第19話 ニセモノ、女の子をお持ち帰りする


「うちに来い」


「うん」


 それきりバスの中では、2人とも黙り込んだ。 


 バスを降りる。 


 堀部さんに前もって連絡を入れておきたいけど連絡手段がない。


 いきなり女の子を連れて帰ったら、びっくりするかな。



 しかし、実際に連れ帰ってみると、それほど驚かれなかった。


 堀部さんにすれば、本物の浅野拓海で慣れているのかもしれない。


「同じクラスの梶川さん」


 堀部さんに紹介する。


 梶川さんにも堀部さんを紹介したが、梶川さんは無言で無愛想なお辞儀をしただけだった。


「ぼっちゃん、お風呂を沸かしましょうか」


 彼女の体臭に気が付いたのだろう、まだ何も説明しないうちから、堀部さんが僕に耳打ちをした。


「バラの香りの入浴剤があったよね?」


「お任せください、ぼっちゃん」


「今晩、あの子を泊めるよ」


 堀部さんは僕を振り返った。


「かしこまりました」


 梶川さんを僕の部屋に通し、僕はキッチンで紅茶を淹れた。


「あの人と暮らしてるの?」


 梶川さんはクッションをはずして、カーペットに直接脚を伸ばして座っていた。


「堀部さんは7時までの勤務なんだ」


「ふーん。家政婦付きとは、いいご身分ね」


 まったくだ。


 ティーカップを両手で包み持って、梶川さんは紅茶を一口飲んだ。


「いやらしい。人の脚をじろじろと」


「見てねえし」


 僕はそばにあったスポーツタオルをわざと乱暴に梶川さんに投げた。


 梶川さんはそれを広げて膝にかける。


 会話はそれきり途切れた。


 のどかさんといる時もそうだったが、女の子と2人きりでいて、会話が途切れると、なぜか追い詰められたような気持ちになってしまう。


 黙って紅茶をすすった。


 堀部さんが梶川さんを呼びにきた。風呂が沸いたのだ。


 予想どおり梶川さんは入浴を拒否したが、


「そうは参りませんよ。ぼっちゃんの大切なお友達なんですから、お花の香りに包まれて、磨き上げていただかないと。よかったらお背中を流しましょうか?」


「いえ。結構です」


 差し出された着替え(僕のTシャツとジャージだけど)とタオルをとって、梶川さんは堀部さんの案内で浴室へ消えた。


 堀部さんは、彼女の制服を持ってすぐに戻ってきた。


「ぼっちゃん、隣の部屋からアイロンを」


 急いで立って、アイロンとアイロン台を隣の部屋から抱えて戻る。


 堀部さんは濡れタオルで制服についたフケや埃を拭き取っていた。


「ずいぶん……、自己イメージの低い方のようですね」


 制服のしわを堀部さんはアイロンで伸ばした。とても手際がよくて、スカートの襞がピンとまっすぐに伸びた。


「うん。自分をきたない物と思ってる感じだね」


 堀部さんは手をとめて、僕を見た。


「そのとおりです。よくおわかりですね。たいへん危険な状態、と申し上げてよいと思います」


 それから大きく息を吐いた。


「同情なさるのは結構ですが、ああいう人は助けたら助けたで、依存心が強くなって、却ってぼっちゃんを恨んだりしがちですからね、心配ですよ、堀部は」


 助けるつもりはなかった。


 白馬の王子様がちゃらんぽらんでは、絵にならない。


 この場合の最適解はたぶん、彼女が自分の意思で、助かろうとすることなのだ。





 梶川さんがぶかぶかのTシャツを着て、湯気を立てて部屋に入ってきた。


 10分も入浴していない。烏の行水というやつだ。


「何やってんの?」


 僕は借りてきたミランダ・ジュライをめくった。


「見てのとおり。読書」


 ドライヤーがある場所を指で示す。


 梶川さんが髪を乾かしている間、ひたすらページに集中する。


 日課の筋トレはできない。

 ちゃらんぽらん設定だから、努力する姿を人に見せるのはNG。


 明日は英語の小テストがあるけれど、同じ理由で、その勉強もできない。


 今、同じ部屋で、髪を濡らしたぶかぶかTシャツの女の子が、やわらかいタオルで白い首筋を拭っている。


 本に集中するほかない。


 帰り支度をした堀部さんが部屋に顔を出した。


「夕食、梶川さんの分も作っておきました。私はこれで帰らせていただきますよ。あ、ぼっちゃん」


 堀部さんが手招きをした。


「冷蔵庫に苺のムースを冷やしておきましたからね」


 そっと耳打ちする。


「ありがとうございます。でも、どうしてひそひそ言うんです?」


「だって、恥の多い生涯を送ってきたのだもの」


 堀部さんは謎のように笑った。


「じゃ、しっかりね、ヨーゾーぼっちゃん」


 堀部さんは帰って行った。


 ヨーゾーぼっちゃん?


 夕食の献立は、ニンニクの芽と豚肉の炒め物にキャベツの千切り。味噌汁。もやしの鉢物と糠漬けの胡瓜。そしてご飯。


 僕が白米好きなので、ご飯は多めに炊いてあった。


 けど、梶川さんは小食だった。


 本当に食欲がないのか、それとも自分には食事をする資格がないと思っているのか、ほんの数口食べただけで、すぐに箸を置いてしまった。


「胃が小さいんだ。よかったら私の分も食べて」


 皿をこちらに寄せてくる。僕はほとんど2人分食べることになった。


 そして食器も2人分を1人で洗った。


 手伝うつもりなどまったくないらしく、梶川さんはさっさと部屋にもどってしまった。


 食器を全部拭いて食器棚に片付ける。


 夜がだんだん更けていく。


 明日の英語の小テストが、どうしても気になってしまう。これは元暗之介の呪いだ。


 まじめっ子。


 梶川さんのほうが、よほどちゃらんぽらんに過ごしている。


 皿を片付ける手がとまった。


(ということは?)


 浅野拓海がどんなふうにちゃらんぽらんだったのかは、想像するしかない。


 だが今、僕の部屋に、生きているちゃらんぽらんがいる。


 彼女を師と仰ぎ、彼女の真似をすれば、僕のちゃらんぽらんも、真に迫るのではないだろうか? 


 部屋に戻ると、梶川さんはベッドによりかかって、スマホをいじっていた。


 これは真似ができない。


 スマホの代わりにコミックを読む、でもいいかもしれない。でも、生憎コミックもなかった。


 小説を読む、では、ちょっと違う気がする。 英単語帳を読む、では、もう全然違う気がする。


「明日の英語の小テスト、勉強しておかなくて大丈夫か?」


 悔しいので、彼女の行動を変えてみようと試みる。


「勝手にすれば」


 スマホから顔を上げない。


 くそ。


 彼女がやらない以上、ちゃらんぽらん設定の僕が、ガリ勉するわけにはいかない。


 では、なぜ彼女がテスト勉強をしないのか。


 自分を大切にする気がないからだ。


(これが歪みなわけだけれど)


 骨格に例えて、考えてみる。


 歪みが起こる原因は?


 忌まわしい虐待が家庭にあったとして、それがどうして、自分を大事にしない、という歪みにつながる?


 わかるようで、わからない。


 自分のパジャマをとって、入浴して、部屋にもどってきても、梶川さんはまだスマホをいじっていた。


 スマホとは、そんなに長時間触っていられるものなのか?


「本棚にある本、好きなの読んでいいぞ」


 そろそろスマホにも飽きる頃ではないかと思い、一応そう伝えておく。


 梶川さんは、やはりスマホから顔を上げない。


 もじゃもじゃの髪をドライヤーで乾かし、いつもなら寺坂さんに提出するための日記を書く時間だけれど、今日はそれもできないので、結局本を開く。図書館で借りた本だ。


 ちょっと痛い性格の主人公シェリルのもとに、上司の娘クリーが転がり込んできたところで、トスン、と音を聞いた。


 振り返る。


 梶川さんが僕のベッドに仰向けに転がっていた。


「寝るなら歯を磨いたら?」


「洗面道具持ってきてないし」


「おれの歯ブラシ貸そうか」


「絶対ムリ」


 本に目を戻す。


 外に、バイクの音が聞こえた。バイクはわざと近所迷惑な無駄な空ぶかしをくり返し、ゆっくりゆっくり走って行く。


 バイクの音が遠ざかった。


 しばらくして、梶川さんの小声が聞こえた。




「浅野、きて」




 本を落とした。


 梶川さんはベッドに仰向けになったまま、じっと天井をみつめている。


 

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