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AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
AIのあり方についてとても楽しく読ませてもらいました。途中、なるほどと思うこともしばしばあり、規制か自由かの論争はまだまだ決着はつきそうにないですよね
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
返信が遅くなり失礼をしました。
AIについて、様々な議論がしばらくは続くでしょうね。
ただし、議論には「実効性」というものも考える必要があるのでないかと思うこのごろです。
インターネットの世界に国境はありませんからね。
カクヨムが規制したとして、あるいは日本が規制したとして、それで生成AIによるコンテンツの生成はなくなるのか?
「規制のための規制」ではなく、「何を守るための規制であるか」が重要かと思います。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
こんばんは。コメント失礼します。
おひさしぶりですご無沙汰しておりました。
御作、とても興味深く拝見しました。
残念ながら私は生成AIは規制すべきと考える者です。
それでもこのエッセイは面白く拝読いたしました。
ありがとうございました。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
昭和のダンジョン話、楽しく読ませて頂いております。
昔、ワープロやPCが世の中に普及して行った過程で、例えば、業務資料や、あるいは、市販の雑誌などでも、「なぜ、そこでその馴染みのない難しい漢字を使うかな?」と思うような、ワープロの自動漢字変換をそのまま採用した様な文章が溢れた時期があったものでした。
あるいはインターネットの普及期、例えば、大学の学生のレポートなどで、グーグルの検索結果をそのままコピペした様な文章が多々見られ、先生方が嘆息した時期もあったそうです。
生成AIは規制すべきというご意見も、世間には多々伺える昨今です。
なぜそうあるべきなのか? いかにしてそんな規制が実現できるのか? などなど、これからも多くの議論が交わされるべきと思います。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
コメント失礼します。
わかる、わかりすぎる!
私の頃にはすでにWindows95が発売されており、卒論もPCで書きましたが、提出用には原稿用紙に手書きで書き写しました。
また就職氷河期でしたので、就職活動では何十枚もの履歴書を手書きで書き(失敗したらゴミ箱行き)、手が攣りそうになりました。
今となっては全て懐かしい思い出です。
作者からの返信
閲覧とコメント、ありがとうございます。
Windows95の時代でさえ、卒論の提出用には手書き清書でしたか!?
大学や先生にもよるのかも知れませんけれども、それはびっくりです。
そう。'90年代は、就職氷河期で大変でしたでしょうね。
履歴書は、受け取る側だって、電子データでもらう方が何かと便利なはずでしたのに、「手書き信仰」は、長く、恐らくは今でも、あるでしょうね。
新しい技術を、何でもかんでも無批判に受け入れようとは思いません。
でも、一方で、その技術を必要としている現場もあるのですよね。
AIも同様で、問題は問題として取り組みつつも、はなから否定していては、時代から、世界の情勢から、取り残されてしまうのでないかと思います。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
懐かしい!
おそらく同世代の方なんじゃないかなと思うのです。私の卒業論文は"フロッピーディスク"で提出でした。(理系の学生だったので、データの量が膨大でフロッピーディスクでの提出が許可になった初代位だと思います。)
今フロッピーディスクなんて誰も知らないですよね。きっとAIもそのうち普通のことになるんでしょうね。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
レビューコメントまでいただき、感激です。
年代、お近そうですね!
ただし、私の学生時代は、フロッピーは8インチで、カセットテープを標準メディアにしていたPCもありました。
大学への課題の提出は、ドットインパクトプリンタでのソースリスト提出でしたww
ワープロの普及し始めの頃には、新人社会人や雑誌編集者が作った、ワープロやPCの漢字変換をそのままに文書を作成した様な文書が、結構目についたものでした。
「ワープロを使えば良い文章が書ける訳じゃない!」
なんて叱られたものでした。
AIだって、生成されたものそのままになんて、まともに出せるものではないのでないでしょうか?
楽の出来る部分がある一方で、やらねばならない作業も増えるのではないかと思っています。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
逆に小説が書けない方がAIの扱いが上手くなるのかも知れないっすね
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
さて、どうでしょう?
確かに、どんなに便利なツールでも、使いこなすにはある程度の習熟が必要になるでしょう。
その習熟に時間と労力を割くには、今のやり方から離れようという意思の強さは必要になるかも知れませんね。
昔も、万年筆で小説を書く事に何の不足も感じなかった人は、ワープロに乗り換えようなどとは思わなかったかも知れません。
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いにしえのワープロで文字変換すると「東京へ行きました」が「東京兵器真下」と何かシュールな文になった思い出。
生成AIも最初の頃はこなれていませんでしたが、今では無くてはならないツールになった印象です。
大学生の論文など、皆がAIを使うと均一な内容になってしまいそうですが、玉石混合だったレベルがAIの支援で全体に底上げされた分、執筆者独自の視点の切り込みで差が付くようになりました。
小説分野においても、単なるストーリーテリングを超えて、著者の個性が問われる時代になるのかも知れません。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
そうそう。昔の漢字変換は、なかなか笑わかせてくれました。
学習して学習して工夫をして、今のレベルになった訳です。
私が学生の頃は、学校のレポートでも何でも、手書きでした。
「読みやすさ」は、いつの時代でも、レポートの重要な評価ポイントでしょう。
でも、悪意がなくても悪筆な人というのはいて、その段階で「読みにくい」と評価された人だって、少なからずいた事でしょう。
ワープロが出現して普及する事で、そこの条件が均質になったと言えるでしょう。
でも、その後は、「ワープロを使ったからと言って、文章が上手になる訳ではない」と言われたものです。
「読みやすさ」には、「分かりやすい文章構成」も重要な要素。
生成AIが、そこのレベルのサポートをしてくれるならば、本当に、著者の主題や論点が、文章の評価の基準になって行くでしょうね。
ご意見、賛同します。
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AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
巷ではナッシュ生活が流行り出してますが、たしかに美味しそうだし、作る手間洗う手間が省けるのいいなと思うし、この先は結局配給が一番手段としてはいいのかなと思ったりもする一方、完全にディストピアやな…って気がして、実際に注文となると、いま一歩踏み出せない
料理をするとか食器を洗い、並んで片付ける、その間にも世間話をしたりする。こういうめんどくさいことって案外人の精神の役には立ってたりするものです
しかし、そういうのが『自分の代わりにやってくれるもの』で満たされて、何もかも自分でやらなくていいよ、ってなったときに、人はじゃあ何のために生きるのかっていう
なんとなくですが、AI問題て、そのようやく世間の目にもわかりやすい形で見えてきた始まりで、月並みだけど人の生きる意味ってのが、いよいよ問われてきている気がします。
究極『自分の代わりに生きてくれるもの』がひとつの到達点だと思うので
で、好きに生きられる自分のようなものはいいんだけれど、この時代にすでに生きてる意味みたいなものを見出せてない人は、そうなってくると、みんな発狂して突然死にだすんじゃないかなとか
一斉自殺みたいな事件は起こりうる気がする
一緒に暮らして日々そういうのを経験してたり、お母さんの味みたいなのがあると、あーでもあの人のご飯また食べたいなーってので1日生きながらえたりすることもあると思うけど、
ナッシュに浸かると、最後に食べたいかっていうと、もうどうでもいいか…になっちゃうと思う←ナッシュを舐めてるかも
逆にルンバが一生懸命掃除してくれるの見て、やべぇコイツのために今日も生きなきゃ! というのもあるかもだけど笑
でも、基本システムはいのちをひきとめないと思うんですね
そういうものの喪失の危惧と似たものを、正直AIそのものってより、それを推奨する人の声には感じます
便利だから良いとかこれまでもそうだったから良いとかじゃなくて、オートマ化されるごとに、私たち、生活からやる意味とか意欲とか感情を失わせていってるんじゃないかなって
で、鴨長明の序文にあるとおり、戻せないんですよ
携帯端末の普及で、家族間の会話がなくなったとか子供が親の知らない秘密を容易に持てるようになったとか、いろいろありましたけど、普及した後ではもう取り返しつかないですよね
SNSもそうっす。人類はもうやめたほうがいいと思うけど、いまさら取り返しがつかない
AIも取り返しがつかなくなりつつある、スデニ
最近はなにかと感情が軽視される世の中になっちゃったなって思うけど、私は感情って生きてく上ですごく大切だと思ってて、
私がインテリあんま好きじゃないのはこのためです。
彼らはそこを軽視する
自ずから装置にしてると思うよ、人を
だからAIそのものにもあんまり賛同できないかなあ
ごめんね
なんか散文ですみません。思いはこんな感じです
追伸です:いえいえ。こんな散文にこちらこそ、こんな丁寧な対応をどうもありがとう。あなたはとても良い人ですね。
私も頭ごなしに技術の否定はしていませんよ。
ただきっと多くの人がバランスを取ることは難しいだろうとは思っていて、その危惧を話したつもりです。
私自身は誤解を恐れず本音をいえば、そういう現象含めてどうなっていくのかな、面白い、とも感じています。
揚げ足取りに見えるかもしれませんが、『自分の想う早さで文字に出来ること』も、少し前には『脊椎反射』などと揶揄されたりしましたし、それによる中傷的被害が増えた今では『一呼吸置いてから』とか『一日置いてから』レス・リプするなど注意喚起がなされていたりもします。
その今ある最大の例がSNSでありXのように思いますが、しかし、短文文化が流行り、人はどうなりましたか。
読解力、理解力にとぼしい人間が散見されたり、カエル化現象や琴線に触れるなどの言葉を誤った意味で捉えて用い(時に自覚もなく!)、その誤った意味を瞬く間に流通させる最悪の伝染システムとして機能し、かえって人の間に誤解を生み、いらない諍いを起こしやすくしている諸原因のひとつになっているとも言えるのではないでしょうか?
でも、例えば現代で商品を宣伝したりするのにSNSを用いないなんて、もうあり得ない。
ここに選択の自由ってあります?
一番便利なものができてしまえば、効率の名の下に、それしか使わなくなる、もしくは使うことを他にも強制するようになる、のが世の常ではないでしょうか。
絵を売りたいときにAIを超えればいい、それができなければ創作者ではない、と仰られましたが、相手はいわゆる人の知能の総算(それでいて自分のものは一切ない)のようなものになります。
事はそう単純なことではないように思えてならないのですよね。
芽生え始めた若い才能を『所詮AIには勝てないからいいや』と摘む悪魔の装置にもなり得ますし(その若い人にはAIを超える才能があったやもしれないのに)
もちろん人によります。
手や足のない人に『AI技術を利用したより快適に動く手と足を作る』ような応用はとても素敵だと思います。
しかし、多くの場合、私にはかえって人の選択の自由、もしくは能力の可能性、人の生きられる場所、をひとつひとつ詰ませにいっているように見えるのですよね。
感じ方が違うのだともちろん存じてますが、回り道こそ、人の生きていられる理由だと私は思うんです。
こんな考え方もありますよってことで
ありがとうございました。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
話題の範囲を大きく広げて頂きましたので、私も節操なく風呂敷を広げますと、仰られる事柄というのは、「選択的夫婦別姓」問題と同質のものだと思うのです。
夫婦共働きや片親家庭で仕事が忙しく、それでも、家庭で栄養バランスの取れた暖かい食事を家族で摂ろうとした時、ナッシュの様な食事配給サービスというのは、利用するに有益な手段だと思います。
その一方で、そんなに仕事を頑張らずに、家庭で過ごす時間をゆったりと持って、長い目で見た食育も意識した手料理を家庭で作る事も、有益な選択でしょう。
要は、一人一人のライフスタイルやライフステージに合わせた選択が出来るという事が大切なのだと考えます。
移動手段でもそうでしょう。
ある場所へ出掛けるのには、徒歩でも良いし、自転車でも良いでしょう。自家用車を運転するのでも、バスや電車などの公共交通機関を利用するのも良いでしょう。
私は東京住まいですが、東京の人間というのは、意外と歩くのです。自家用車が生活必需品な地域の方々が驚くくらい、買い物でも子供の送り迎えでも。
それは、要するにスーパーでも幼稚園でも徒歩圏内にあるというだけの話で、別に東京の便利さを自慢しようという訳ではないのですけれども。
私は、「豊かさ」とは、「便利さ」ではなく、「選択の幅の広さ」だと思っています。
「これしかない」、「こうせねばならない」ではなく、「一人一人が自分の欲求や必要に合わせてスタイルを選べる自由」のある事が「幸福」の礎(いしづえ)だと思っています。
私は、子供の頃から「お話」を書いてそれを周囲の人に見せるのが趣味でした(今でも「趣味」です、「職業」ではなく)。
大学生の頃、私は、原稿用紙にペンで文字を書くのが「遅い」と感じるようになりました。
それで、当時まだ値の張ったワープロ専用機を、バイトで貯めたお金で、型落ちの安売りセールで購入しました。
そして、キーボードでのブラインドタッチを、懸命に練習しました。
翼が生えた気分でした!
自分の「想い」が、自分の「想う」速さで文字に出来る事に、「自由」を感じました。
今、キーボードのない生活に戻るというのは、私には、苦痛でしかありません。
一方で、ちょっとしたイラストを描くのも、私の子供の頃からの手慰みでしたが、そちらは、今でも紙に鉛筆です。
CGを作成する環境も手元にありますけれども、そこまでする程には、私の中では、イラストは大きなウェイトを持っていないのです。
「選択する自由」のある事が、人間には重要な充実感なのです。
生成AIも同じです。
各自のニーズやシーズに合わせて、使う人は使えば良いのです。
私は、実のところ、まだ、生成AIを試みるには至っていません。
近い内には触れてみたいと思っています。
生成AIには、派生的な問題も諸々ある事は見聞しています。でも、それは、本質ではありません。問題解決のための手段を社会として講じれば良い事です。
現実に、生成AIの技術の発展や普及を求めるジャンルや現場が存在する以上、私は、生成AIを頭から否定しようとは思いません。
私のスタンスは、こんな所です。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
同年代の方なのかと思いながら読ませていただきました。
手書き、ワープロやワープロソフト、そしてAIへと便利に進化して行くこの時代変化に立ち合えてることが凄く楽しく、そして少しもの寂しさを感じつつ日々を過ごしててこういうエッセイに出会えたことに感謝です。
また機会があれば読ませていただけたらと思います。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
お互い、面白い時代を生きて来た、のではないでしょうか? いかがでしょう。
惜しむらくは、そうしたITの進展の歴史の中で、日本のプレゼンスがどんどん、どんどんと小さくなって行った事でしょうか。
今回は、思わずこんなエッセイを書いてしまいましたが、恥ずかしながら掲載しております他作品も、ご覧いただければ光栄です。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
おはようございます。
言いたいことはわかるんですけどね。わたしも今年の春までは頑固者寄りだったんですけどね。
今はAIイラストとは共存すべき派です。
なぜなら、AI絵なら絵を描く時間が大分省略されるし、体を壊す心配がないからです。
例えばわたしなら全身絵で装飾あまりない画だと通算作業時間8時間、装飾激しい絵だと通算作業時間16時間かかってたんですが、それが5分で済む。体も壊さない。腕が使い物にならないという心配がない。
そりゃあもう結構頑固者なわたしですら手のひら返しますって、不老不死じゃないんだから、死ぬまでに何枚の絵を自分の目の前に出せるか考えちゃいますよ。不老不死だったら頑固者続けてたかもしれないですけど。
漫画家で体壊している名作を書いている人がいますが(腰アーパーになってる冨樫やら、利き手壊したヒストリエの人やら、どちらも名作生み出せるのに日常生活に支障が出ている)、もう今では命すらない人も。ベルセルクの元々の描き手の人とか、ああいう人程AIに自分の絵を覚えさせてアシスタントにすれば、体壊すことはなかった。
と、SeaArtAIというシンガポールのアプリも日本で出しているけど、マーケティングを欧米でだけしていて、まだ日本ではしていないAI巨大コミュニティサイトで世界中のAI絵描きに揉まれながら、サイトでコンテストで参加しつつも、わたしも自分の絵をLORAという形でAIに教え込ませながら、感じました。
やっぱりね。自分の体壊す心配なく絵を生み出せる時間が16時間⇒5分にまで縮められるのは魅力ですよ。AI絵といっても絵描きとして頭鍛えてきた人と絵描きじゃない人では差があります。もちろんその差は今までより小さいですが。
でも例えば、Sea ArtAIでキスをテーマに絵を描いてくださいってお題があったんですけど、普通の人は男女の恋の瞬間を描く。でもわたしはエイリアンとプレデターのキスシーンを描く。
こういう差が出てくるんですよね。パッとした思い付きで。
AI小説については、わかりません。絵描きほどの劇的な効果があるのかどうか、元々絵描きのわたしには掴みづらいので……。
やっぱりね。命捨てる前にAIと仲良くしておいたら? って思うんですよ。
体壊した漫画家(冨樫、ヒストリエの人)や命がもうない漫画家(ベルセルク)見てると。自分の絵を真似すごいできるアシがすごい低価格で雇えるのは魅力ですよ。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りです!!
本文にも書いた通り、私の学生時代は、大学に提出するレポートから就職のための履歴書まで、何でも手書きでした。
手書きしか方法がなかったのではなくて、「手書きすべき!」という空気だったのです。
今では、キーボード無しの生活なんて考えられません。
ペンで、一文字一文字書くのって、とっても時間がかかりますから。
CGも、同様なのでは?
AIだって、その延長だと思うのです。
生成AI反対論、もちろん、色々な意見がある事でしょうけれども、私が「エッセイ・ノンフィクション」カテで拝読した方のご意見は、
「自分の作品をAIの学習に使われるのが気に食わない」
「他人の作品のコピーであるAIイラストを『自作品』として出す人の態度が気に食わない」
要約すればそういう事かなと読めました。
でも、私は思うんです。
「では、あなたは、誰の作品もお手本にしないでイラストの描き方を身につけたのですか?」
と。
絵を描くのって、大抵は、憧れの画家やイラストレーターがいて、子供の頃にそういう人の画風を真似て書いたところから始めているのではないのでしょうか?
一方で、そうした「誰かの模倣」である内は、「プロ」とは言えないのでないでしょうか?
AIが、「誰かのコピーだ」と主張するならば、むしろ、「恐れるに足りない」のではないでしょうか? そんなものは習作なのですから。
職業イラストレーター様ともなれば、納期に追われて多くの作品を仕上げて行かねばならない事でしょう?
基本となる部分に、毎回、時間をかけては居られませんよね。
「これをやってみたい」と構想した事が、短時間で目に見える形になる、これのどこが悪いんだ、と私は思います。
もちろん、生成AIには問題もあります。
フェイク映像の生成だとか、盗作や偽造など。
でも、それは、AIでなくても起こる事であって、問題の本質ではないと考えます。
そういう問題は、問題として、別に議論すべき事なのではないでしょうか?
私はそう思うのです。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
同じ昭和のおっさんとして、同感~ w
今の反 AI の方々の言う言葉は、
歴史の授業の中で聞いたことと、多分同じな気がするんですよね。
『産業革命』で、機械化によって職が失われることを
声高に叫んでいた人々と……
その時は、機械化できない作業ができる、
所謂『職人』と呼ばれる方々や、ニッチなニーズを満たす人は
機械に職を奪われずにすんだ。
今回もきっとそうなのでしょう。
特別な絵が描ける人や、人が求める文章が書ける人はやっていける。
けど、そうじゃない普通の絵や普通の文章を書いていた人は
職を奪わることになる。だから声高に叫ぶ。
絵や文章に限らず、AI に奪われるみたいに言われている職業はすべて。
そんな感じになる。
そして、どんなに叫んでもそれが時代の流れなのだから
逆らうことはできないんじゃないかなーと w
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
「そうだ、そうだ!」
……と言ってしまうと、各方面に支障となりそうなので、ニヤニヤ笑いで韜晦しておく私です(笑)
AIで職を失われる人、AIでさらに利益を得る人、この先も色々といるでしょうけれども、一度生まれ出た技術は、余程の事が無い限りは消えて無くなる事などない訳で。
「断固反対!」などと、無かった事扱いにするよりは、どう向き合っていくのが良いかを考えていくのが建設的なのでないでしょうかね。
とにかく、まだまだ伸び盛りで思考も柔らかい若い人が、通り一遍の理屈で新しいものを否定する様では、困った事です。
** ** ** ** **
別件ですけど、拙作『海とブドウ』をお読みいただきありがとうございます。
いつも、ハートマークをいただき感謝しております。m(_ _)m
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
かつて卒論や履歴書は手書きが当たり前でした。字が汚い私は、友人に清書を頼み、その対価を支払った記憶があります。そんな私も今ではAIでイラストを描く時代に生きています。AIは個性的な文章の創作こそ苦手ですが、誤字脱字の校正には自信があるようです。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
不得手を助け得手を伸ばす、そんな利用の仕方を考えたいですよね!
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
AIはいろいろ意見がありますよね。技術に人間が振り回されている感があります。
Xの投稿をAIに学習させるというおふれがあって、全削除したイラストレーターさまもいるとか。
無断学習はよくないですけど、筋を通して活用できるなら良いとも思いますね。
ルールができあがる前に一般に公開されてしまった感もあります。
わたしはAI使わないけど、他人が使うのをやめろとは言わないですね。
個人の主義主張は自由であり、現状で法的に違反しているわけでもないですし……
ただ、ターミネーターという映画があってAIが反乱を起こすのですよね。そうならなければいいなあ。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
『ターミネーター』は、怖い映画でしたね!
同時期の映画『プレデター』も怖かったです。お〇っこチビりそうなくらいでしたww
どちらも、主演はアーノルド・シュワルツネッガー。この2作で、シュワちゃんは、一気にスターダムにのし上がりました。
医療技術は例外として、大抵の技術は、ルールが出来上がる前に世間に流布します。
問題がなければそのままで、問題があればこそ、ルール作りが議論される訳です。
今やお馴染みのフォトレタッチソフトだって、当初は「アイコラ」などの制作が問題にされたものでしたが、そこから「肖像権」なんて概念が新たに生まれたりしたのです。
今後は、きっと、トレーサビリティなどが課題になってくると思いますね。
ある文章やイラストが、本当にある有名作家Aの作品なのか、とか、画像や動画で伝えられた事象が真実なのか、とか。
そして、そういう場面でも、AIは、有用な技術として活用されていくのでないかと思います。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
こんにちは。お邪魔しております。
パソコンを触っただけで壊した(本当にそっと触れただけだったんですけど)過去があるので、AIを使いこなす以前の段階で躓いてます……。ただ、AIという存在にはとても興味があり、幸い周囲にはそちらの方面に勤めている人もいるので、今度ちゃんと話を聞いてみようと思いました。
真剣に考える切っ掛けをいただき、ありがとうございますー!
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
私、パソコンから煙を上げさせた事があります。
魔改造が、度を越してしまったらしくて(笑)
AI、私もまだまだ十分には。
特に、今話題の生成AIには、全然触れられていないのですけど、色々と問題があるのは分かるんですよ。
ただ、「嘘をついてはいけない」なんて事は、技術以前の問題であって。
特定の一つの技術を否定してみても仕方のないことじゃないかな~、と思って一文書いてみた次第です。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
へえええーー!!
フォントって、そういう風に表示されてるんですね!全然知りませんでした。さすがデリカテッセン38さま、ITにお詳しい!
そして、ヒエェー。大学に提出するレポート、手書きだったのですね。間違えられない緊張感…。でも、頭と手って、繋がってますよね。人間の能力を引き出すには、手書きの方が良さそう…。なぜなら私、漢字が書けなくなってきたんです。良く言われることですが、変換すればすぐ分かるのに、手書きだと忘れてる。人間は怠け者だから、使わないスキルは脳から消えて行くんだろうな…って恐怖しています。
AIの仕組み、全然分かりませんwが、ググって一番上に来る回答、「AIによる回答」になっていて、参考にしてしまうんですよね。これもまた、調べ物をする脳の体力を奪っているんだろうな、って思いながらも、時代の波で、後戻りが出来ない…。AI、良くも悪くも、使い方は人間次第。AIと仲良くしていきたいですね♪
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
私、昔は、フォントを自作していました。
友人に「ヨシムラ君」という人がいて、彼の「ヨシ」の字が、パソコンに標準では無い文字だったんです。
それで、彼に手紙を書くために、画面表示用の16×16ドットフォントと印刷用の24×24ドットフォントを作っておりました。
手紙よりもメールが主流になると、やらなくなりましたけどね。標準にない文字をメールで使うと、送った先で文字化けするだけですので。
そうそう。昔はなんでも手書きでした。
人によって生来字のきれいな人と汚い字の人がいて、「きれいな字を書きましょう!」なんて言われたものでした。
ところが、パソコンなどの新しい技術が出て来ると「手書きの方が、心がこもっていて暖かい」などという謎な論理がまかり通り始めるのですww
私も、確かに、漢字は弱くなりましたね!
昔、「薔薇(バラ)」という字を漢字で書くのが流行った時期があって、確か、ヒットした歌謡曲の影響でなかったかと記憶していますけれども、私も、高校生の頃は書けたものでした。
今では無理ですw
ただし、私は、今でも日記は、手書きしています。
ググって一番上に出て来る「AIによる回答」は、私は、まだまだ真に受けてはいませんね。
中身を読んで、
「ふ~ん! AIも、なかなか良い回答をするようになってきたじゃぁん!」
と、知り合いの子供の成長を見る様な気分で眺めています(笑)
編集済
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
AIと仲良くしようよという一文、おっしゃる通りだなぁと深く感じます。
私も、特に20代後半〜40代はAIアレルギーの人が多くいる印象です。
しかし嫌われる背景もリアルタイムで見てきたので、AIの話題を出す時には慎重にならざるを得ません💦
(私自身はChatGPTのplusプラン課金勢なので、もはや生成AIが生活必需品になっておりますが…)
要は、使う側の倫理の問題なんですよね(´・ω・`)
手描きと偽って投稿された創作物が、実はAI出力だった! などは、まだ可愛い方だと思うのですが…
特定のイラストレーターの作品をAI学習させて、さもその人の作品のように見せかけたグッズを販売して儲けたり…という使い方が一時期に横行したのを見ていると、「AIなんてろくなことがない!」と反発する人が出てくるのもまあ分かるんです。
けれども仰るように、ワープロやCADと同様、生成AIだって人間の作業時間を大幅カットしてくれるツールなのですから、毛嫌いするだけなのはもったいないな、と思ってしまいます。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
生成AIによるフェイクなどは、問題ですよね。
なりすましや盗作も。
ただ、「嘘をついてはいけません」なんて事は、お釈迦様の時代から言われていた事で。
今後は、トレーサビリティが、大きな課題になっていくのではないでしょうか。
ある文章やイラストなどのコンテンツが、本当にある人の作品であるか、とか、画像や動画で伝えられた事象が真実であるのかどうか、など。
そうした分野でも、AIは重要な技術になっていくのでないかと思います。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
とってもよく分かりますねぇ。
まさかワープロやフォントの話が聞けるとは。嬉しい。
確か家にあったのはルポだったなぁ。液晶領域は2行しかないの!
>人間は、常に、筆先から新たな図像を作り出しているのです。
この言葉すごくいいですね。
最近はAIも熟れてきて使いやすくなったなぁという印象です。AIにやらせて終わり、としていたら使い方としては残念ですが、その出力をするのにどのように個々の頭の中のものでガイドするかですからね。まさに、AIを筆先とするようにして、自分の文字、図形を描かねば。
とても興味深く読ませていただきました。
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
「とても興味深く」と言っていただけて、感謝です。
私が、大学時代のサークル活動で、初めて触ったワープロも、液晶領域2行表示でした。懐かしい!
2行表示の使いにくいワープロから、ホームOA機器は普及して行ったのですよねえ。
そうして、「手書きでなければ、心がこもっていない」という謎論理も、同時に広く普及して。
一方で、「ワープロを使ったからといって、文章がうまくなる訳ではない」とも、よく言われました。
私も、これは、「ごもっとも、ごもっとも!」と思って聞いていましたね。
私が今、AIを一番よく使う場面は、英文翻訳です。
ネットで必要な文献を探して、英文であれば翻訳して、報告書にまとめるという仕事が、ここ数ヶ月の大きな仕事になっているのですけど。
でも、報告書にまとめる段階で、文章の表現を整えたり文脈に合わせて直したりはしていて、AIが翻訳したものをそのままでは使えないです。
AIを、頭から否定するのでなく、ツールとして活用した上で、自分の成果物を作成していかなくては、と思います。
でなくては、AIを活用している人たちに、取り残されて行ってしまう。
自分一人でAIを否定してみたところで、AIがこの世から消える訳ではないのですから。
現在の生成AIの使われ方に色々と問題がある事は承知の上で、言うわけですけどね。
編集済
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
(*・ω・)*._.)(*・ω・)*._.)ウンウン
正直、いま使っているのが当たり前の文明の利器と言われるものを、『機械頼りは魂こもってないから使うの禁止ね』、って言われたら芋ちゃんはキレますねw
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
まったく、まったく!
AIは、「新しく出て来たまがい物」という印象が、まだ強いのでしょうけれどもね。
でも、デジタルの世界は、コピペで成り立つもの、自動学習で成り立つものと言って過言でないです。
アナログだと、例えばオーディオテープのダビングを繰り返していては劣化してしまいますけど、デジタルではそうした劣化がないのが利点な訳で。
カクヨムで小説やエッセイを書くなどデジタルの利便を享受しておいて、「AIはダメ」は、通じない論理でしょうね。
** ** ** ** **
それはそうと!
拙作『海とブドウ』を、いつもお読みいただきありがとうございます。
ハートマークをいただき感謝しております。m(_ _)m
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
思わず、『分かるぅぅぅっ』と何度も口走ってしまいましたw
私の卒論は英文での童話をつくり、紙芝居にする、、、だったので(笑)
手描き(手書き)オンリーでしたが((´∀`*))
履歴書も時代と共に変わりましたよね
履歴書に添付する写真ですら、今は美肌加工やら顔色補正やら
もはや本人でなくなるのでは?と思ってしまいますが(笑)
どこまでも進化してゆくのでしょうね~
飲み会の場所を知らせるのもQRコードですし
知り合った人と連絡先を交換するのもメモではなく、
これまたQRで読み込んで友達登録、、、便利ではありますが、
名前だけのお友達がわんさかですよ(笑)
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
昔は、何でも手書きでしたよね。
今だって、ITに頼るのが嫌ならば、手書きというのは出来ない事ではない訳で。デジタルが嫌ならば、カクヨムなぞ利用していないで、手書きの小説を手刷りで本にして、駅前やコミケなどで手売りをすれば良い訳で。
すっかりIT頼みで成り立っている現代の生活の中で、AIなんてのは、言ってみればちっぽけな問題なんですよ。
ツールが便利になるほどに、私たち一人一人が抱え込む情報量も増大する訳だけれども、それを、うまくうまくさばいて行かねば、私たち自身がその負担の重さに潰れてしまいかねないと思うんですよね。
それを、新しいIT技術に頼らずに出来るかというと、難しいのでないのかなぁ、と思うんです。
もちろん、AIを手放しで礼賛しているのではなく、適切な使い方をわきまえていく事は大切と考えます。
AIという新たなツールに対する若者の意見に、昭和のオジサンが思うへの応援コメント
ワープロ!
使ってましたよ!画面が五行くらいしか無い時代から!
AIは使い方次第だと思いますね。
最初から最後まで丸ごと書かせて、それをバンバン投稿するっていうのはどうかなぁと感じます。
実際には読んでないから何ともいえないのですが。
興味深い考察でした。ありがとうございました♪
作者からの返信
閲覧と応援コメント、ありがとうございます。
AI作成の小説、幾編か読んでみました。
きちんと筋道立った作品として仕上がっているのですよ。
ただし、いかにも「テンプレ」という感じでしたね。
AIは、過去のデータに基づいて出力するのであって、自分自身は何一つ新たな経験をする訳ではない訳で、「きちんと書けている」以上の感興は覚えませんでした。
でも、それも、現時点での事。技術が発達したらばどうなるかは分かりません。
ただ、短時間に驚く数の作品を生成してサイトにアップ出来る事は確かです。
そして、それなりのPVやハートマークがつくんですよ。
私には面白くは思えなくても、それを面白いと感じる人はいるのでしょうね。