第17話 ニセモノ、メンヘラ娘を気にかける



 学校にいる時と、ホテルでみかけた時と、まったく印象の違った梶川こるりさん。

 ピンクのドレスはとても愛らしかった。

 振り返って僕を見た時の、親の仇にでも出会ったかのような、あの表情。


 ・・・・・・。


 それはそれとして、全然関係ないけれど、あのパーティーに出席したおかげで1つ、はっきりしたことがある。


 いつもは、家にいれば堀部さんが、学校にいればのどかさんが、とても優しくしてくれるので、ピンときていなかった。


 しかし。


(僕は、諸方面に嫌われている)


 家族に軽蔑され、父親の会社の人たちにも嫌われ、学校でも記憶喪失になったとなると誰も話しかけてこなくなり、のどかさんにはフラれ、そして梶川さんは、露骨な嫌悪を隠そうともしない。


 まずいです。

 これは非常にまずいです。


 二時間目の後の休憩時間。シャーリイ・ジャクスンの短編集をめくりながら、どうにかしなければと思う。


 本物の浅野拓海は好かれていたのに、ニセモノは誰からも、ことごとく嫌われる。

 その差は何か?


 ちゃらんぽらんが足りないのだ、と分析する。

 もっとちゃらんぽらんに徹しなければ。


 教室のうしろのドアが、突然、尖った音を立てた。誰かが激しくぶつかったようだ。

 振り返ると、ドアのそばに立っていたのは梶川こるりさんだった。右肩を押さえ、痛そうに眉を寄せている。

 髪はいつものようにぼさぼさで、制服も相変わらずしわだらけだった。


 梶川さんは顔を上げ、目が合うと、キッと僕を睨んだ。

 僕がうしろから彼女を押してドアにぶつけました、とでも言い出しそうな目だった。


 わからない理由で嫌われ続けると、さすがに泣きたくなる。

 なので短編集に目をもどす。


「なに、あの顔」


 前の席に座っているのどかさんが、僕の代わりに腹を立ててくれた。代わりに腹を立てるというのも、変なものだけれど。


 その梶川さんが突然廊下で暴れ出したのは、3時間目が終わった休憩の時だ。


 最初は立ち止まって凍ったようにじっとしていた。かと思うと、いきなり髪の毛を両手でぐしゃぐしゃに掻きむしり、大きな悲鳴をあげた。

 走り出し、隣のクラスの前まで来て、ドアを拳で血が出るまで殴り始めた。


 ――目撃していた生徒たちは、彼女は完全に発狂していた、と異口同音に言っていた。


 その彼女を止めたのは、実は僕だった。


「殿中だよ、梶川さん」


 背後から梶川さんの両腕の自由を奪った。彼女は暴れた。


「うるさい。あっち行け」


「教室が壊れる」


「知るか、離せ変態」


 その時、僕の頭に悪魔がささやいた。たぶん悪魔だろう、あれは。


 梶川さんの発狂ぶり(そういって良ければだけど)について、ひょっとしたら、という考えが、僕には1つあった。


 大石暗之介だったの僕が、身勝手なとうさんのせいで、逃げ場のない恐怖を経験していたこと。それが参考になった。


 家庭が地獄だと、子どもは逃げ場を失う。

 そして、それを自分のせいだと思い込む。


 梶川さんを見ていると、当時の自分とぴったり重なってくる。

 彼女の場合も同じではないか。家庭が原因じゃないか。そう睨んだのだ。


 ただ、余所様の家庭のことなのだから、首を突っ込む気などさらさらなかった。

 頼まれても係わりたくない。

 なのに、あの時、いたずら者の悪魔が、僕の口に粉薬を撒いたのである。


「おとうさんに連絡しようかな」


 僕の言葉が耳に入ったのだろう。暴れていた彼女の動きは、ぴたりと止まった。

 その代わりに、廊下にうずくまって、喉から血が出るほどの悲鳴を上げた。

 悲鳴というより、怪鳥の叫び声みたいだった。


 駆けつけてきた体育の女性教師と若い男性教師が、2人がかりで彼女を保健室へ連れて行った。


 僕らは教室へもどるよう指示された。


 昼休憩には、彼女が家に帰されたことが知らされた。 




 おとうさん、と言ったのは、当てずっぽうだ。


 家族。それは血のつながった他人の集まりである。


 どうして愛情や絆で結ばれているという前提で、いつも語られるんだろう。


 少なくとも僕のうちでは、とうさんは僕を家畜としか思っていなかった。僕自身、自分を家畜と思っていたのだから間違いない。

 それでも僕は、梶川さんほど追い詰められてはいなかった。


 みんなが発狂と呼んでいるのは、梶川さんの中で、忌まわしい記憶がたびたびフラッシュバックして引き起こす、破壊的行動のことだ。

 彼女は、フラッシュバックがたびたび起こるほどの心的外傷を抱えている、と考えるべきなんだと思う。


 この場合の、心的外傷とは何か?

 どうしても、家庭内での忌まわしい虐待を想像してしまう。 


 彼女の家族構成は知らないけれど、母親や姉、妹とは対立しやすい代わりに、力関係にそれほど差が出るとは考え難い。弟も同様。

 だとすると、梶川さんを限界まで追い詰めているのは、父親か兄。つまり年上の異性。


 それで、わざと「おとうさん」というキーワードで鎌をかけてみたのだ。

「おとうさん」というキーワードは、思ったとおり、彼女にとって電気ショックとなった。 彼女は暴れるのをやめた。


 しかし、フラッシュバックの呼び水ともなってしまった。

 つまり、そういう忌まわしいことが、彼女の家庭で起こっているのだ。


「タクがあんなふうにでしゃばるの、めずらしいな」


 クラスメイトの沢村に言われた。


「ていうか、以前のタクっぽくねえよな、最近」


「そうかな」


 僕は机に弁当箱を置いた。


「そうやって毎日弁当作ってくるし」


「作ってるのは家政婦さんだよ」


「じゃ、俺ら学食行ってっから」


 てのひらをひらひらさせて、沢村たちが行ってしまう。


 向かいに座ったのどかさんが、弁当のフタを開けた。


「あんな子、ほっとけばいいのに」


「ほっとくよ。係わり合いたくねえ」


 弁当のごはんを口に運ぶ。


 堀部さんの炊いたごはんは冷えてもおいしい。

 炊き方が違うのかな?


 気が付くと、のどかさんの箸はとまっていた。

 じっと僕を見ている。


「なに?」


「上品だなと思って」


 のどかさんは言った。


「以前のタクはさ、くちゃくちゃ音を立てて食べてたんだよ。猿みたいにさ。今はお公家くげさんのように上品に食べる」


 お華の先生の次は、お公家さん。 

 のどかさん。

 そんな下品で猿みたいな浅野拓海の、いったいどこが良かったのですか?


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