きまぐれ

宇治抹茶ひかげ

神に魅入られるという事は

「ねぇ噂! あなたは聞いたことあるかしら?」

「なんの噂なの?」

「神社の噂よ! と〜っても怖い神社の噂」

「聞いたことないや! おしえておしえてその噂!」

「ふふん、聞いて驚くのよ。その昔、あの神社では儀式が行われていたの」

「儀式?」

「そうよ、今は無くなった禁断の儀式。あの神社は犬の神社。誰もが知ってる犬の神社よね」

「僕のミッキーもあそこで名付けられたのさ!」

「だけど昔はそうじゃなかったみたい」

「そうなの?」

「ええそうよ! 昔は犬を祀ってなんかいなかったの」

「じゃあ何を祀っていたんだい?」

「神様よ」

「ははっ! どんな神様なんだい?」

「子供の神様なの! 昔の昔、その昔。コンビニも児童館も学校も電車もない私たちの町が村なんて呼ばれてた時のお話」

「すごい昔だね!」

「殺されちゃった。ひとりの男の子が、殺されちゃったの!」

「わぁひどい。なんで? 誰に?」

「ワンちゃん、犬なの。野犬に食べられちゃった。鋭い牙を剥き出しに、涎をダラダラ流してて、見るも無惨に殺されちゃった!」

「キャー!」

「男の子は憎んだの。全部、全部、全部、全部。だから呪いを振り撒いちゃった。村は流行病が蔓延して、不作も不作、凶作も凶作。子供も生まれない。村の人は困っちゃった。困りに困って神様にした。神社も建てて、お供えもして。そして毎年ね、儀式が行われるようになったんだって」

「そうなんだ! どんな儀式なの? お祭り? 僕はお祭りが好きだな!」

「犬を捧げるの」

「え」

「一匹。毎年一匹」

「やめて」

「戦争の頃に無くなったんだけどね! ひどい儀式、なくなった儀式」

「もういいよ」

「呪いはね、積もり積もるの。ね、分かるでしょう」

「やめてって! もう僕は怖いんだから!」

「ふふっ、ごめんなさい。私ったら少し意地悪したわ! この話は終わり。けれど、神社に行ったら身代わりをお持ちになって。呪われちゃうわ。引き込まれちゃうわ。もう、犬でなくてもいいのよ。あら? 泣いてるの? じゃあおしまい! 今度は別の噂を探しましょう!」

赤黒い光が教室を照らす。大小の黒い影を落とし、視界はいやでもぼやけてしまう。外を廻るカラスが何匹かの群れで校舎を取り囲み、ガーガーと鳴き声を学校中に響かせている。夕暮れ時の教室は不気味そのものであった。先生もいなければ、生徒も少ない。濡れた雑巾を乾かしたような、そんなざらざらした感覚が教室を包んでいた。夜になる前にどこかへ連れ去られてしまう。転んだらそのまま奈落へ落ちて、死んでしまう。可愛いフタバはそんな気持ちがバレないように、一つ一つの動作を慎重に行なっていた。

「なんでそんな話するんだよ……」

「あらごめんなさい! 帰りましょう。もうじき夜になるわ」

フタバはランドセルをゆっくり背負った。立ち上がって足の裏に冷たい感触が伝わる。白色の靴下は埃まみれのほうきの先っぽのように、黒く、灰色に汚れていた。教室で怖い話をする女の子を見て、可憐なフタバは少し怖くなった。フタバと同じぐらいの身長で、華奢な体で可愛らしい。けど、掴んだら離されない。吸い込まれるような目。口元に浮かべる不気味な笑顔。頭の大きな青色のリボンは鬼の角を思わせる。フタバはその目がこちらに向かないように、あの子の前で体を震わせ涙を流す男の子に心の中でごめんねをした。

「ねぇ、待ってちょうだいよ!」

フタバはビクッと肩を震わせた。

「……なに? 」

フタバはランドセルの肩ベルトを強く握った。

「あなた、良くないわよ! そんなふうじゃ呪われちゃう。夕暮れは怖くないの。怖いのは呪いなの」

「意味がわからない」

「これをお持ちになって! ほら手を出して」

そう言って彼女はフタバの手に大きな赤い肉塊を放り投げた。フタバは咄嗟に手を引いた。肉塊は床の上に落ちてぐちゃ、と水っぽい音を立てた。それはフタバが今まで食べたことのない、生臭く、受け付けられない感触をしていた。カラスが窓の外からその肉塊を眺めていた。フタバは吐きそうになった。どうしてこんなことするの、そう言おうとして逆流する胃酸が競り上がってフタバはむせる。

「神社に行くのでしょう? これを持って行きなさい。ダメよ、持たなきゃ」

そう言って彼女はビニール袋に肉塊を入れてフタバの手に持たせた。

「私ね、いじめなんて馬鹿らしいと思っているわ。だけどね、けれどもね」

そこで区切って彼女はクツクツと笑い声を漏らした。

「いじめられる方にも問題があるのよフタバさん」

抑えきれなくなったのか彼女は手を叩いて笑い出した。フタバは逃げるようにして教室から出ていった。

「違う……違う……。わたしは悪くないんだ……」

フタバはいじめられていた。フタバが階段を歩くと、横を歩く子が落ちてしまう。フタバの班の給食はみんなお腹が痛くなった。フタバが投げたボールで骨が折れちゃった。フタバが飼育係になると兎が一匹ずつ動かなくなる。ああ可哀想なフタバ。呪い、呪い、呪い、呪い。フタバは地図を広げた。フタバの上履きの地図。神社の一番奥に星印がつけてあり、そこに上履きがある。いじめっ子から渡された地図。沼のような臭いがする。カピカピになった紙。星印の場所は入っちゃいけない囲いの中だった。フタバは家に帰った。懐中電灯と肉塊、そして水筒をカバンに入れて神社に向かう。すっかり暗くなった町はフタバを恐怖させるのに難しい細工は必要なかった。震える手を、うまく動かない足を、吐きそうな喉元を。抑えて、抑えて、神社に向かう。紫の色をした夜空に星が点々と現れていた。住宅街から虫の声でおかしくなりそうな田んぼを抜けて、坂を登る。神社に着いた頃にはもう、フタバの足は限界に近かった。人の気配を感じて懐中電灯を神社に向ける。神社の鳥居に寄りかかるようにして、ひとりの少女が俯きがちに立っていた。

「ミオ!」

ミオだけはフタバの友達だった。いつも一緒で、フタバがいじめられてもミオだけはずっと側にいた。いじめる側からすると、ミオは邪魔だった。フタバがひとりぼっちにならないからとても邪魔だった。ひとりぼっちのフタバにならなかった。

「よかった。帰れたんだね」

ミオは胸をなでおろした。

「いこう」

ミオはフタバに手を差し出した。フタバはその手をぎゅっと握った。二人は一礼して鳥居を潜る。夜の神社には光がなかった。どこまでも暗く、砂利を踏み締める音がコダマする。二人は、石の前に止まった。霊験あらたかな石で、お札がたくさん貼ってある、綺麗で美しくて神聖な石。看板にも『お札にはご利益があります。触れてパワーをもらいましょう』と書かれていた。

「触れてはいけないだって……」

フタバは看板と石を交互に照らして、そこに貼ってあるお札をじっくり見ようとした。

「先に進もうか」

ミオはそんなフタバを引っ張って先に進もうとする。お札が貼ってある石を無視し、先へ行こうとした。だけれど行けなかった。フタバは石が気になって仕方がなかった。何かに取り憑かれたように、お札に触りたいと思った。お札に触って、神様に守ってもらいたいと思っていた。けれどフタバはミオが好きだから、その手を引かれるままに、行くしかなかった。

「ミオはなんで、わたしに優しいの……?」

素敵なフタバは階段を登りながらミオにそう聞いた。

「わたしはフタバちゃんが好き。一緒にいて楽しくて、嬉しいの」

「うん……」

「だから、大丈夫。はやく帰ろうね」

「うん」

階段は百段ある。登った先に本堂があって、その囲いの中にフタバの小さな上履きが捨ててある。フタバは気配を感じた。後ろを振り返る。

「……どうしたの?」

ミオがフタバを心配そうに見つめる。後ろを振り返っても何も見えない。遠くに住宅街の灯りが見えるだけだった。

「ううん、なんでもない」

一段、一段、また一段。登るごとに気配は強くなっていった。手を握る力が強くなっていく。けれどミオがいるから。フタバは頑張れた。震えるフタバも可憐だった。

「ついたね……」

「うん」

本堂の横には抜け穴がある。立ち入り禁止の看板を無視して、フタバの同級生はそこからフタバの上履きを投げ入れた。

「まってて」

ミオがフタバを制止して、抜け穴から本堂の囲いの中に入る。五分ぐらいして、ミオは戻ってきた。フタバの上履きを持って、抜け穴を抜けた先に立ったままだった。ミオは呆然とし、その場に立ち尽くしていた。

「どうしたの? ミオ?」

フタバが心配そうにミオに声をかける。ミオはぼーっとしているようだった。虚な目でフタバの後ろの方を眺めている。

「どうしたの? 何か見えるの? ミオ? ミオ? なんで戻ってこないの?」

「……」

ミオは声かけに応じない。

「ミオ……?」

フタバは立ち入り禁止の看板を無視して、先へ進んだ。

「……」

先へ進んだ。

「……進んでない」

そう訝しげに呟きながら、フタバは抜け穴をくぐり自ら神様の生贄になった。

「なってない!」

進んで。おいで、おいで、おいで、おいで、おいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいで。

「誰……あなた」

「ワタシハ、ミオダヨ?」

ダカラ、オイデ。


それはもうフタバの知るミオではなかった。姿形はミオでも、その中身は似て非なる異形と言える存在であった。フタバは恐怖で動けなかった。近づいてくるミオもどきの前で涙を流すばかりであった。

「肉を投げなさい、フタバさん」

フタバの肩が叩かれる。叩いたのは教室でフタバをからかった彼女だった。動かないフタバの代わりに、カバンを開けて肉塊を囲いの中に放り投げる。

「幼女趣味なんて、気持ち悪いわね」

肉塊が投げられるのと同時に、力が抜けたようにミオがパタっとその場に倒れた。ミオの中から出てきた異形が肉塊を貪っている。それは小さな男の子の姿をしていた。

「ミオ……! ミオ!」

フタバは一目散にミオに近づこうとした。しかしそれを彼女が止め、囲いの中に入っていく。

「大人しく、犬を食べておきなさい」

そう言って彼女はまたいくつかの肉塊を投げて、ミオから異形を遠ざけた。そして彼女はミオを担いでフタバの元に戻ってきた。フタバの前でゆっくりとミオがおろされる。

「ミオ! ミオ! 大丈夫? 怪我はない?」

ミオはフタバの声かけに応じない。

「しばらく起きないわ。でも大丈夫、そのうち目を覚ますわよ」

「……あなたは誰なの」

フタバは警戒するように彼女を見つめる。

「ふふっ、お礼ぐらいしなさいよ! だから魅入られるのよ。こんなロリコンの変態神様に。だから呪われるのよ。こんな馬鹿みたいな子どもに。それでも悪くないって言えるの? 呪われる人間にも問題はあるって言ったじゃない! ふふっ、人間って愚かね。いいわ、教えてあげる。私は神様。犬の神様。この神社の偽物の主神」

フタバは唖然とした。視界が眩む。フタバは右腕に痛烈な痛みを感じた。

「っ……!」

フタバの右腕、二の腕の皮が剥がれていた。フタバの手を伝ってミオを赤く染め上げる。

「これぐらいはもらわなくっちゃ! ふふっ、じゃあまた今度。学校でお会いましょう」

その声を聞き、フタバは意識を失った。遠のく意識の中で、ミオの暖かさを感じていた。その後、神社は取り壊されることとなった。表の理由は大規模な開発が行われるため、どうしても壊さなければいけないということだった。取り壊される時、男の子の断末魔が聞こえていた事が報告書に載せられていた。一緒に、女の子の笑い声も。

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