『逢状』

温かいパスタ。

整列する食器。

結婚後、3回目のこの日。

珍しく『私』は機嫌が良くて。

綺麗に整った顔を崩しながらフォークを握っていた。

私の目の前に並ぶ食事は全て整ったままで。

余所から入り込んできた食事は全て空になっていた。

『私』はとても気分屋だから。

朝お願いした食事は夕食時には興味もなく。

あの時欲したあなたへの興味ももうない。

私は毎日新しいことを望み、

毎月新しい趣味を見つける。

彼が知る限りだと、『私』が変化を望まなかったことはない。

それでも『私』は毎日のルーティンを崩すことを嫌い、あなたには変化する毎日の中にある芯を作るよう願った。

新しいことを望むのは、過去を大切にしていく為。

付き合った頃からずっと、それが『私』の口癖だった。

「何故結婚しようと思ったんだ？」

「変化する中で変わらないものがあると安心する。あなたならきっとそうなってくれるって思ったから」

これも、口癖。

私からすればあなたは変わらないもので、私の生活の芯を作り上げるものなのだろう。

そしてそれは、何が起きても手放してはならないと。

それを守る為なら嘘で取り繕ってもいいと。

そしてそんな大切な役目を預けようと思える、

それ程までに自分を信頼していると言いたいと。

彼は解釈しているのだろう。

――本当に、私って酷い人

こんな嘘でもあなたは騙されると思っている。

「…はぁ。大層な質問をしてくるから何かサプライズでもあるのかと思ったけど。あなたがそんなことできるわけないもんね」

本当に、可哀想な人。

「ねえ早く紅茶入れてよ。私早く寝たいんだけど」

あなたに脳がないと喚くのも、

それでいてあなたに紅茶を淹れさせようとするのも、

全て私で、あなたの枷なのに。

気づいてもくれないのね。

だから私はあなたを愛せない。

枷をつけられるあなたを愛せないからこそ、何時までも不変を望む。

夕食後、私は必ず紅茶を強請る。

それは私の中で永遠に続く日課で、彼を作り上げる基盤の一つ。

あなたが作り上げた、基盤。

でも作り上げたのは彼じゃない。

あなたで、私だ。

それならば、崩すのも私であるのが当然だろう。

「はい、できたよ」

昨日と同じように紅茶を差し出される紅茶。

私は昨日を忘れるように飲み込んだ。

昨日と違う空気を。

――陶器の割れる音

長閑な時間の流れるリビングに、それは波紋のように広がって。

私を見た君は、何も言わずその瞳に絶望を宿した。

そして私は次第に廻る孤毒を感じ、震えだす身体ごと床へ落ちる。

今のあなたはかつて私を愛してくれたあなたの姿と酷く似通っていて。

それでもそれすら愛しいと思えない私達は、

在るべき姿に『戻っている』のだろう。

だから仕方がないんだ。

こうでもしないとあなたは終われない。

私の事を嫌いなあなたも、私は愛せなかった。

愛さなかった。

力強い腕を見ていた。

音はもう聞こえなかった。

口から吐きでた罪悪感。

視界は暗くなってゆく次第。

最期に見せつけられた顔を、私は忘れることすらできないのだろう。

「愛してるよ」

雪を被り笑ったあの日が、

あのときは何より守りたくって。

世界中探しても。

私みたいな幸せ者はいないと、

本気でそう思えた。

あの日彼が気付いたのは、

私の世界の広さで。

それでもいいと笑ったあなたは、

酷く狭い世界だった。

もう一度走馬灯は巡る。

血痕の残った食卓。

散乱した食器。

冷めるパスタ。

もう二度と崩壊させることのない顔。

守られた時間。

何もかも嘘だった世界。

未来に眠る二人の遺体。

我が家はもう二度と稼働することがないでしょう。