Sランクハンターがハンターアカデミーの剣の教官になる。

ウォーマン

プロローグ - 冬の旅立ち

仙台にあるハンター協会の支部は、いつもより静けさが漂っていた。ほんのり暖かい和風の執務室で、支部長・山本大地は目の前の若者をじっと見つめていた。黒髪の青年――静かな佇まいながら、その眼差しには固い決意が宿っていた。


「黒鉄春人」

大地はゆっくりと名を呼び、指先で作戦書類をトントンと叩いた。

「本当に北海道奪還作戦に参加する気か?」


ハルトは迷いなくうなずいた。

「はい。これ以上放っておけば、あの島は本当にモンスターのものになってしまう。もし僕の力が役に立つなら、断る理由はありません。」

大地はしばし無言で彼を見つめた。

「これは短期の任務じゃない。何年もかかるかもしれん。その間……君はもう、霧崎 花実には会えなくなるぞ。」


ハルトは少し俯き、それから薄く笑った。

「その想いは……もうずっと前に届いてませんから、大地さん。もう手放す時だと思ってます。持っていられないものなら、なおさら。」


支部長は静かに息を吐いた。彼はハルトのことを、才能あるハンターとしても、協会の受付嬢を密かに想っていた若者としても、よく知っていた。


「作戦開始は一ヶ月後だ。君には七日間、準備期間が与えられている。その後、本部から迎えが来る。」


「了解しました。」


「……でも、あまり堅くなるなよ。ハナミにも時間を使ってやれ。黙って行くのは、ずるいからな。」


___________________________________________________________________________


その七日間、ハルトは普段通りの日々を過ごしていた。任務報告書を書き、いくつかのダンジョンを片付け、新人ハンターを手伝い、危険区域を巡回する。けれど、そんな日々の合間に、彼はハナミと昼食をとり、ふたりのお気に入りのケーキ屋でスイーツを買い、まるで何も起きないかのように、他愛のない話をした。


何も言わなかった。ハナミにも、仲間たちにも。ただ、大地だけが全てを知っていた。


その決意から三日目の夕方、ハルトはハナミを郊外の公園に誘った。秋色に染まり始めた木々に囲まれ、ふたりは池に面したベンチに座る。夕陽が水面に銅色の光を落としていた。


「ここに来るの、久しぶりだよね?」

ハナミが微笑む。

「ああ。たしか、俺がAランクになった直後だったか。」

ハルトは穏やかに答え、ホットコーヒーの缶を一口飲んだ。


ハナミは空を見上げる。

「最近、なんだか落ち着いてるよね……何か覚悟を決めた人みたい。」


ハルトは静かに笑っただけで、すぐには答えない。

「……静かなものほど、内側で波立ってる時もあるんだ。」


「またそんな、謎かけみたいな言い方して……」

___________________________________________________________________________

五日目、ふたりは南区にあるお気に入りのケーキ屋を訪れた。ハナミは大好きなイチゴショートを注文し、ハルトはいつものようにホットティーを頼んだ。


「もしいつか、私が協会を辞めたら……」

ハナミがふとつぶやいた。

「ハルトくんは、こういう場所にひとりで来ると思う?」


「ひとりじゃないかもな」

ハルトは窓の外を見ながら答えた。

「でも、きっとこの瞬間は思い出すよ。」


ハナミはしばらく彼を見つめたが、何も言わずにただ微笑んで、ケーキを口に運んだ。

___________________________________________________________________________

七日目、ふたりは何も言わずに歩いた。特別な場所ではない。いつも通る路地と道を、ただ並んで歩いた。そして、協会前の最後の交差点に差しかかった時、ハナミが立ち止まった。


「ハルトくん……」


「うん?」


「ありがとう……いつも時間を作ってくれて。」


ハルトは彼女を見て言った。

「ハナミこそ、ありがとう。いつも、そこにいてくれて。」

___________________________________________________________________________

出発の前夜、協会ホールではささやかな送別会が開かれた。大地はそれを「急な別れの宴」と呼んだ。温かな雰囲気の中、ぎこちない笑い声、そして時折、潤む瞳。


「本当に行っちゃうのか?」

仲間のハンターが尋ねた。


ハルトは笑った。

「もちろん。じゃなきゃ、大地さんに怒られる。」


笑いがこぼれる中、ハナミだけは黙っていた。手にティーカップを握りしめ、視線はずっとハルトを追っていた。問いかけることもできず、ハルトもそれを許さなかった。

___________________________________________________________________________

その朝、本部の黒い車が到着し、職員や仲間たちが見送りに集まった。ハルトは礼儀正しく挨拶し、車に乗り込んだ。


彼は一度だけ振り返り、ある顔を探した。だが、どこにもハナミの姿はなかった。


車が動き出す。


数百メートル進んだところで、朝の空気を切り裂くような叫び声が響いた。


「ハルトくん――!」


車は止まらなかった。それでもハルトは、リアウィンドウ越しに振り向いた。遠くに、ハナミが立っていた。目を赤くし、荒い息を吐きながら、少し乱れたショートヘアを風になびかせて。


彼はただ膝の上で拳を握りしめた。


「……さよなら、ハナミ」

小さく呟いた。


窓の外には、白い雪が舞い始めていた。冬は、もうそこに来ていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る