おやすみ
「だからね、京。まだしばらく戻れそうにないの。悪いと思っているのよ、本当に。でも、心の病は気の持ちようでもあるから。薬を飲むのも控えてね。それじゃあ、おやすみなさい」
母はそれだけ言って、私の返答も聞かずに電話を切った。私にとって母とは一体どういった存在なのだろうか。母にとって私とは。
「……」
時計の針は午前二時を指していた。もう、いいのかもしれない。私はそう思った。何がいいのか、自分でも分からない。けれど、理由の分からない涙が出てくる私は、私は一体何だというのか。部屋の隅に落ちていた安物のウイスキーに目がいった。そしてそれを飲んだ。ふらふらと家を出た。あてのない道を歩く。菰池を回る。そして、坂道を登った。
『もしお参りすることがあったら。賽銭を多めに入れて欲しいんだ。きっと、誰かが聞いてくれるはずだから。時には誰かに救われたっていいんだからさ』
救われるために、私は坂道を登った。道を歩く人間は誰もいなかった。右手にはキリスト系の修道院があって、左手には坂道に沿って建てられた巨大なマンションがある。聞こえるのは自分が鳴らす靴の音と、遠くから聞こえてくる車の走行音だけだった。誰もいないような、世界が眠ってしまったような、そんな気分すらするような、無機質で冷たい夜だった。坂道を登った先には六年通った小学校がある。右手には神社があって、彼女の言う神社はそこのことであった。昔はよく通っていた。長い階段があってとても疲れるのに、そこから見える景色がとても美しくて、夏休みは毎日のように通っていた。いつも誰かが近くにいて、一人じゃなかった。しかし、ここには誰もいない。重い足を使い、坂を登る。運動不足が身に沁みる。これは数日筋肉痛だな。そんな事を思いながらゆっくりと坂道を登り切る。荒くなった息を整えて顔を上げる。開けた視界には小学校の正門と、右を見れば神社の鳥居、左には神社から真っ直ぐ伸びる道が見えた。一歩一歩、階段をのぼる。救われるために、のぼる。境内には誰もいなかった。白い無機質な街灯が、賽銭箱を照らすだけだった。財布の中身を私は見た。小銭と、千円札が入っていた。千円札を投げ入れて、乱暴に鐘を鳴らした。そして私は助走をつけて、階段の一番上から、小学校の四階ほどの高さから、落下した。誰かが言った。
「自殺をしよう、って思って自殺をする人は案外少ない。ただ、日常の選択の中に死があるだけで、それがたまたま傾いただけって」
誰が主人公だったのかな。
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