6
オモテさんは、海外のスタジオに居た。ずいぶん気温が低い地域のようで、おそらく外は雪景色なのだろう。空気がキンと張り詰めていて、音の振動の逃げ場が全くないような、そんなところだった。オモテさんは僕に会うなり、
「よお、ずいぶん長いお昼寝だったな」
と軽口を叩いた。
「日本に帰って、ラギの側に居てあげてくれませんか」
と僕は単刀直入に言った。
「はい?何、言ってんの。おまえさん、目は見えなくても耳がいいんだからわかるよな?オレが今居る場所。そこで何をやっているか」
もちろんわかる。この環境は、レコーディングに最適だ。特に演奏のプロ中のプロを集めてのレコーディングだろう。
「ラギは、オモテさんを愛しています。絶望的な状況にいる彼女が側に居てほしいと思うのは、オモテさんです。お願いします」
と僕はオモテさんの言葉を無視して続けた。
僕がラギのためにできること。考えたが、これしかなかった。
オモテさんは、長い溜息を吐いた。
「おまえさんは何にもわかっていないな。葛木がオレに抱いていたのは、女の子が父親に抱くような感情だよ。葛木の両親は、小さい頃に離婚したんだ。葛木は、父親についての記憶が全くないって言ってたから、オレに父親のイメージを重ねたんだ。葛木は恋愛と錯覚したかもしれないが、恋愛とは本質的に違う。それは、葛木自身もどこかで気付いているんじゃねえかな」
「じゃあ、尚更、父親代わりのオモテさんに、側に居て欲しいと思うはずです。お願いします」
僕が再び言うと、オモテさんは苛々した様子で言った。
「だから、おまえさんは何もわかっていないって言ってんだよ。親の愛情は、親が居なくなったら、終わるものだ。永遠じゃない。それはわかるよな?」
「はい」
「親の愛情がなくなっても、自分の生まれてきた意味が欲しいとは思わないか?例えば、おまえさんは、どうしておまえさんがいるのか、その意味が欲しいとは思わないか?」
その言葉は、僕の中の一番深くて真ん中の部分に、確かな質量で落ちてきた。
僕は、ふと、アナログの世界で出会った友人のことを思い出した。彼は、自分の存在する理由について、こう言っていた。「私のような一世代前のプログラムは、確かに新しいプログラムと比べて処理スピードが劣っている部分があることは否めません。だから私は役目を終えたのです。しかし過去に作られたものにはその時代に生きた人の知恵が刻まれている。その人の知恵を伝えるために、私は此処にいるのです」と。そして、伝えるのにふさわしい人が現れるのを待っているのだとも。
それを聞いた時、僕は、もしも伝えるべき人が現れて、彼の持っていた知恵を伝えたら、彼はどうなってしまうのだろうかと思った。でも、その疑問は、的外れなのだ、きっと。なぜなら存在する理由は、常に自分が見つけていくものだからだ。
彼の最初の存在する理由は、プログラムとして、スピーディーに処理を行うためだった。その役割を終えた後、彼は自分の存在する理由を、アナログの世界で浮遊しながら、考え、見つけた。それは、過去の知恵を伝える歴史の一部としての存在理由だ。そして、きっと過去の知恵を未来の人へ伝えたら、その後は、彼はまた自分の存在理由を他に見つけ出すだろう。彼自身が生まれ、今そこに存在する理由を欲する限り、皆、役割を見つけることができるのだ。
「なんかわかり始めたようだな。親の愛情を受けられなくなっても、親以外の、世界の誰かに、自分を必要としてもらいたい。そういう人間でありたい。それが、自分の生きる意味だから。そう思ったから、葛木は、歌の世界に入ったんだよ。自分の歌う歌で、慰められる誰かがいる。明日を生きたいと思ってくれる誰かがいる。そのことに、自分の役割を見いだしたんだよ」
「でも、声を失ったら、ラギはどうなるのでしょう。声を失った自分に、ラギはどんな存在理由を見つけるのでしょう」
フン、とオモテさんは、僕の言葉を鼻で笑った。
「おまえさんは声を失うことを前提に話を進めてるけどな、そんな簡単に、葛木はせっかく見つけた自分の存在理由を、手放せねえよ」
「じゃあ、ラギは声を失っても、歌うことを止めないとでも言うのですか?」
僕は、疑問をオモテさんにぶつけた。オモテさんは、
「さあ、知らねえよ。オレが知るかよ。だから、お前さんが何とかしてやれよ。お前さんは人間じゃないんだから、オレらとは違うやり方があるだろうからさ。じゃあな」
と言って、回線を切ってしまった。
人間とは違うやり方―。僕が学習してきたことは、人間がこれまで積み重ねてきたことなのに、そんなことができるのか。
仕方がない。ラギに会おう。ラギが会いたいのは、僕ではないとしても。
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