第8話 最悪な目覚め

 夢の終わりを告げる不快な目覚ましの音と、本能が発する警鐘によって目を覚ますと、目の前には昨日僕の心を抉り、深いトラウマを植え付け、疲れていた僕を散々連れ回した挙句に僕の精神を何度も追いつめ、不慮の事故により僕の初めての彼女になってしまった陰キャの天敵、結衣さんの顔が目の前に大きく映った。

 「早く起きないと、朝ごはん過ぎちゃうよ」

 「わぁあ゙あぁぁああぁあ゙!!!!」

 「酷っ!私の顔を見ていきなり叫ぶなんて、いくら怖い夢を見ていたとしても傷ついたよ」

 僕の心臓はけたたましく鳴り響き、胸の痛さと苦しさに胸に手を当てて蹲り、全身から湧き出る脂汗が水滴を作った。

 「ジンちゃん大丈夫!?胸が苦しいの?救急車呼ばないと!」

 「だ、大丈夫...です。驚いた、だけです」

 「本当に大丈夫?ひどい汗かいてるし病院に行った方が良くない?」

 「大丈夫、です」

 僕が病院に運ばれたとして、先生に何て言えばいいのか、まさか『朝起きると結衣さんの顔が目の前に合ってストレスが...』とでも結衣さんが立ちあっている所で正直に言えとでも言っているのだろうか。

 僕にはそんな命知らずな真似を到底実践する勇気はなく、病院に行ってとしても原因を言えない以上はどうすることもできず、仮に対処法として心を落ち着かせる薬を貰えたとしても根本的な解決にならず、それよりも実践は困難を極めるが原因は結衣さん関連であることは明白なため、『結衣さんとかかわらずに過ごす』という明確かつ最も効果的な対処法で根本的な解決もできると分かっているというのに、これ以上何の原因を調べに行くのだろうか。

 「そうだ。ジンちゃん、誕生日おめでとう」

 「ありがとうございます。結衣さんも、おめでとうございます」

 「違うよね、私はジンちゃんの?」

 「姉さん、誕生日おめでとうございます」

 「敬語になってる。やり直し」

 「...姉さん、誕生日おめでとう」

 「ありがと、ジンちゃん」

 僕は久しぶりに誕生日というものを祝われ、曲りなりにも彼女の結衣さんに祝われたことで何らかのプラスの感情を感じると思ったが、特にこれといった感情を感じず、ただ淡白に『15歳に』なったのかと思っただけだった。

 そもそも、僕が覚えている限りの母は僕を嫌い避けていたため、数少ない友人からしか誕生日を直接祝われた記憶は数回しかないが、その友人も小学校に上がってからは春休みという大事な休日であるため、わざわざ祝うためだけに家まで押し掛けるなんて陰キャがするはずもなく、陰キャは都合が合えばその時に祝うぐらいの感覚しか『誕生日』という年が増す日に思い入れがなかった。

 「ジンちゃん、落ち着いたなら早く着替えてご飯食べに行くよ」

 「...はい」

 結衣さんのせいで起きた胸の激しい痛みが静まると、結衣さんは僕がカバンの中に入れておいた春服の中から勝手に選ばれた地味にコーディネートした服を渡され、結衣さんきれいに折りたたまれた服をベッドに置き、浴衣の紐をほどき始めた。

 「な、なにして...!」

 「何って、見て分からない?着替えでしょ」

 結衣さんは恥ずかしがるそぶりを一切見せず浴衣の紐を解き、僕は慌てて結衣さんに背中を見せ浴衣を着た状態のまま着替えを始めた。

 「ジンちゃん、何照れてるの?こっち見てよ」

 「ぇ、だって、結衣さん、い、今...」

 「いいから、いいから。それとも、もう直ぐJKになる私の生着替えを想像してるの?」

 「だって、は?え?」

 「向かないなら、私が動くからいいよ。ジンちゃんは私で何を想像してたのかな?下着姿とでも思った?」

 「はぁ...服着てるなら、初めから言ってください」

 僕は奇麗に折りたたまれた私服とは別の服を浴衣の下に着ている姿に安堵し、ここで下着を見せびらかすように着替えを始めた結衣さんが下着を見られたという理不尽な理由によって制裁を受けることがなかったことに緊張が解れベッドに腰かけると、結衣さんはニヤニヤと僕を小ばかにするように見下ろし『ジンちゃんのエッチ』と理不尽な暴言を受けた。

 「着替えたなら顔洗って、時間ないんだから」

 「今からご飯ですか...」

 「当り前じゃない?」

 時計を見ると減税の時刻は7時半で、学校のある早起きをしないといけない日でも遅刻常習犯の僕は朝8時起床でもいい方で、朝ごはんは食べながら移動するか、休み時間の合間にとる習慣の僕には、しっかりととした朝ごはんは重たすぎた。

 「早くしてよ。私、お腹がすいてお腹が鳴りそうなんだから」

 「一人で行ったらどうですか?」

 「ジンちゃん、本気で言ってるの?怒るよ」

 「じゅ、準備してきます!」

 僕は当然のことを言ったつもりっだたが、結衣さんがガチトーンで『怒るよ』と返された僕は、心に誓った教訓と打たれた頬の痛みが思い起こされ、あの日と同じ轍を踏まないために結衣さんの言葉に素直に従い顔を洗いに向かった。

 洗面所に駆け込む時に視界の縁に結衣さんが移ったが、結衣さんはクスクスと笑いを堪えるように肩を震わせ、着替えの一件で僕をからかって遊んだことを思い出し笑っているようだった。

 僕は結衣さんの機嫌を損ねないようにと細心の注意を払っているというのに、結衣さんは僕を揶揄って遊び、やたらと僕に絡んでくるので僕は何が結衣さんの尾を踏まないか脅える時間が増え、精神衛生上物凄く劣悪な環境に置かれていた。

 改善しようにも、僕が結衣さん絡みで何か行動することについて考えること全てが精神衛生上非常にゆゆしき問題であるので、一刻も早く僕に飽きてくれるのを期待して日々を過ごす、受け身の姿勢以外に選択肢がなかった。

 「ジンちゃん、まだ~」

 一定間隔でかけられる結衣さんの催促に、僕はいつ結衣さんの堪忍袋の緒が切れるのか冷や汗もので生きた心地が全く感じられず、パシャパシャと水を顔に何度もかけて顔についた洗顔料を落とし、相変わらずの引きこもりの毎日の成果の日焼けのない不健康そうな肌と、目の下に浮かぶ隈を浮かべる僕を見て、結衣さんがもう少し優しい人で、僕に理不尽に負けない強い体と心があれば少しは変わったのだろうかと、タラレバの話が頭に過るが、現実とは余りにも乖離した妄想に近い話に深いため息を吐いてこれ以上考えることを諦め、顔をタオルで拭った。

 「ジンちゃん終わった?」

 顔を洗いすっきりしたタイミングを見計らったように小さな手提げをもって現れた結衣さんは、僕を手招きして僕を鏡の前に座らせ洗面台に小さな手提げを置き中身を開いた。

 僕は結衣さんが今から何をしようと考えているかを正確に読みとってしまい、鏡に映る結衣さんが本物の悪魔のように見えた。

結衣さんは辛うじて目元が見えるぐらい鬱陶しい僕の前髪をヘアバンドで持ち上げ、数秒ぶりに見た僕の不健康を極めた顔に水よりも少しべたついている不思議な液体を顔に塗りつけられ、結衣さんの柔らかな手が僕の顔を蹂躙し、目を閉じている間に粉をスポンジで擦られ、ペンで落書きされ、最後には結衣さんの指が僕に口もとを撫で、悪魔の所業が終わった合図として両肩に手を置かれた。

 「ジンちゃん。目、開けてみて」

 「...」

 僕は鏡に映る僕が全くの別人に化けた姿を見せられ、人の目が死んでいく工程を観察することができた。

 不健康そうな白い肌は、一般人ほどの色合いまで変化させられ、目の下の隈は近くで見ても気にならないほどまでに隠され、血色の良い唇に普段よりも大きく感じられる目、全体的に見ても不自然な箇所が素人目には分からず、もともとの中世的な顔を土台として作り替えられ、最後の仕上げとしてヘアバンドからヘアピンに変えられ完成した。

 「うん、かわいい」

 「落としていいですか?」

 「せっかく化粧したのに落とすのはもったいない!せめて母さんと父さんに見せてからね。それから、地味な服を着ているジンちゃんには着替えてもらいます」

 「...」

 ここまでくると、もう僕が抵抗できる余地は皆無で、結衣さんが着替えの際に僕を揶揄うために置いていた、奇麗に折り畳まれていた服を広げた状態で手渡され、鏡越しに僕の死んだ目と結衣さんと目が合った気がしたが、結衣さんは終始笑顔でスマホのレンズを僕に向けて着替えが終わる瞬間を待ち構えていた。

 せめてもの救いが、ここは長野県であるため数少ない友人がいなければ、僕が通っていた中学校の同級生もいないことだろう。

 もし、見つかってしまえば、陰キャに属する僕が休日に女装して出かけているなど陽キャの笑いのタネの一つとして持ち出され、一晩を越さないうちに学校中の有名人として名を馳せると同時にディジタルタトゥーとして僕の体に刻まれ、ことある毎にこの話を持ち出され周りから笑われていたことは想像に難しくなかった。

 「ジンちゃん、早く着てみて。サイズは、ジンちゃんは私と同じぐらいの背丈だし細いから多分大丈夫なはず、きっと似合うから」

 僕はどんな命令でも、結衣さんが怖くて逆らうことができず、せがまれるまま一見するとスカートのように見えるズボンを履き、白いTシャツのようだが肩の部分から先がなく、脇のあたりまで大きく袖口となる服を被り、カーディガンを羽織らされた。

 用意された服を着終えると、結衣さんはあらゆる角度でシャッターの連射を始めた。

 僕はこれで益々結衣さんに逆らうことができなくなり、写真ホルダーに僕の黒歴史が刻まれるほど、気分は落ち込んでいき僕の体からはどんよりとした陰キャオーラが流れた。

 「そろそろ時間だし、ご飯食べに行こうか」

 結衣さんが8時を回った時計の針を見て僕に提案すると、僕は何のために結衣さんに最悪の目覚めをさせられ、急いで顔を洗った意味が分からず、虚脱感に何もする気が起きなかった。



 部屋から動こうとしなっかった僕を結衣さんに手を引かれ、朝食会場へと連れていかれると結構な人数が同じ空間にひしめき、烏合の衆が無秩序に動く光景は僕に気持ち悪さを抱かせた。

 「まずは母さんを探さないと、もう来てるって連絡があったけど」

 結衣さんは烏合の衆に臆せず飛び込み、ラインで送られる手掛かりを参考におばさんを探してと、おばさんは結衣さんよりも先に見つけたようで手を大きく振って居場所を知らせていた。

 「結衣さん、あそこです」

 「ほんとだ、ジンちゃん良くこの人の中から見つけられたね」

 僕の格好に一切の疑問を抱いていないのか、おじさんとおばさんは現在の僕の格好にスルーのスタンスのようで、お茶を飲みながら僕のことをちらちらと見てくる結衣さんとは大きく異なり、優雅に紅茶を飲む姿は様になっていた。

 僕は朝から結衣さんに振り回されっぱなしで心身ともに疲れ果て、少しでも体力を回復させようと体が睡眠を欲して強烈な眠気が襲ってきた。

 体を揺すられる感覚と共に目を覚まし、少し前まではなかったテーブルに並べられる料理に手を伸ばしたタイミングで、目の前の結衣さんがスマホを取り出しパシャパシャと料理を撮影していた。

 「今日は志賀高原によって観光してから帰ろうと思っているけど、希望はある?」

 「私は上高地に行きたかったけど、ここからだと距離があって難しいのよね」

 「私はやっぱり軽井沢かな、引き返すことになるから行かなくていいけどね」

 「...僕は、寝たいです」

 行きたい場所は様々で、おじさんが予定している場所に行く流れで決まりそうだったが、僕の切実な願いを聞いたおじさんは結衣さんに視線を向けた。

 「結衣、昨日は何してたの?それから成人君の格好は?」

 おじさんとおばさんは触れてはいけないと思いスルーをしていただけの様で、おばさんは元凶の結衣さんに問いただした。

 「昨日は風呂に入ってそのまま寝たよ。ただ、私がジンちゃんを起こしたらジンちゃんが大きな声出して飛び起きて、ちょっと大変だったかな。それから、ジンちゃんを可愛くしてみた」

 「成人君に意外な趣味があったのだと見た時は驚いたけど、結衣の趣味だったのね」

 「結衣、成人君の意見を聞かないといけないからね」

 「それは、私も分かってはいるんだけど、ジンちゃんは不健康な生活を送ってきて見た目が悪くなっただけで、元の素材がいいからどこまでいけるか試してみたかったの」

 結衣さんのせいでおじさんとおばさんに僕が女装癖の持ち主だったと勘違いされそうだったことに僕は戦慄していると、おじさんが僕に味方となり結衣さんを窘めてくれる存在だということを知り、今度から結衣さんからの悩みはおじさんへ伝え、おじさんからそれとなく結衣さんへと伝えてもらえるように頼もうと考えた。

 「これ部屋で撮った写真」

 「普通に女の子してるわね」

 「成人君、すごく嫌がってない?!」

 おじさんだけが僕の味方であることを知り、少しうれしかった。

 しかし、結衣さんとおばさんの『こういった服が似合いそう』や『この色合いもよさそう』などの、この次もあるかのような話し合いを聞くと、ここにもう一人『茉衣』という結衣さんの妹が加わると女性陣での話が家族の決定事項となる未来しか見えない現状に不安しか感じなかった。


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