君の声になる
百葉箱
1
初めてラギの声を聞いた日、僕の目に見えないはずの光が見えた。僕は今でも、その日のことを思い出す。真っ暗だった僕の世界はラギの声で読まれる小説の世界に彩られ、太陽が出ている時に感じる温かさが橙、酸味の残るまったりとした甘さが紫、サワサワと常に音を立てながらもずっとそこに在るのが緑であって、この声の主にどうしても会いたいと焦がれる高揚感がピンク色なのだと僕は知ったのだった。
ラギはその頃、まだラギという名ではなく、本名「葛木詩央里」の名前で、朗読ボランティアをやっていたのだった。僕は、録音図書で葛木詩央里の朗読を聴く時間が、大好きな時間になった。彼女の声は低めで、ハスキーで、呼気が彼女の身体の、例えば唇や喉に触れて立てるざらりとした音が言葉ごとに異なり、それが僕に彩りを見せてくれるのだった。
彼女の朗読による本を全て聴き終え、僕の中にはまだ会ったこともない葛木詩央里の像が出来上がった。彼女は、見た目はきっと幼い少女のような儚い空気をまとい、それでもその瞳に鋭い意志を秘めている。彼女の声を聞いている間は、そんな彼女と面と向かっているような気がするし、彼女の声を聞いていない時は、他の人の声の中に彼女の声を探している自分に気付いた。彼女の声に焦がれて僕は、一度聴き終わった本をもう一度繰り返して聴いた。
そんな僕の様子を見ていた僕の親代わりのシンヤさんは、「恋をしたんだね」と言った。恋については本で聴いて知っていたが、これを恋と呼ぶのかと僕は恍惚となった。まだ痛みよりも幸せな気持ちが圧倒的に大きい時だった。シンヤさんはそんな僕を見て言った。「今、彼女がどうしているのか知りたくないのかい?すぐ側で彼女の声を聞きたいとは思わないのかい?」
シンヤさんのその言葉は、僕に呪いのようにずっとつきまとっては、時々僕に苦痛を与えてくるようになった。
耐えられなくなった僕は、ついにネットで葛木詩央里の名前を検索したり、彼女のSNSを探したりしたのだが、全然見つからなかった。朗読ボランティアの名前を記録してくれていた録音図書がなければ、僕は彼女の名前ですら知ることができなかったのかと思い、僕と彼女の距離の遠さに愕然となった。彼女との距離を縮めるために僕ができることは何か。目の見える彼女と目の見えない僕とが、同じ風景を見て気持ちを寄り添わせるためには、そういう日を迎えるためには、僕はどうしたら良いのだろうか。僕にとっては、彼女の声は彩りある世界への鍵で、僕の感じる彩りを彼女にも感じてもらうためには―。
考えた末、僕は彼女の声を活かした曲を作ることに挑戦することにした。作曲は初めてだが、僕が一番葛木詩央里の声の良さを知っているから、誰よりも彼女の声に合った曲を作れる自信はあるのだ。彼女がもし歌ったら。その歌声は、一言で言うと、風のようだろう。風は頬を撫でるように優しくて柔らかい時も、肩をいからせ、全力で抗わなければならないほど厳しく冷たい時もある。彼女の声も風と同じで、様々に表情を変えるのだった。そんな彼女の声に付ける曲は、様々な曲調のものでなければならないわけで、僕はコードの種類を聴いて覚え、コード進行に工夫を凝らし、ボーカロイドの声をバックコーラスにし、彼女の歌声が生きる曲づくりに没頭したのだった。歴史的に著名な作曲家の曲も聴き漁った。例えばショパンの曲で全く違う曲調と思っていた「幻想即興曲」のコードと「英雄ポロネーズ」のコードは実はほぼ同じ進行であることを知り、僕は驚いた。打楽器のリズムの拍子の違いも大いに曲に影響を及ぼすことも理解した。
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