第12話 ただ、チャンスがほしいんです



 吉良家令嬢と浅野家令息のデートは、両資産家の公式行事として、月に一度主催されることになっている(らしい)。なので、喧嘩していようと軽蔑し合っていようと、この日はすべての都合に優先して、二人は仲良くデートしなければならない。くり返すが、これは公式行事である。


 公式行事なので、細かい決まりがある。待ち合わせの時刻は午前10時。場所は都内ホテルのレストラン。浅野家令息は、その15分前に到着して吉良家令嬢を待たなければならない。そして、吉良家令嬢は待ち合わせ時刻のきっちり5分後に遅れて到着しなければならない。そこで両家が対面し、挨拶し、公式デートの開始となる。


 上級国民って何考えてるんだろ。


 指定されたホテルの一階レストランで、こうした一連の流れをばかばかしく感じながら、僕は吉良家令嬢を待っていた。


 慣れないネクタイで首が苦しい。


 浅野家令息、つまり僕の付き添いは堀部さんだけだった。以前はそうではなかったらしい。妹が同席したり、孫九郎社長がじきじきに付き添うこともあったという。それが、だんだん形骸化してきて、執事の寺坂さんだけになったりして、それも面倒臭くなったのか、とうとう今では家政婦の堀部さんが付き添う形となった(らしい)。


「ぼっちゃん」


 そういったいきさつを聞きながら、やる気がないんだったらやめればいいのにと思っていると、堀部さんが突然話を切って、僕をたしなめた。


「本」

「え?」

「本を読みながら人を待つのは、こういう場ではNGですよ」


 僕は読みかけのA・ランボウを閉じた。いろいろ面倒だ。


「それで、吉良家のほうは、どなたが付き添うんですか?」


 興味はなかったが、一応たずねてみる。さやこさんの父親、新ヤマト製鉄の総裁とかが来たら、ちょっと恐ろしい。だがもしそんな情報が事前に入っていたら、浅野家としてももっと気合いが入っているはずだ。たぶん先方でも、お手伝いか役員秘書あたりが来るんだろう。


「さやこお嬢様には、私の妹が付き添います」

「妹?」

「私が吉良家を去って浅野家に仕える時、代わりに妹の亮子を紹介しまして、以来、お嬢様の身の回りのことは亮子がお世話させていただいております。――どうしました?」


 僕が身を乗り出したものだから、堀部さんはちょっと身を引いた。


「じゃ、じゃあ、あのお嬢様の鉄仮面みたいなおそろしいメイクは、堀部さんの妹さんがなさってるんですか?」


「鉄仮面だなんて、そんなことは、お嬢様にはくれぐれも――」


「言いやしませんよ。で、どうなんです?」


「あれはさやこお嬢様がご自身でなさってるんですよ」堀部さんはいとおしそうに目を細めた。「さやこお嬢様はね、ご自身のことがあまり好きではないのです。ああいう感じやすい、繊細なご気質のせいでしょうか、自信が持てないというか、何事にも劣っているとお感じのようで」


「面倒臭そうですね」


「あら、純情可憐とはお思いになりません?」


「思いませんね。あんなトゲトゲした、毒のある物言いで、純情も何もないですよ。それに、化け物じみたメイクで女性美を極めたとか自分で言ってるんですからね。とてもとても」


 僕は手をひらひらさせる。堀部さんはゆっくりうなずいた。


「お可愛らしいですねえ」


 だめだ、こりゃ。


「さやこお嬢様のお化粧がそんなに気になるんでしたら、さやこお嬢様が素顔で会ってもいいと思える殿方におなりなさいな。あのお化粧は、さやこお嬢様がお心を閉ざしている印。よろいのようなものですから」


 僕は小さくため息をついた。

 やっぱり面倒臭いやつ。


 腕時計が10時を表示した。あと5分で、そのさやこさんが到着する。


 当人同士は気が乗らない、ある意味不本意なデート。なぜこんなことをしているのかといえば、お家のため、会社存続のため。そこにさやこさんの自由意思などない。花のJKだというのにお気の毒な話だ。


 僕もその点は同じなのだが、なんといっても僕は一度死んでるし、今は浅野拓海の身代わりで生きているようなものだから、まあこれでいいやという気持ちになれる。


 さやこさんはどう割り切って、こんな理不尽な運命を受け入れているんだろう。


「ご到着ですよ」


 堀部さんの声に顔を上げた。ちょうどレストランの入口に、インディゴ・ブルーのブラウスにロングスカートというエレガントな衣装をまとった例の鉄仮面の化け物と、それからもう一人、やたらと髪を赤く逆立てた、きつい顔の女が現れた。首から靴の先まで黒ずくめの服装は、家政婦というよりメタル・バンドのギタリストみたいだ。堀部さんは、堀部さんの妹がさやこさんの付き添いとして同行すると言っていた。


 え、妹?

 僕は堀部さんを振り返った。


 デートの相手よりその付き添いにばかり注目するのもおかしな話だが、しかしこれは許されていいと思う。そのくらい堀部さんの妹は、堀部さんと雰囲気が違っていた。そもそも髪を赤く逆立てた家政婦なんて、いていいものか?


「ん? お姉ちゃん、なんかそいつ、雰囲気変わってね?」


 開口一番、メタル・バンドは僕を見下ろすように顎を上げて言った。

 え、マジで堀部さんの妹さんですか?


「浅野グループの御曹司様ですよ。そいつ呼ばわりはよしなさい」


 堀部さんがたしなめる。


「へえ、記憶喪失になったら姿勢がよくなるもんなんだねえ、あたしゃ知らなかったよ。ほれ、ごあいさつ」


 メタル・バンドが鉄仮面の化け物の背中をたたいた。


「亮ちゃんうるさい。わかってるから」


 鉄仮面の化け物が小声でやり返す。とても砕けた親しみある口調だ。さやこさんの、これまでとは違う一面を見た気がした。


「ごきげんよう、たくみさん」


 いつもの小馬鹿にしたような口調に戻った。


「おはようございます。先日は病院までお見舞いにおいでいただいて、ありがとうございました。本日はよろしくお願いします」


 立ち上がってお辞儀をする。

 顔を上げると、さやこさんも、メタル・バンドも、変な顔をしていた。


「へえ」メタル・バンドが目をまるくした。「記憶をなくしたら好青年になっちゃったってか? 別人格じゃん」


 横を見ると、堀部さんはドヤ顔をしている。


 改めて4人着席し、注文をとりにきた店員に飲み物を4つ注文した。レストランといえば小学校の修学旅行以来で(中学の時は不参加だった)、食事をしなきゃいけない場所だと思い込んでいたものだから、飲み物だけ注文したのに驚いていると、さやこさんが堀部さんの手をとって、


「孝ちゃん、もどってきて」


 と甘えた声を出したので、もっと驚いた。さらに、


「おい、さやこ、それはあたしに対する宣戦布告か?」


 と、さやこさんの隣に腰掛けた赤い髪の亮子さんが、さやこさんを呼び捨てにしたので、もっともっと驚いた。


「そうじゃなくて、孝ちゃんは特別なの」

「あたしは特別じゃないのかよ」

「さやこお嬢様はいつまで経っても甘えん坊ですねえ」


 どうやらこの3人は立場も年齢も超えた友人関係であるらしい。なんとなく一人疎外感を感じた。疎外感を感じた時はすぐに本を開くのが習慣になっているのだけれど、今回はそういうわけにもいかないので、仕方なくにこにこしながら3人の様子を眺めた。早く帰りてえ。


「ところでこいつ、もう体の方は大丈夫なのか?」亮子さんが僕を目と顎で見た。


「こいつじゃないでしょう。拓海ぼっちゃんです」堀部さんが訂正する。


「もう女遊び再開してんのか?」


「してませんよ。ねえ、ぼっちゃん」


 僕は苦笑いを浮かべて曖昧に返事をした。一回もしたことねえよ、そんなの。


 ところで話題が僕のことに移ると、さやこさんは黙り込み、かすかに不快な表情を浮かべる。心から浅野拓海のことが嫌いなんだろうと思う。学校の連中とは真逆の反応だ。


 そんなに嫌いな男と結婚しなくちゃならない運命とは、救いがない。


 好意を向けられても、嫌悪を向けられても、自閉症傾向の僕はどう反応していいかわからない。僕の話題が早く終わるのを待つばかりだった。


「じゃあ、そろそろ」と堀部さんが立ち上がる。それに合わせて、ほかの3人、もちろん僕も含めて、立ち上がった。場所を変えるのだろうと思った。しかし、そうではなかった。


「じゃあ、あんたたち、今日も仲良くね」


 亮子さんが言った。そして亮子さんと堀部さんは、二人で会計を済ませてレストランを出て行った。僕らはお辞儀をして送り出し、――そう、さやこさんと二人きりになった。デートなんだから考えてみれば当然だ。なんで想定しなかったんだろう?


 さやこさんはバッグからスマホを取り出した。


「10時半ね」そうつぶやいて、バッグから次にコンパクトを取り出し、僕の目の前でメイクを簡単に直した。「ではわたくし、予備校へ行って自学してまいりますから、拓海さんは渋谷でもどこへでも」


「ええっ?」僕はまぬけな声をあげてしまった。「デートじゃないんですか?」


「あら、デートしたかったのかしら」


「だって、今日は」


「本当に記憶がなくなってるのね。いつもこうですわ。公式行事ですからデートしたことにしなくてはいけないけれど、顔を付き合わせてもお話なんかないでしょう? だから別々のことをして時間を過ごしますの。それでは、ごきげんよう」


 さやこさんが席を立つ。


 なるほど。お互い好意もないのに一緒に一日過ごすなんて苦痛以外の何物でもない。だから表向きデートしたことにして、それぞれ自由気ままに過ごす。あとは適当に口裏を合わせておけばいい。


 納得する。


 隣のテーブルにいたカップルの、女性のほうが、こちらを見た。そして、ぷっと噴き出した。それから顔を、テーブルの向かいの、スマホを見ていた男性のほうにつき出して、ひそひそ声で話しかけた。


「隣、見て」


「どうした?」


「あのお化粧」


 男性のほうも、僕らのほうを、というか、さやこさんを見た。そして、ぷっと噴き出した。


 そのとき、僕のなかで、何かがひっくり返ってしまった。見えない足で蹴飛ばされたみたいに、僕は席を立った。


「デートしたいです」


 僕はさやこさんの背中に叫んだ。「さやこさんとデート、したいです」


 さやこさんは足を止めた。





 二人、肩をならべてレストランを出た。そのまま、なんとなく足を駅の方へ向ける。


「事情がわからなくてすみません。でも、さやこお嬢様がそんなに僕を嫌っておいでなのは、僕がそれだけ傷つけることをしたからなんだと思います。記憶がないからといって、それで済ませられることではないと、わかっています」


 歩きながら、僕は必死で言葉をさがした。


「だから、愛してくださいとは申しません。ただ、チャンスがほしいんです。このまま嫌われっぱなしでいるのは辛いですし、少しは見直していただけるよう努力します。ですから――」


「それで?」さやこさんは横顔のままでたずねた。


「ですから、その――」


「わたくしたちは、これからどこへ行きますの?」


 ぱっと心に日が射した。


「ありがとうございます。そうですね。デートなんか初めてですし、映画とかどうでしょう? なんでも、憎み合って死んだ恋人同士が、生き返ってやり直す、みたいな話の映画がかかってるみたいですよ」


「デートが初めて?」さやこさんが僕を見た。


「あ、すみません。本当に記憶がないんです。こうやって日本語をぺらぺら喋っていられるのが不思議なくらいに」


「いいですわ。映画館へまいりましょう」


 とはいえ、映画館がどこにあるのか僕は知らない。結局さやこさんの知識に頼り、来た道を引き返して、地下鉄の駅に向かった。


 どうしてとっさにこんなことを言い出したのか。今朝ここに来るときまで、いや、さやこさんが予備校へ行くといって席を立ったときですら、僕はさやこさんとの仲を深めたいとは、これっぽっちも思っていなかった。むしろ面倒臭いと思っていたほどだったのに。


 向こうから来た大学生くらいのカップルが、さやこさんをちらりと見て、すれ違ったあと、ぷっと噴き出した。


 自分が笑われたような気がして、僕は振り返った。

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