第17話 取り戻された記憶

「リオ」


 その名前が、静かに呼ばれた。


 蓮の声は、さっきまでの喧騒が嘘だったように澄んでいた。


 そしてその瞬間――


 リオの意識が、深く深く沈んだ。


 


 *


 教室の光が揺れていた。


 幼い自分が立っている。

 机にノートを広げて、誰かに手を引かれて笑っていた。


「リオ、こっち。こっちだよ」


 あの声。懐かしい。温かい。

 だけど、それが誰の声だったのかは、これまでずっと思い出せなかった。


 でも今は、分かる。


 それは――蓮の声だった。


 彼は、あの頃からずっと傍にいてくれた。


“記録者”としてじゃない。

“観察者”としてでもない。


 ただ、友達として。


 *


 映像が変わる。


 音響実験室。

 強制的に声を出させられた日のこと。


 泣き叫ぶ自分。

 止めようとする誰かの手。

 だが機械は止まらず、音は空間を裂き、誰かが倒れる。


『記録中止!このままでは――!』


 叫ぶ声。

 必死にノートを閉じる、白衣の少年――蓮。


 その手が震えていた。

 目が、彼女を見ていた。

 そして、そっと“記録を保存しなかった”。


「……ありがとう」


 思わず声がこぼれる。


 これまで見えなかった記憶の隙間に、確かに彼がいた。


 自分を守ろうとした、最初の“他者”。


 


 意識が戻る。


 目を開けると、そこには蓮がいた。

 変わらず、まっすぐにこちらを見ている。


「思い出したんだね」


 リオは頷いた。


「あなたが、あのとき……全部、止めてくれたこと。

 声を怖がらなかった、たった一人の人だったこと」


 蓮は微笑んだ。


「リオ。君の声は、壊すためのものじゃない。

 本当は、ずっと……“救うため”のものだったんだよ」


 彼の言葉が、胸に沁みた。


 心の中で転がっていた何かが、カチリと音を立てて“止まった”。


 そしてリオは、ようやく信じることができた。


“自分の存在は、間違いじゃなかった”と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る