第3話 壊れた目覚まし

 その音は、毎朝決まった時間に鳴るはずだった。


 チチッ、チ……カチカチ。


 針が空回りするだけの壊れた目覚まし時計が、彼女の机の引き出しに入っていた。

 もう何年も動いていないはずなのに、ある日、唐突に鳴り出した。


 ――カン、カン、カン。


 金属を叩くような不協和音。

 それは、彼女の記憶の奥から引きずり出されるような、強烈な痛みを伴って響いた。


「……大丈夫?」


 その声で、彼女は現実に引き戻された。

 目を向けると、隣の席で蓮が、眉をひそめてこちらを見ていた。


 彼女は、ゆっくりと首を横に振る。

 そして、目覚ましの方へ手を伸ばした。


 開かれた引き出しの奥――そこにあったのは、やはり、あの時計だった。


 だが、蓮の視線がそれに触れたとき、彼の表情が変わった。


「……それ、昔のモデルだ。

 生徒情報が手動で書き込めた時代のやつ。裏蓋、開くかも」


 彼女は一瞬、戸惑いながらも、裏蓋を指先でそっと押し込んだ。


 カチリ。


 中から、色褪せた紙片が一枚、ふわりと落ちた。

 それは、何かの名札のようだった。


“LA…LIN G…”


 文字は擦れていて、途中までしか読めない。

 けれど彼女の目が、その紙片に吸い寄せられていた。


 そのとき、また――頭の中に“あの音”が響く。


 ――カン、カン、カン。


 転がる金属の音。

 そして、それに重なるように、誰かの叫び声。


『あの子は、ルールじゃ測れない……!』


 脳裏に差し込んだ声が、ひどく遠い記憶をかき乱した。


「……リオ?」


 蓮が、初めてその名前を口にした。

 なぜか、口から滑り落ちたように自然に。


 少女の肩が、びくりと震えた。


 彼女は、まだ――自分が“誰か”だった頃のことを、思い出してはいない。


 けれど、確かに。

 その名前には、微かな温度があった。


 彼女の目が、蓮を見つめる。


 そしてその瞬間、目覚ましの音が、ぴたりと止んだ。

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