第14話 浮気疑惑の結末

 結衣さんは僕をリビングの隣の部屋に押し込める際、少々強引に僕の服を引っ張り、ドアを閉める際も怒りを完全に抑えられず勢いをつけた状態で大きな音を立てて閉めた。

 『ジン、大丈夫か?』

 「...滑川君、ありがと」

 『初めに結論を聞いておくが、浮気は...』

 「してない!」

 滑川君が尋ねようとしたことに対して僕が言い切る前に食い気味に答えると、滑川君の苦笑いの声が聞こえてきた。

 『落ち着け、俺もジンが浮気をしたなんて思ってないからな。念のために忠告しておくと、恐らく、俺とジンの会話は録音か盗み聞きされていると思って注意して話せよ』

 「ぇ?」

 『水瀬さんは本気でジンが浮気をしているって思いこんでいるんだ。他の人なら部屋の外で聞き耳を立てるなりして会話を聞こうとするが、そんなすぐにばれることは絶対に水瀬さんはしないぞ』

 「滑川君は、それを僕に言ってもよかったの?後で結衣さんに怒られたり...」

 『心配するな。俺は水瀬さんと学校が始まるまでは滅多なことがない限り合わないし、学校が始まっても同じクラスにならない限り合う機会も少ないだろうからな』

これからは滑川君に足を向けて寝れなくなるかもしれない。

 『ジン、もし俺が言ったように水瀬さんのスマホで録音しているアプリを見つけたとしても切ったらだめだぞ』

 「なんで...」

 『疚しいことはしてないって言う意思表示と思え』

 「ゎ、わかった」

 結衣さんにこの会話を聞かれているにしろ録音されているにしろ、これ以上結衣さんの神経を逆なでするような不用意な発言はできないので、頭を使って話さないといけなくなった。

 『ジンは水瀬さんに愛されているな。中学から水瀬さんを知り合ったが、ここまで怒っていることは見たことないぞ』

 要約すると『水瀬さんに重い愛情を向けられて大変だな。この前話した中学の下の話が女子のバレた時があったんだが、ここまで怒ってなかったぞ』という具合かだろうか。

 「...」

 『そう落ち込むな。水瀬さんにここまで愛されてるってことは、幸せなことなんだぞ』

 役)『こんな会話に慣れてないのか?水瀬さんがここまで重たいってことは、ちょっとやそっとの事で別れることにはならないから安心しろ』

 「...そう、なんだ」

 僕は結衣さんと一刻も早く円満に別れたいというのに、円満で分かれるということが難しくなったということを知り、滑川君の言葉が心に刺さった。

 『そろそろ本題に入るか。ジンは何をして水瀬さんをあそこまで怒らせたんだ?』

 「結衣さんが僕の友達とのディスコードのやり取りを見て...それで、突然お...」

 『ゴホッ!ゴホ!すまん、水が変なところに入ってしまった。続けてくれ』

 役)『ジン、今何を言おうとした。水瀬さんに聞かれるんだ、考えてから話せ』

 「それで、機嫌が悪くなって。...今、送れないけど、数字とアルファベットの会話が浮気の証拠だって言う話になった」

 僕はやったことのない頭を使った会話を行おうとするが、滑川君のようにスラスラと言葉が浮かばず、言ってはいけないことを避けて話すことが精一杯だった。

 ピロン!

 偶然にしては出来すぎたタイミングで鳴った結衣さんのスマホの着信音に、僕の体は大きく反応し椅子を倒して立ち上がった。

 「なー君。結衣が『滑川君に浮気の説明をする時に、現物があった方が分かりやすいと思って滑川君のスマホにスクショ送ったから使っていいよ』だって」

 僕はドア越しに聞こえる茉衣さんの声に心臓が飛び出るほど驚くと同時に、心のどこかで結衣さんに聞かれていないと慢心していた余裕がなくなり、結衣さんの激情に晒されていた時と同じ緊張感が僕に襲い掛かった。

 『お~、ありがたい。流石水瀬さんだな』

 役)『これで決まりだな。水瀬さんは俺たちの会話を聞いているから注意しろよ』

 「...そ、そうだね」

 『確かに、これは見ないと想像できない暗号だな...、解読しようとすら思えないぞ。解読の仕方は聞いてもいいのか?』

 「あっちにいる友達と頑張って考えたから、そんなに簡単に解読されたら困るんだけど」

 『まあそうだろうな。やっぱり暗号での会話は男のロマンだよな、俺も友達とモールス信号を覚えてテストの時に会話したことがあるぞ。その時は一番前に座っていた友達が先生に『うるさい』って言われて怒られてたな。しかも、国語のテストの時にやったもんだから文字数が多いのと、モールス信号が教室内にたくさん飛び交って全く分からなかったんだ。そのせいで最後まで問題解けなくてな、俺も友達も全員が赤点をとって、その時のクラスの国語の点数の平均が40点代で国語の先生に怒られた挙句に補修までさせられて、ひどい目に合ったんだ』

 滑川君は笑いながら苦い経験を話し、僕ではなく会話を聞いているであろう結衣さんに、暗号で友達と会話を試みることが男子の中では定番な遊びであることを話し、今回問題となったディスコードの暗号は『偶々うまくいっただけで、何らおかしいことではない』ということを暗に告げていた。

 『う~ん、分からん。母音がアルファベットで子音が数字かと思ったが、その場合は母音の数は一つ多いし、そもそもの文章の母音の数が少なすぎるし...暗号作りに本気出しすぎじゃないか?』

 滑川君が言ったように子音と母音を数字とアルファベットに分けることでも暗号が作れそうで、わざわざ16進数でアルファベットを示し会話するよりも滑川君が考えた暗号の方が会話しやすそうだった。

 「確かに、そうやって会話する方法もあるのか。滑川君っていったい何者?実は体が子供で、頭は大人だったりする?」

 『俺は小学生でも名探偵でもないからな!ジンもだいぶ落ち着いてきたことだし、そろそろ考えるか』

 「そうだね」

 『おし、まずは暗号を作る経緯を聞かせてくれ。暗号の解読法は言わなくてもいいが、経緯とその時考えていた目的も含めて出来るだけ詳しくな』

 「暗号を作ったのは一昨日の長野のホテルで、友達と通話しているときに『結衣さんの話を聞かせて欲しい』って言われて」

 『それは確かに暗号を作ろうと思っても仕方ないな、同じ家で住む以上は普通に付き合うよりも会話の内容がバレる可能性が高くなるからな。もし見られたときに惚気話をしていたら気まずくて、俺だったらその日は顔を合わせられる自信がないな』

 滑川君は僕が口を滑らせる前に会話に割り込み、結衣さんに分かりやすいように言葉を付けたし、僕の行動は結衣さんの関係を壊さないようにと思っての行動だった、とも受けとれるように変換してくれた。


 それから滑川君と結衣さんに説明する内容を考え、結衣さんに説明する原稿が完成を迎えようとしていた。

 『他に伝え忘れている経緯はあるか?』

 「ぁ、話は別になるんだけど、暗号を作った直後に結衣さんに見つかって、『友達から問題集の答えを送ってもらった』って嘘ついたんだけど」

 『はあ、その時に正直に言えばよかったものを。もう知らん、水瀬さんに『友達とエロい話をするために暗号作りました』とでも言って怒られて来い』

 滑川君は最後に僕を突き放す言葉を残し通話を切ったが、これは突き放したのではなく、最後に一番結衣さんに勘違いされた場合に辛い選択肢を冗談で潰してくれたのだ。

 本当に滑川君に頭が上がらない。

 この一件が無事に乗り越えられたら、これからは滑川大明神と崇めないといけないかもしれない。

 「よし!」

 滑川君から勇気を貰った僕は、結衣さんのスマホ画面を消し、頬をパシッ!と叩き、顔を引き締め決戦の面持ちで引き戸を開けた。

 「ジンちゃん、スマホ」

 「...っ!」

 引き戸の前にはタイミング良く表れた結衣さんが僕に手を差し出し、眉間にしわを寄せる結衣さんを見た瞬間にエンペラータイムは呆気なく終わってしまった。

 どうして先ほどまでイケると思っていたのか、僕は緊張と恐怖で体が思うように動かず、ライトノベルに『蛇に睨まれた蛙』という表現が度々出てきたが、まさか実際に体験するとはいままで露にも思っていなかった。

 「ジンちゃん、説明できるよね?」

 「...はぃ」

 再び結衣さんに二の腕を掴まれると僕の心は粉々に砕け散り、結衣さんに引っ張られるまま椅子に座らされた。

 逃げ道はなく結衣さんの二つの目で見返されると、喉が震えるだけで声が全く出てこず、結衣さんとの間に流れる沈黙がより僕に声を詰まらせた。

 「ジンちゃん、どうして浮気したの?」

 「して、ない...です」

 「じゃあ、どうして暗号で会話してたの?」

 「タケとノブが...話を聞きたいって」

 「それで暗号で会話してたの?」

 「結衣さんに、見られたくなくて...」

 言葉が喉の奥で詰まり何も言えなくなり俯く僕の頬に結衣さんは両手を添え、視線が重なるように持ち上げられると、喉の奥で詰まっていた言葉が促されるまま外に出ていった。

 「どうして、この前嘘ついたの?」

 「怒られると...怖かったから」

 「浮気はしてないんだよね?」

 「はい」

 「知られたら恥ずかしいだけで、疚しい話はしてないんだよね?」

 「はい」

 「タケ君とノブ君だっけ。その二人とは暗号で会話を続けてもいいけど、もう他の人と暗号で話しないでね、不安になるから」

 「はい」

 結衣さんは僕の頬をムギュッと顔の中心に寄せ、最後の問いに僕が頷いたことに満足した結衣さんは僕の顔から手を放した。

 僕の頬から離した手は結衣さんに戻されずに僕の手に重ねられ、今度は結衣さんが俯いた。

 「それから、ごめんね。ジンちゃんが浮気してるって疑って、タケ君とノブ君とのグループだったのは知ってたけど、他でも暗号で会話しているのかなって思ったら不安で...勝手に疑って、勝手に怒ってごめんなさい」

 結衣さんは上ずった声で僕の手に重ねる手に僅かに力を入れ、俯いていた顔をさらに低く下げた。

 「なー君、結衣が弱っている今が漬け込むチャンスだよ。やさしく『僕も悪かった。結衣、愛してる』で結衣をお持ち帰りできるよ。今ならママが返ってきても部屋には入れないように協力するよ」

 『男を見せてください、結衣さんの彼氏さん!『ぁあ、結衣さん。結衣さんは少しも悪くないよ。僕が結衣さんを不安にさせたのが悪かったんだ、許してくれ』』

 「『なー君、許してくれるの?』」

 『『当たり前だ。僕には結衣さんしかいない』』

 「『なー君』」

 『『結衣さん』』

 『「きゃ~ぁ!!」』

 茉衣さんとその友達は僕の後ろで想像するだけでも恐ろしいことを囁き、僕と結衣さんの劇を勝手に始め、二人でキャッキャと騒ぎ始めた。

 「ぁ、私たちお邪魔虫だったよね」

 『お邪魔虫は退散します。これから私たちは集中して勉強するので、どんな大きな音でも気が付かない程集中して勉強してきますから』

 茉衣さんとその友達は冷やかすだけ冷やかすと、わざとらしい言葉を残しリビングから出ていくが、リビングの戸は僅かに開いた状態で、その戸の隙間からはスマホのカメラが見え、覗いていることは明らかだった。

 「ジンちゃん」

 僕が茉衣さんとその友人にうんざりとしていると、声を掛けられ視線を結衣さんに移すと目を涙で潤い、茉衣さんの冷やかしによって少し頬が赤くなっていた。

 不意打ちに近い結衣さんのあざと可愛い表情に直視することが急に恥ずかしく感じて視線を逸らすが、不自然に視線を動かした僕に結衣さんは身を乗り出し顔を近づけてきた。

 結衣さんの顔が近づくにつれ、僕の顔はだんだんと熱を持ち、心臓が煩いほど鼓動し、喉が異常なほど乾き、体が酸素を求め呼吸を僅かに荒くした。

 「ジンちゃん、大丈夫?顔赤いよ」

 「...わぁああぁあ!」

 結衣さんは僕の状態の変化を感じ取り僕の熱を測るために額に手を伸ばすが、結衣さんの手が僕の額に触れた瞬間に僕の中で何かの紐が切れ、僕は結衣さんから逃げるように椅子から転げ落ち走り出すと、そのまま茉衣さんがいない方の入り口からリビングを飛び出し、近くの鍵がついている部屋に駆け込んだ。

 「ぷぷっ。結衣ってば、なー君に逃げられてる」

 『結衣さんの彼氏ってヘタレですか?あそこは結衣さんに漬け込むチャンスだったのに』

 「これから楽しくなりそう」

 『茉衣、今絶対に悪い顔してる』

 茉衣さんは僕が出ていったリビングの入り口とは別の入り口から顔を出し、僕が逃げ出したことで初めての失恋に近い経験にポカ~ンと口を半分開き呆然とする結衣さんを笑った。

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