オタクと非オタは釣り合はない

なんでふ

第1話 親の蒸発

 今年の春に中学校を卒業し4月には高校生を迎える僕は、漠然と『これからドラマや映画のような青春の日々を送る』と、今思えば我ながら現実的ではない浮かれた妄想に近い期待に胸を膨らませ、カレンダーを捲る習慣がついてしまったこの頃だった。

 あと数日でこのバカげた妄想に別れを告げ、現実に目覚めるという日に、母と僕の二人で住むには広すぎる家の中に久しぶりに母の声が響いた。

 「成人、降りてきなさい」

 僕を嫌い、関心を持つことが珍しい母が僕を呼び付けることが珍しく、読んでいたライトノベルの話に区切りがついたタイミングだったため、興味本位で母の呼びかけに素直に応じ大人しく自室を出ることにした。

 1階のリビングに向かうと、これから海外出張に赴く時のような大きなキャリーケースを椅子の横に用意した母が椅子に座っており、その母の手元には分厚い封筒が置かれていた。

 「母さん、何か用?」

 母は僕がリビングに降りても一向に話を切り出さず、仕方なく母の呼び出した理由を尋ねると、母苦虫を嚙み潰したような表情で一瞬だけ僕を見るがすぐに視線を逸らし、何も言わず椅子を引いた。

 自分で呼び出していてこの様な態度をとる母に如何なものかとは思うが、指摘することで口論に発展し面倒なことになるのは避けたく、不満が口から出るのをグッと堪え母から一番離れた席に座った。

 「...」

 「用がないなら部屋に戻ってもいい?」

 「成人、手切れ金よ。親戚に引き取ってもらう話になっているから。この家は売ることになっているから今日中にこの家から出ていって」

 母は僕にこれだけを告げると、キャリーケースを引いて家を出て行ってしまった。

 浮かれていて今まで見て見ぬふりをしていたが、中学の卒業式以前と比べると自室以外の家の物は殆どなくなり、このテーブルと椅子を除けば最低限の食器、冷蔵庫、洗濯機、洗濯機のみで、テレビもなければスピーカーも炊飯器もルーターさえもなく、生活感を一切感じさせない寂しいリビングだった。

 「...は?」

 母に捨てられるという現実離れしている状況に呆気にとられていた僕が正気を取り戻し、開口一番に目を見開き母に聞き返すが、聞き返す相手の母だった人は対面に居らず、手切れ金がテーブルに乗せられているだけだった。

 「...まじか」

 母だった人に問いただしたいことは多々あるが、今日中に自分の荷物をすべて処分しなければならず、友人の家に荷物を送りつけるにも所持金は3千と400円弱しか持っていなかった。

 交通系を入れるともう少し増えるかもしれないが、増える金額は千円程度では雀の涙だろう。

 「あ、そっか」

 唐突に訪れた金銭問題だったが、目の前に金銭問題を解決することのできる封筒が存在感を主張するようにテーブルに置かれていた。

 僕は当分の間、手を付けるつもりのなかった封筒に手を伸ばし中身を確認すると、手切れ金として100万円が入っていた。

 100万円は学生にとっては想像のつかない金額だが、自室の物を配送業社に依頼して名前も聞かされていない親戚の家に配送するにしても、今は新生活の引っ越しシーズン真っ只中と時期が悪く、見積では最低で4万円から始まり、地方までの配送の場合は10万円弱の見積もりが出た。

 「高っ」

 配送業に身を切る思いで依頼を出そうとサイトにログインしたが、先ほども言ったが新生活の引っ越しシーズン真っ只中では当日に配送を行える手の空いている業者は見当たらず、最短でも明後日以降からしか選べなかったため、配送に頼ることを諦め手切れ金をリビングに残したまま自室へと戻り、断捨離を行うことにした。

 自室の本棚にはオタクならではとい言うべきかライトノベルがびっしりと並び、クローゼットの中は先日に衣替えをしようと春服をクローゼットの奥から引っ張り出してきたが、日が落ちると思いの外寒く冬服を片づけられずに丸められた衣服で溢れるクローゼットを見るとやる気が削ぎ落された。

 「はぁ...こんなことなら春服を出さなきゃよかった」

 やる気は底をついたが、今日中に家を出なければならない状況の為に何もしないという選択肢はなく、深いため息をつきながら衣服を引っ張り出してみると、春服と思っていたものは夏服であった。

 思い返してみると、これまで衣替えをするときにクローゼットの奥から引っ張り出すだけで、片づけた覚えがないため当たり前と言えば当たり前だが、全季節の衣服がこのクローゼットの中で眠っていると考えると、断捨離を始めてものの数分で、一人で断捨離を行うことを諦めた。

 『@タケ@ノブ断捨離を手伝ってくれ』

ディスコードのグループで小学生時代の頃からの親友と言っても過言ではない友人をメンションし応援要請を送り、応援を見越してタケとノブに見られて恥ずかしいモノから順番にゴミ袋に放り込んだ。

 ピロン!

 ピロン!

 見られてくないものをゴミ袋に入れ終えたタイミングでベッドの上に置いていたスマホの通知音が立て続けに入ってきた。

 『俺忙しい』

 『母ちゃんが勉強しろって煩いから無理』

 『ジン、断捨離って悪いものでも食べたか?』

 『ジンならあり得る。しっかり賞味期限守って食べないからだぞ』

 「好き勝手言いやがって」

 『母さんが蒸発して、今日中に家から出ていかないといけないから部屋の片づけを手伝ってくれ。タケの欲しがってたプラモ持って行っていいぞ。ノブは限定グッズやるよ』

 『よし!すぐ行く、待ってろ!』

 『今の言葉忘れるなよ!スクショ撮ったからな!』

 小学生時代からの友人は現金なもので、手に入れるためにお小遣いを前借りし、長蛇の列に朝早くから並ぶなど苦労した思い出があるため、捨てるにはものすごく惜しいオタクの中では貴重なもので吊ると、清々しいまでの手の替えし様とブラックバス以上の食いつきの良さで、隣の家に住むノブはすぐに玄関の戸を叩いた。

 「おーい!きてやったぞ!ジン入るぞ!」

 「ああ!早く手伝ってくれ」

 鍵のかかっていない玄関を勝手に開けたノブに早く部屋に上がるように二階から、家の状態に驚くノブに早く断捨離を手伝うように声を出した。

 「ジンの家すごいことになっているな。ジンの母さんが蒸発しったって話は冗談じゃなかったのか」

 「まあ...な。それよりも早く手伝ってくれ、今日中にこの家を出ないといけないんだ」

 「で、この部屋の物を何処に置くんだ?」

 「ノブの家に決まっているだろ」

 今日中に出ていかなくてはいけない僕が、引越しの手伝いではなく断捨離の手伝いと聞くと、置き場のないこの荷物を何処に置くのかという疑問は当然ノブの頭に浮かびあがった。

 「は?ふざけんな!限定グッズはともかくとして、この部屋の物を全部、俺の部屋の中に置かれたら俺の部屋が物置小屋になるだろうが」

 僕のたくらみを聞いたノブは大きく飛び退き『ガタッ!』と、手に持っていたタケが欲しがりそうなプラモの段ボールを足の上に落とした。

 「別にいいだろ?ノブは自分の部屋を寝る目的にしか使ってないわけだしさ」

 「よくねえよ!今でも母さんからゴミ部屋って言われてるんだ、これ以上物を増やしたら怒られるだろうが!」

 「だよな。季節外れの服と小説、PC、その他もろもろはセカストで買い取ってもらうしかないか」

 「もったいないな、お前の小説とPCは売るならメルカリで売った方が金になるんだがな」

 「仕方ないよ、今日中にこの家から出ないといけないから」

 ノブは価値のわかる人がいるサイトで売れば、それなりのいい値段がするはずのPCと付録付きの全巻初版本のラノベをもったいなさそうに眺めた。

 そんな時、家の大きなチャイムが鳴り、インターホンから馴染みのある声が聞こえてきた。

 ブッ~!ブッ~!

 「お前な、インターホンあるんだから電話かけてくるなよ」

 『まだプラモ残っているよな!』

 「まだ残っているけど、さっきノブがガンダムのプラモ落としてたよ」

 『っざけんな!壊れてたらノブのグッズ一つ壊してやるからな!』

 「おいジンお前!プラモ落としたことチクりやがって!」

 「二人とも、今は僕の物だってこと忘れてないよね」

 『くれるって話だったよな!』

 「ジン!このスクショを見ろよ!ほろ!」

 僕の発言に、タケとノブは先ほどまでの喧嘩が始まりそうな雰囲気がどこに消えたんだと思うほど、息を揃えて捲くし立ててきた。

 「わざわざ見せなくても忘れてないって。二束三文で買い取られるか、知らない人に買われるぐらいなら、タケとノブの手元で保管してもらった方がいいと思っているんだから。僕もいつでも鑑賞に来れる訳だし」

 「ジン...お前」

 『ジン...そんなこと考えて、よし!俺の家でジンのラノベを保管してやるよ!』

 タケとノブが男の...オタクの友情を確かめ感動の涙を目に浮かべていると、タケが部屋の扉を勢いよく開き『キーン!』とハウリングが起こり、不快な音が水を差した。

 「電話!電話!電話を切って!」

 「すまん。電話していたこと忘れてた」

 「すまん。それより、さっきは流れでラノベを引き取ると言ったが、この量か...」

タケは、先ほどはその場の勢いに任せて発言したが、僕の部屋の本棚に所狭しと並ぶライトノベルの量に少し考え込むそぶりを見せた。

 「タケ、無理そうなら無理しなくてもいいからな」

 「いや、俺たちのたまり場が次からはノブの家になるんだ。ここは俺がノブの部屋のスペースの確保のために身を切るしかない」

 「無理するなよ」

 「大丈夫、問題はない。それに、俺の部屋にあればいつでも堪能できるわけだしな。むしろ役得でもある」

 「読むのは勝手にしてもいいが、汚すなよ」

 「もちろん、こんな宝を汚すわけがない。そこは安心していいぞ」

 タケは僕のライトノベルを大切そうに段ボールの中に移し始め、表情筋がものすごく緩みにニヤついた顔を必死に抑え、僕とノブに緩みきった顔を見せないように背中を向けた。



 「よし!ラノベ収納終わったぞ!」

 「俺もグッズとプラモ運び終えたぞ」

 タケとノブは仕事を終え大きく背伸びを行い、僕が二箱目に突入した衣類を詰めている箱を眺めた。

 数時間前と比べると、物があふれていた僕の部屋は断捨離の努力が現れ、物がだいぶ少なくなり閑散と寂しげな部屋に変わった。

 「僕はまだ箱詰め終わってない」

 「ジン服多すぎないか?」

 「俺なんて、私服着る機会ないから上下合わせて10着ぐらいしかないぞ」

 する仕事がなくなり、手持ち無沙汰になったタケとノブは、せっかく箱詰めした服を取り出し『こんな服を持ってたのか』と遊び始めた。

 「せっかくしまった服で遊ぶなよ」

 「てかさ。思ったんだが、わざわざセカストで売りに行かなくても、いったん荷物を俺たちの家に預けて、どこに行くか知らないが落ち着いてから送ればいいんじゃないか?荷物を預かるだけなら普段使わない場所に置けばいいだけだしさ」

 「ノブ...」

 「た、確かに」

 ノブの名案に、僕とタケは寝耳に水で、コレクションを泣く泣く手放さなくてもいい可能性に気が付いてしまった。

 そして、ノブの名案にライトノベルが詰め込まれた段ボールに視線が集まった。

 「後生だ!俺から宝物を奪わないでくれぇ!」

 タケは付録付きの初版本を家に持ち帰り、これからの高校生活を謳歌する計画の雲行きが怪しくなり、持ち主である僕の足に縋り付き泣き落としを始めた。

 「ジン、親戚の家にラノベを置く本棚が十分にないかもだろ?しばらくはタケの家に預けておいてもいいんじゃないか?」

 「そうそう!本棚はあっても共同だったりして、十分な収納スペースがないかもだろ?このラノベたちも、これからどういうふうに扱われるか不安になって泣いているぞ」

 「なんだよ、それ。でも、それもそうか、共同の本棚を僕のラノベで埋めたらだめだろうし、しばらくはタケに預けるか。しっかり返してよ」

 「もちろん!」

 考えてみると、本棚を勝手にライトノベルで埋め尽くされるとすると僕はうれしいが、全員が全員うれしいわけではなく、言葉に出さないまでも眉を顰める可能性もあるわけで、ライトノベルを親戚の家に入れるのは許可をもらってからにした方が良好な関係を築いていけると判断し、タケに一時的に保管してもらうことに決めると、タケはとてもいい笑顔で頷き、大事そうにライトノベルを入れた段ボールを抱え、プラモとグッズを置かせてもらっている隣のノブの部屋に、僕の気が変わる前にそそくさと持っていった。

 再会がいつになるか分からないというのに、一時の別れも惜しませてくれないとは、本当に現金で薄情な友人だ。

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