八話 神社の秘密
本殿の前に出た時、悪ガキ達も異変に気づいていた。鳥居を抜けた瞬間、橋は木々に閉ざされていく。不気味に蠢く木々は、彼らの帰り道を覆い隠した。木漏れ日が差していた本殿も、暗い影が覆っている。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
「私達、閉じ込められちゃったのよ!」
マッキーの悲鳴と共に、再び恐怖が込み上がる子供達。逃げ出そうと道を探すが、木々に塞がれて出られそうな場所は無い。退路を閉ざされ、更に子供達の不安は増した。
「サチオ、俺達帰れないのか?」
「お、落ち着け! 出口がどっかにあるはずだ」
普段強気なケンも、理解できない現象を前にして怯える。サチオは奮い立たせるように言うが、どうすればいいか分からないまま、立ち尽くす。八方塞がりになった悪ガキ達は、本殿の前に身を寄せた。本殿を取り囲むように、風が唸る。
その時、けたたましい吠え声が、空高くこだまする。人の声のような、怪獣の声のような。何とも似つかない吠え声だ。威嚇するようなその吠え声は、本殿の屋根の上から聞こえてくる。耳を劈くその声に、悪ガキ達は慌てて本殿を離れた。稲光が本殿の屋根を照らす。その時、屋根の装飾と思しき像がゆらりと体を捩らせた。雷光に照らされたその姿は、はるか昔に図鑑から消えた生き物のようだ。黒い体毛は水分を含んだ様にヌラリと光り、ぎょろりと剥いた琥珀色の眼光は赤く血走っていた。水掻きの付いた人間の指の様な手足で、屋根に張り付いている。太い尾は、筋肉が詰まったように引き締まっていた。顔はイタチに似ていたが、裂けた口とそこから覗く太い牙と、おそろしげな形相は絵巻物に出てくる妖怪のそれだ。化け物の手足を見た途端、ズクの足首は電流が走ったように痛む。その瞬間、ズクは恐ろしい事を理解してしまった。
「……こいつだ。僕を川に引き摺り込んだのは」
化け物は甲高い声を上げ、屋根から地面へと飛び移る。濡れた体が、稲光の怪しい光を帯びた。真っ赤な口を開け、化け物は本殿の前に立ち塞がる。後ろ足に巻き付く布切れが、生き物のように揺らいだ。象ぐらいの大きさの化け物は、さながら怪獣だ。化け物は牙を剥いて、ケン目掛けて襲いかかった。
「うわぁあっ!」
ケンは一目散に逃げ出す。だが、化け物は巨体に似合わず素早い動きでケンを追い立てた。跳ねる様に駆け、化け物は前足でケンを捕らえようとする。
「ケンから離れて!」
マッキーが化け物目掛けてシャッターを切る。フラッシュの強烈な閃光が、化け物の目を照らした。マッキーは化け物が止まるまで、フラッシュを焚き続ける。化け物は目を覆い、鰻のようにのたうち回った。その隙にケンは本殿の方に逃げ出す。化け物は苛立たし気に唸り、瞬きをしながらマッキーを睨みつけた。
「危ない! マッキー!」
ヒロが懐中電灯を構えながら、マッキーの手を引く。化け物は吼え猛り、ヒロに襲いかかった。ヒロは懐中電灯のスイッチを入れる。再び襲う眩い光に、化け物は片目を瞑った。化け物の狙いがそれ、牙は懐中電灯を捕らえる。化け物は着地し、強靭な顎で懐中電灯を噛み砕いた。ヒロはマッキーを連れて、本殿の柱の後ろに隠れる。鼻をひくつかせ、化け物は隠れている子供達の匂いを嗅ぐ。気分が悪くなるほど甘ったるいチョコレートの匂い。油っこいスナック菓子の匂い。一嗅ぎで化け物の鼻には子供達の匂いが入ってくる。化け物は低く唸り、本殿の方ににじり寄った。子供達は声を出すまいと自らの口を塞ぐ。その時、ズクが化け物に立ち向かった。木の枝を拾い、ズクは震える両手で構える。突然現れた子供に、化け物は後ろに飛び退く。
「みんなを傷つけるなら、ぼ、僕が相手だ!」
恐怖で声が上擦るズク。へっぴり腰で、今にも木の枝を落としてしまいそうだ。だが、ズクは本殿から離れなかった。化け物はズクが持つ木の枝を警戒し、辺りを跳ねながら様子をうかがう。
「ダメだよ! ズク」
「お前が食われちまうぞ!」
「逃げて!」
隠れていた子供達も、構わず大声を出す。耳鳴りするほどの子供達の声に、化け物はいきり立ち、ズク目掛けて突進した。風を切り、砂利を巻き上げる。真っ赤な口が、鰐のように開いた。ズクは化け物の形相にたじろぎ、祈るように木の枝を握る。虎の目のように爛爛とした化け物の目玉が、怯えるズクを映していた。
「ズク!」
サチオが飛び出し、ズクを抱える。化け物は猛進し、サチオに体当たりした。巨体に跳ね飛ばされ、サチオは賽銭箱に叩きつけられる。幸い、ズクはサチオがクッションとなり、怪我は無かった。ズクを抱えたまま、サチオは小さく呻く。
「サチオ、頭から血が……」
「心配するな。お前が無事でよかったよ」
サチオは額を切り、血を流している。頭を打っても尚、サチオはズクを優しく撫でた。その逞しい手は、普段の胡散臭い叔父の手つきではない。頼れる叔父の大きな手だ。サチオはふらつきながら立ち上がろうとする。だが、やはり衝撃が大きかったのか、軽い脳震盪を起こした。化け物はそれを逃さない。体をくねらせ、すかさずサチオに飛び掛かった。頭を押さえるサチオは、化け物に気づくのが数秒遅れる。化け物の前足はサチオの顔の側まで来ていた。
「止めろぉーっ!」
ズクは叫び、化け物目掛けて木の枝を振り下ろした。無駄な抵抗だと分かっていても、ズクは叔父を守ろうとする。あの化け物の分厚い皮膚に当たったら、こんな枝などすぐに折れてしまうだろう。ズクは目を瞑る。
だが、いつまで経っても枝の折れる感触はしなかった。空気を切るような軽い感覚だ。勢いのあまり、ズクは地面を転がる。化け物を警戒して、ズクはすぐに目を開けて辺りを見回した。化け物の姿が居なくなっている。いや、化け物だけじゃない。赤く鮮やかな本殿も消えていた。代わりに木造の小さな社がある。空を覆っていた黒雲も消え、林のざわめきも静まっていた。ズクの目の前には、膝下ほどの大きさの生き物が威嚇している。甲高い声を上げ、つぶらな瞳を見開いていた。姿こそは先程の化け物に似ているが、小ぶりで可愛らしい姿だ。小さい口を一生懸命に開けている。
「どうなってんだ?」
隠れていた子供達は、いつの間にか社の前にいた。全てが幻だったように、本殿も跡形もなく消えている。化け物だった生き物は、社の上に駆け上り、赤ん坊のような声で威嚇した。
「これって、もしかしてニホンカワウソかな?」
ヒロが眼鏡を直して小さな生き物を見る。聞いたことのない生き物の名前に、皆は首を傾げた。人間の視線が集中し、生き物は姿勢を低くする。
「ニホンカワウソ?」
「うん、神田のお爺さんから聞いたことがあるんだ。昔、お爺さんのご先祖様がいた頃には、川にはカワウソがいたって」
カワウソの威嚇は、次第に怒りから怯えの色が強くなる。全身の毛を逆立て、体を大きく見せた。
「こいつがさっきの化け物なのか?」
「カワウソは人を化かす妖怪でもあるみたいだけど。信じられないな」
ケンは怪訝な顔でカワウソを見る。小さいが、指を近づけたら噛みつきそうな勢いだ。社を離れようとせず、爪を突き立てている。
「でもどうして、僕達を襲おうとしたんだろう?」
ズクはふと、社の奥に目をやる。そこには、小さな池があった。澱み一つない水は、木漏れ日を受けて煌めく。ノゴイとイシガメが泳ぎ、シャクナゲが咲き誇る。まるで鉱山の奥に残された原石のように、池はありのままを映していた。
「こいつ、あの池を守ろうとしたんだ」
ズクの言葉に、子供達は池に気づく。川から流れる水が、この池に降り注いでいた。カワウソは池を隠すように体を伸ばす。侵入者がいなくなるまで、立ち塞がるつもりだ。ズクはカワウソにゆっくり手を出す。
「ズク、噛まれるぞ」
サチオの静止をよそに、ズクはカワウソに歩み寄る。カワウソは驚き、噛みつこうと口を開けた。
「驚かしたりしてごめんな。僕達、ただここに来ただけで、お前を傷つける気はないんだ」
ズクは友達に話しかけるようにカワウソに語りかける。穏やかな口調を感じ取り、カワウソは威嚇する口を閉じた。姿勢を低くしたまま、カワウソはズクの指に鼻を近づける。鼻先を動かし、カワウソは他所の匂いを嗅いだ。思わずキュルルと囀るような声が、カワウソから漏れる。
「意外と物分かりがいいんだな」
「きっと誰かに保護された事があるんだよ。ほら、包帯が巻かれている」
ヒロの言葉通り、カワウソの左後ろ足には布切れだと思われていた包帯が巻かれていた。遠く昔に巻かれたのか、ボロボロになっている。ただの野生動物なら鬱陶しくなり、引きちぎるはずだ。だが、このカワウソはかつて助けた人間の温もりが忘れられないのか、巻かれたままだ。
「こりゃあ持ち帰るにはもったいないお宝だな」
頭を掻きながらサチオは笑う。笑顔を向けられて、カワウソは戸惑うように辺りを見回す。子供達も誰一人、捕まえようとしなかった。
「そっとしておいた方がいいな」
ズクはカワウソの丸い瞳を見つめる。カワウソは飛び上がり、池に飛び込んだ。池の中を靡くように泳ぎ、カワウソは水上で宙返りをした。楽しそうに泳ぐカワウソを、子供達は静かに見ていた。池に映る太陽は、次第に橙色に変わっていく。夕焼けに差し掛かった日差しが、夏の森を一足早い紅葉に変えていった。
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