてきた結衣さんの表情で察しがついてしまった。

 「ジンちゃん!今日は服を買いに行くから準備しておいてね」

 「...」

 「お母さんとお父さんが起きてきたらイオンに送ってもらうように話すからね」

 「...」

 「ジンちゃん分かった?」

 「...はい」

 結衣さんは僕に返事を迫り、僕は嫌でも頷くしかなかった。

 「お?結衣もう起きていたのか。おはよう、成人君は毎日早起きで偉いね」

 「ぁ、ありがとう」

 僕が諦めの境地でテレビを見つめていると、おじさんが起きてきて毎日早起きする僕を褒めるが、僕がなぜ早起きをせざるを得ないのないかを思えば素直に賞賛を受け入れることができず、結衣さんがいる手前本当のことを言えるわけもなく複雑な気持ちでおじさんの言葉に頷いた。

 「お父さん、今日ジンちゃんの服を買いに行きたいからイオンまで送って」

 「成人君の服か、明日だとダメなのか?」

 「なんで?今日用事でもあった?」

 「今日は成人君と釣りに行こうかと」

 「それこそ明日じゃダメなの?」

 「...実は、成人君と釣りに行こうと約束をしてたんだ」

 おじさんは僕と目が合うと、少し申し訳なさそうに結衣さんではなく僕に語り掛けるように話した。

 すると、結衣さんの首は回転させ僕の顔を見た。

 「ジンちゃん、お父さんと釣りに行く約束をしてたの?」

 「...ぁ~。そう、だったよう...な」

 「どっちなの?」

 「約束、してました」

僕はおじさんと結衣さんの顔を交互に見て、正直に言って釣りには興味はないが、結衣さんとの服屋は一週間前の出来事が再び起きないという可能性がないわけではないので、そう考えるとおじさんの噓の約束を本当にすることが今の僕にとっては最適な回答だと思った。

 後日、結衣さんと服屋に行くことになると思うが、それは未来の僕に任せて今はよりストレスがない方を選んだ。

 「そうだったんだ。予定があるならしっかり言ってよ」

 「...はい」

 「ちゃんと言ってよ?」

 「はい」

 結衣さんは僕とおじさんの嘘を疑いもせずに信じ、結衣さんを騙すということに少しだが僕の良心がチクリと痛んだ。

 しかし、良心よりも心の平穏を選ぶという選択には全くと言っていいほどに心は動じず、僕はここまで冷たい人間であるということを思い知った。

 「それじゃあ成人君、準備もあるし後1時間後に出かける準備をしていおて」

 「はい」

 おじさんは表情を変えないまでも、明らかに声のトーンは弾み、僕との釣りをそれほどまでに楽しみにしていたのか、それとも男だけの気を使わない時間が欲しかったのか、恐らくは後者だが僕からしても嬉しいことには違いはないのでありがたく指摘をするようなことはせず、僕はこれから暫くの間は気を張ることがない平穏な時間が出来ることに、嬉しさのあまりガッツポーズをして喜びを表したかった。


 おじさんが運転する車に揺られ、20分程の田舎道を走るとフロントガラスに一面の海が広がり、何気に初めて見る大きな海に感動というよりも圧倒されていた僕に気が付いたおじさんは、助手席に座る僕のサイドウィンドウを開け、サイドウィンドウから車内に入る僕の鼻孔を仄かに辛い独特の海の匂いが刺激した。

 「成人君は海は初めてなのかな?」

 「はい。埼玉には海はなかったので」

 「だったら一度、海の水を飲んでみるといいよ」

 「嫌ですよ!とても辛いんですよね」

 「辛いってものじゃないよ、とんでもなく辛くて言葉では表せない程だからね。『若い時の苦労は勝手でもせよ』っていう教えもあるくらいだし、強制はしないけど一度は経験してみるといいよ」

 おじさんの有難い話を聞いてい内に目的地の漁港にたどり着き、田舎ならではのだだっ広い駐車場に車を止め、車の屋根に取り付けたルーフキャリアから釣り竿を取り出していると、おじさんの車のすぐ側に黒色のセダンが入ってきた。

 黒色のセダンを運転していた運転手はすぐに車から下車し、おじさんに向かって大きく手を上げた。

 「隼人さんお久しぶりです。今日来ることになっていた兄は急遽仕事が入ってこられなくなりました」

 雰囲気がどことなくイケメンのその人物は、僕を見るなり少し訝し気な目を向け何かを察したようにおじさんを見た。

 「隼人さん、その子は隠し子だったりしますか?」

 その男性の突飛な発言に僕とおじさんは呆気にとられてしまい、ガコンッ!とおじさんはクーラーボックスを落とした。

 「何言って...」

 「隼人さんに息子はいませんでしたよね」

 「ついこの前できたんだ」

 「家は大丈夫でした?奥さん怒ってませんでした?」

 男性はおじさんに発言権を与えずに矢継ぎ早に質問し、おじさんは誤解を解くための弁明をできずにいた。




 チャポン。

 僕とおじさんと雰囲気イケメンな男性の三人で、だだっ広い海に船を漂わせ、海に糸を垂らしボーッとしながら揺れる釣り竿の先を見ていた。

 「隼人さん、そうならそうと早く言ってくださいよ」

 「言おうとしても質問をやめなかったのは陵介君だろ」

 「すいません。それにしても、成人君が高見高校にこれから通うことになるのか」

 誤解が解け、僕がこれから高い高校に通うことを知った男性は感慨深そうに頷き、僕の傍に座り僕の肩に手を回した。

 「成人君、実はね。俺はこれから成人君が通う高見高校の体育の先生なんだ」

 「そう、なんですか」

 「もしかしたら、俺が成人君の体育の担当になるかもしれないぞ」

 「よろしく、お願いします」

 「そういえば、隼人さんの娘さんも高見高校に通うそうじゃないか」

 「...そうですけど」

 「いやぁ、水瀬家の血筋は優秀だよな。従姉弟でそろって高見高校はすごいことだと思うぞ」

 「僕はそんなに頭良くないです」

 「謙遜はよくないぞ。高見高校に入れること自体がこの周辺の同年代よりも頭がいい証拠なんだから。困ったことがあれば高岡先生を尋ねればいいぞ」

 そういいながら親指を立て、ニカッと白い歯を見せて笑った。

 やはり雰囲気だけはイケメンな高岡先生だった。

 「おっ!来た来た!成人君網を頼む!」

 高岡先生は大きく曲がった釣り竿を力強く握り、リールを回しては竿を引き、高岡先生の力む声を聞いたおじさんが駆け寄り、僕は近くに置いてある網を握った。

 網は思った以上に網の部分が大きく、ずっしりと重く、これを魚を追うために振り回すことを考えると、腕がもつのか不安になってきた。

 「成人君、もう直ぐ魚が見えて来るから網を沈めてくれ」

 「は、はい!」

 高岡先生に言われるまま網を沈め、高岡先生は大きく曲がる追竿で魚と格闘を続け徐々にシルエットを見せ始める魚に、魚を追いかけて網を動かした。

 「ぉお!クロダイか、今日は出だしから好調だね」

 「隼人さん、今回は夕食をごちそうになりそうです」

 「これまで淳平君が勝つことがなかったから、楽しみにして待っているよ」

 「見ててください、今回は絶対に勝ちますから」

 「前回も同じこと言ってなかった?」

 「それは隼人さんが最後にブリを釣ったからですよ」

 高岡先生は持ち前の筋肉を駆使して少し強引に引き、一気に船の近くまで引き寄せられたクロダイを僕は待ち構えていた網で迎え、ずっしりと重くなった網を持ち上げると、クロダイはピチピチト甲板で飛び跳ねた。

 「これは随分と大きいな」

 「これは余程のことがない限りは勝ちそうですね」

 「そうなりそうだね。何食べたいか考えておいてね」

 高岡先生は嬉しそうに釣果を氷を詰めたクーラーボックスに入れ、釣り先に気持ち悪いゴカイを取り付け、意気揚々と釣り糸を海に落とした。

 「成人君は何か食べたいものとかある?」

 「とくには」

 「そういえば、富山県に来てから魚は食べた?」

 「はい、引っ越した日の夜ごはんが刺身でした」

 「どんな種類の刺身だった?」

 「赤い刺身だけでした」

 「赤身魚だけか。白身魚を食べてないなら今日は刺身にするか」

 高岡先生は自分の食べたい料理ではなく、僕がまだ食べていな白身魚を今夜のご飯に決めたようでなんだか申し訳なかった。

 「あの、いいんですか?高岡先生の食べたいものではなくて」

 「気にするな。せっかく富山県に来たんだ、魚のうまさを十分堪能していってくれ」

 「当分はおじさんの家でお世話になるので、すぐに帰ることはないんですが」

 「細かいことは気にしてもしょうがないぞ」

 高岡先生はずぼらというか大雑把というか、豪快に笑いながら細かく釣り竿を揺らした。

 こんな緩い人が体育を教えているとすると、少し体育の授業が楽になりそうで学校生活の楽しみなる予感がした。

 なんてことを思いつつ、結衣さんや茉衣さんに脅えることのない至福の時間を噛み締めながら、高岡先生を見習いながら釣り竿を揺らし、静かな波音が僕の疲れた心を洗い流してくかのようで、初めはあまりやる気のなかった釣りは案外いいものだと実感した。

 「おい!成人君!」

 「ぇ、どうしました?」

 「目の光が消えていくから心配したぞ。何か不満があるなら相談相手になるぞ、俺は一応教師だからな」

 「そんなに目が死んでました?」

 「ああ。あれか、隼人さんの娘が可愛いことは学生の内で少有名だからな、一緒な家に住んで理性を抑えるのに苦労しているのか?」

 高岡先生は腐っても教師ということであるのか、的は明後日の方向に反れているが、僕を悩ませている人物を的確に当てた。

 しかし、高岡先生は今日あったばかりの、しかもこれから教え子になるかもしれない僕に下ネタをぶち込んできて、流石におじさんの耳に入らないように気を使ってくれているが、それでもこの会話を切り出してきた高岡先生に少し引いた。

 「違います」

 「そうなのか?同じ屋根の下に、中高生が羨む隼人さんの娘がいるんだぞ、何も感じないのか?」

 「本当に違いますから」

 「そうか。いつでも相談に乗るからな。安心しろ、俺は口は堅い方だからな、隼人さんにも秘密にするからな」

 どうしても高岡先生は下の話にしたいのか、僕の悩みを結衣さん関連の下の話と決め込み、再び白い歯をさらけ出し雰囲気だけがイケメンな笑みを見せた。


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