第4話 屋上で待ってた

「……上に、来て」


 そう言われたのは、放課後の帰り際だった。


 昇降口で靴を履きかけた僕の腕を、

 まるで風みたいに軽く掴んで、彼女が言った。


 振り返ると、そこには制服のまま、

 だけど靴下だけ裸足で――夏の熱にふれるように立つ彼女がいた。


「屋上。鍵、開けておいたから」


 そう言って、先に行ってしまった。


 


 誰もいない廊下を抜けて、階段をのぼる。

 普段なら立ち入り禁止のはずの鉄扉は、確かに半開きになっていた。


 その隙間から差す光は、どこか懐かしい気がした。


 ギイ――と音を立てて扉を開けると、そこに彼女はいた。


 フェンスの前、風を受けるように立っていた。


「来てくれて、よかった」


 そう言って笑うその顔が、ほんの少しだけ、

 泣きそうに見えたのは、たぶん光のせいじゃない。


「ここ、好きなんだ」


 彼女は言った。


「風が強くて、全部持ってかれそうで。

 それが逆に、安心するの」


「……それって、変だよ」


 僕が言うと、彼女は肩をすくめて笑った。


「うん。変だよ。でも、変じゃないと、たぶんここには立てないんだと思う」


 彼女の目は、遠くを見ていた。


 町の境界線。海の気配。

 何もかもが、遠くて、青くて、届かないような気がした。


「名前、まだ思い出せない?」


 そう訊かれて、僕は首を振るしかなかった。


「そっか。でも、大丈夫」


 彼女はそう言って、ポケットから何かを取り出した。


 それは、小さなビー玉みたいなものだった。

 でも、中心に文字が刻まれている。


 レイ


 それを僕に見せると、彼女はもう一度、笑った。


「いつか、思い出すよ。

 だって、それは“呼ばれるため”の名前だから」


 風が吹いた。

 髪が舞い、光がきらめく。


 その一瞬、彼女の存在が、まるで幻のように揺れた気がした。


「ねえ、明日――どっか、行こうか」


「え?」


「遠くまで。バスとか乗って。

 誰も知らない場所で、名前、呼んでよ」


 夕陽が沈みかけた空の下で、彼女は立っていた。


 まるで、“最初で最後の夏”に立ち会うように。

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